第32話 世界が変わり出したと思います
「――な、何を……?」
「俺のスキル『
ひんやりとじめじめした路地裏に響く彼の声。
「ぐ、具体的にはどんな映像が見えたんですか……?」
「映像じゃなく一枚の写真みたいに脳内に刷り込まれてくんのさ……そんで今回見えたのは――」
おじさんは目を瞑り再度脳内に記憶した写真を呼び起こす。
「燃え盛るコルヴァニシュ宮殿……王国旗に何かしている囚人服姿のお嬢ちゃん……逃げ惑う人間や動物達……そんでもって……」
「宮殿を囲む大勢の軍隊が携える軍用旗には……『ホーンディア』の教国紋章が刺繍してあった」
「ホーンディア!?」
突然、出てきた西の大国の名称に思わず声が漏れた。
「最近……ホーンディアが何やらコルヴァニシュにとって面白くない外交政策を続けているってのはもっぱらの噂だ。コルヴァニシュを取り囲むような共栄圏を広げているともな」
この時、僕はあの『森』での出来事を思い出していた。
あの時、彼女は誰かと会っていたと言っていた……。
脳内に再生される色魔な英雄の不敵な笑顔。
「それは……いつ起こるんですか……?」
「そいつぁー俺にも分からねぇ。今の予言をアンタに言ったことで運命線が変わり『×日』までの期間は伸びたかもしれねぇ。その逆も然りだ」
要するに……これから僕達がその未来を避けて行動しようとも『×日』は出現する……?
すると、僕のシャツをツンツンと引っ張る小さな手によって現実に戻る。
「――アリー……わるいこ。もどる……? ひと。きずつける?」
熟成したナイフを取り出しながら、不安そうに僕を見上げるアリーの視線はどうしようもなく悲しかった。
「まぁ安心しな。これは100%確定した未来ってわけでもねぇさ」
「で、ですよね! このスキルの成功率はどのくらいなのですか!?」
「――今のところ確認しただけで9788回中……9787回成功。これの意味が分かるか……? ま、ギャンブルにはまるで役にたたねぇもんで負けが込んでんだがよぉ……」
ぱっと暗算すらできない数字。
ネットなどの安い言い方を借りてしまえば天文学的確立ってやつだ……。
「そ、それは……絶望的数字ですね……」
「それに『
圧倒的不可逆的な行動?
『的』が続いた単語の羅列に頭を捻らせるが答えは出ない。
「それはなんですか? 圧倒的不可逆的行動とは……」
「ああ……予言の内容を知っている者が意図的に予言の内容を履行出来ないよう仕組む事だな。例えばコルヴァニシュ大好きな兄ちゃんが愛国心からこのお嬢を殺すとする。するとさっき言った未来は破棄されるが、それ以上の災いがこの国を覆い尽くす……そんな感じだ」
そうか。
割った壺が元の姿に戻らないように、未来の実行者を殺してしまっては予想された未来……が崩れると……その崩れた衝撃は予想された未来を上回る災いとなる……?
すると、おじさんは不安そうにしょげてしまったアリーの目線に腰を曲げて笑った。
「ま、どう捉えるかはおめぇさん達次第だ……だがなぁ兄ちゃん。この一回の綻びをどう捉えるかはアンタに掛かってる気がするぜ」
確かに……確率論を信じきって絶望しているよりも、僅かに縫われた一筋の光を手繰り寄せる努力の方が何倍も大事だ。
「アリー……どうしたら。いいこ。なれる?」
「ははっ! そーだなぁー。お嬢ちゃんは誰にとっての良い子ってやつになりたいんだい?」
「――くりしぇ!」
「そうだ。誰かのために頑張る、努力する、命を張る……これは並大抵の人間にできたぁー事じゃねぇ。だからこそ嬢ちゃんはその目的のために生きてみな」
先ほどまでの飲んだくれのイメージなどとうに忘れ去ってしまった僕達は、いつしかこの『占い師』の言葉に耳を傾けていた。
「――うん……アリーね。くりしぇの。ため。いきたい」
「よし。それを忘れんじゃぁーねぇぞ」
アリーの黒い頭をガシャガシャと撫でた彼は、僕の首元を見て少し悲しそうに呟いた。
「あと……おめぇさん……コルヴァニシュの衛兵じゃねぇだろぉ? なんでそんなもん持ってんだ?」
「これは……今朝ここに来る途中、偉い将官様にいただいた物です。この街は危険だからと」
流石に指名手配されている身であることは言えない。
すると、おじさんは鼻で嘲笑するように吹き出す。
「――ふっ……『第一聖旅団準旅団長』カインズにでも貰ったってか……?」
「どうして……彼の名前を……?」
「やっぱり今日か……いざ『×』が来るとなると怖ぇもんがあるなぁ」
「――?」
するとおじさんは何かを思い出したように腰を伸ばすと、皺皺な服のポケットをゴソゴソと漁り出す。
「――ほれ、これはほんの餞別だ。受けとんな」
手渡された皺くちゃの4万ヴァリア紙幣に目を丸くする僕達。
「な、なんですかこれ。受け取れませんよこんなの」
ギャンブル狂で名を馳せているこのおじさんが賭けに勝ったお金全てを渡してくるなんておかしな話だ。
「いいんだ。俺にはもう必要のねぇモンだし衛兵の犬共に回収されるのも癪だ……それならおめぇさん達に使ってもらった方がいくらかマシってもんよぉ〜」
「俺は長年この腐った街で腐った奴らに金を貰い、そして腐った上層階級に金を捨てていた言わば養分だ。そんでもって奴らは今回本気でそんな世界を破壊するつもりらしい」
「奴隷の餓鬼を働かせる悪どいカジノ、酒場。奴隷の女を娼婦として金にするゴミども……いつしか俺もそんな奴らに毒されちまってここまで来ちまった……。俺もいつしかそんな悪人の仲間になっちまったわけだ」
清々しく言い放ったおじさんは半強制的に紙幣を握らせて背中を向ける。
「今すぐこの街から出て行きな。嬢ちゃんの焼刻印からして黒―いお仕事をしてたのは見ただけで分かる。そんでもって今はコルヴァニシュの衛兵共は躍起になって『悪人』を探してる」
落ち始めた太陽が逆光となり、じめっとした暗かった路地にも光を落とす。
しかし、その白い光はどこか儚くも感じた。
「こんなんで捕まっちまえばさっき言った未来よりも酷い未来が国民を襲うぞ。オメェさん達が誰かの役に立ちてぇってんなら、この街から出て行け」
「――分かりました……どうかお元気で……」
「はっ……皮肉たっぷりだなこのやろー」
覚悟を決めたおじさんの真っ直ぐな瞳に押し切られた僕は皺くちゃな紙幣を握りしめると、大きくお辞儀をして路地裏を出る。
アリーの手を引きながら、決して後ろは振り向かない。
それがあの人が望んだ最後。そう思ったから。
「おじさん。さびしそう。だった。なんで?」
「そうだね……でもカインズ様が言っていたことは現実になりつつあるのかもしれない」
コルヴァニシュ。ホーンディア。
そしてアッサム。
マフラーに隠れながら街壁門に向かう間、僕の脳内にはこの三つがぐるぐると回っていた。
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