第34話 暴走だと思います


「――くりしぇ。から。はなれて……」


「――ほお……我を相手取るとは……愚かな」


 銀に輝く髪をなぞるように突き立てられたナイフにも全く動じないノアさんと黒目を見開いたアリー。


「だ、だめだアリー! この人は僕の知り合いなんだ。だからナイフをしまってくれ」


「……うん。わかった」


 ノアさんを睨みつけながらも指示を受け入れてくれたアリーに、ひとまずは胸を撫で下ろす。


「それで……すみません重いのですが。早く退いてください」


「お、重いだとぉ!? わ、我はここまでほとんど飲まず食わずで辿り着いたのだ! そんなわけがぁ……そ……そんな……………ホントに重い……か?」


 威勢の良いスタートだったにも関わらず急速に尻すぼみする口調に、初めて会った時の事を思い出す。


「冗談です。だから早く退いてください……てゆーか王都からここまでは馬車でも丸5日はかかりますけど……?」


 心配そうにお腹をプニプニと確認していたノアさんだったが、その言葉で自信とプライドが回復したのか、立ち上がり腰に手を当てながら勝ち誇った。


「ふふふ。我があんな四足歩行しか出来んやつに負けるはずがない! こんな距離二日もあれば十分だったわ!」


 確かにあの戦いで獣化したノアさんならば出来そうにも思えるが……。

 そしてあなたも元々四足歩行じゃ?


「でもお金が無くて食べ物にありつけないと……」


「ぐふっっ……! そーなのだ……だからクリシェよ! 我に食いものを恵んではくれないだろうか!」


 正直さっき乗っかってきた時も軽かったしな……おそらく獣化したまま寝ずにここまで走り抜いた反動が相当体にきてるはず。


「はいはい。すみません……じゃあこのコロッケを二つください」


「ふぅー熟成屋の兄ちゃんの知り合いで助かったぜ。散々駄々こねやがったから衛兵に連絡してたところだ」


 呆れた様子でコロッケを渡してくれた肉屋の店主に舌を突き出す白髪美少女。


「おお! 美味ではないか!」


 コロッケを口にした瞬間、目を輝かせる無一文とその姿をぼーっと眺めるアリー。


「はい。アリーも食べな」


「いいの?」


「うん。ノアさんも美味しいって言ってるから食べてみな」


「――のあ……?」


 熱々のホクホクのコロッケを頬張るアリーもノアさん同様に目を輝かせる。


「おいしい。あつい。けど。すき」


 しかし、どうしたわけか最後の一口になると急にコロッケ食べる手が止まる。


「――どうしたの? 火傷でもした?」


 少し名残惜しそうなアリーだったが、手に持っていたコロッケを僕に差し出してくれた。


「くりしぇに。ぷれぜんと。わけっこ」


 肩に掛けた羽衣を握りしめた彼女の無垢な優しさに笑みが溢れた僕は、ありがたく最後の一口を貰った。


「うん……! 美味しい。ありがとうアリー」


「でだ! クリシェよ、スカイはどうしたのだ? あやつの姿が見えんが」


 ノアさんは口に着いた衣を舐めながら辺りを見回す。


「スカイは一緒じゃないですよ。彼女は薬医として東方へと旅立ちました」


「――そうか。久しぶりに会いたいと思ったが……それにそこの女子は……」



 ――スンスン



 そうして彼女は鼻を2回啜ると、僕の影に隠れるアリーをじっと見つめだした。


「やはりそうだ……」


「ノアさん? どうかしましたか?」


 何かに気がついた様子のノアさんは僕の後ろに回り込むと、アリーの耳元でそっとつぶやいた。



「女子よ……お主も我らがの同族であろう……なぜ人間であるクリシェと共におるのだ……」



「――!! ノアさん!」



 僕以外の人間には聞こえない程度の囁き。


 しかし、その何気ない質問は不安定なアリーの心を大きく揺らす。


「あ……あっ……さむ?」


 ただでさえ白い肌に覆われたアリーの顔からドンドンと血の気が引いていくがすぐに分かった。


 そして僕のシャツを摘んだ小さな手がガクガクと震えだすと、さすがのノアさんも異常に気がついた様子であたふたし始める。


「お、女子! ど、どうした我が何かまずいことでも……」


「――あっ……さむ……? あっさ……む……? あ……ぁ……」


 酷く悲しい記憶に蓋をしていたその4文字。


 虐殺と暴力に怯える前の記憶を呼び覚ますその単語は、回復しきっていないアリーの精神を崩壊させるには十分過ぎた。


 そして意識朦朧となった黒髪少女は、受け身を取る事も無くそのまま石畳へと倒れ込んでしまった。


「――ううぅ…………あぁ……」


「アリー!! くそっ……このままだとまた」


 黒く反射する頭を抱えた姿は、僕の腹部を切り裂く前の姿とぴったり一致する。


『おいおい……大丈夫かあれ』

『熱中症かしら……? アナタお医者様呼んできた方が……』


 燦々の太陽が頂点に達した昼の商店街。

 突然倒れた少女の周りを大勢の人間が囲みだす。


「お、おい!! 大丈夫かアリー嬢!」

「アリーちゃん!? クリシェ君何があったの!?」


「だ、大丈夫です!! ちょっと暑さにやられちゃっただけなので宿で休ませます!」


 彼女の小さく軽い体を急いでおぶった僕は、なんとか人目の無い路地を目指し走り出す。


「ううぅぅ……お母さ……ん……お……父さん……」


 なんとか我慢してくれ……!!

 この国におけるアッサムへの嫌悪と憎悪は僕達の予想を遥かに超えていた……!



 そしてこの群衆の中で獣人化なんかすれば……おそらく……!



 ううう……あぁ……


 しかしこの時には彼女の体に異変が起き始めていた。


「アリーー! ま、待って……! あと少し……少しなんだ!」


 先に見える暗い路地裏までの距離はたったの10メートルほど。


 しかし、ひしめく群衆を掻き分けて進むには僕の足では遅過ぎた。


『――え……なにあれ……?』


 目線を落とすと、僕の胸に力なくぶら下がる彼女の両手を漆黒に輝く毛皮が覆い始め、指先の爪は細く鋭く尖っていくのが見えた。


「アリー! 耐えて!!」


 あと少し……! 


 もう。


 すぐそこに……。



――お、おおおぉぉ……ぁぁあああ!!!!



 僕の心からの叫びは商店街に虚しく響くと、後から追いかけてきた雄叫びに簡単にかき消される。


 ――ぐぐぃぃうぅぅ……!!


 パサっと落ちた生糸の羽衣と石畳を寂しく転がっていく黄色いシュシュ。


 極限まで削ぎ落とされた漆黒の体に映える金色の眼と、飢えた疫狼のように剥き出された犬牙を目の当たりにした群衆の叫び声は、穏やかなベンフィーリスの街並みに混乱と恐怖をもたらす。


『ば、バケモンだぁああーー!!!』

『逃げろー!! 汚れた蛮族がコルヴァニシュに紛れ込んでおる!!』


 アリーを中心に一斉に逃げ惑うパニック状態の住人達は人の雪崩となって商店街を流れていく。



 しかしその中に一人だけ、その場から動くことなくこちらを睨み付ける人物が居た。


「クリシェ坊……。お、お前、この一ヶ月間ずっと俺たちを騙してたのか……? 汚れた蛮族を隠しながら……」


「ち、違う! 僕達はただ――!」


「うるせぇぇぇ! この裏切りもんがぁ!!



 ――カランッ! カラン……カラン……カンカン……



 目の前から飛んできた黒いケースは石畳を数回バウンドしながら転がる。


 咄嗟に抜き取った天桜流刀てんおうるとうの切れ味は大切な形見でさえ無慈悲に割り切った。


「な、なんだその剣……この街に何する気だぁぁ!!」


「っ……僕達はただこの街で商いをしていただけです! 何の思惑も持ち合わせていません!」


 こうなった以上、興奮気味なポールスさんに僕の言葉など聞き入れてもらえるはずもないか……。


どうする……このままだと怪我人が……。


 すると、脱出方法を考えている僕の横を颯爽と抜き去る黒い影が視界を横切った。


 揺れ動いた短い毛並みに目を奪われたその瞬間、細く鋭い爪はポールズさんの首に伸びる。


「アリー!! だめだ!!!」


 しかし、獲物を定めたライオンに何を言っても止まらないのと同じように解き放たれた黒狼の暴走は止まらない。


「うわわぁぁ!!!」




その瞬間、隣から聞こえた呆れ声と共に暴走した黒狼の体は、七色の光を放ちながら眩く輝き出した。



「――強制変化形アブクラリス!!」




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