第24話 出血多量だと思います


「アリー……ナイフを下ろしてくれないかな? 僕は君の力になれるはずだよ」


「だめ。なかま。ぜったい。おって。くる」


「アリー。……」


 依然、僕の背中には冷たい金属の感触と微かに震える刃先を感じた。


「――分かった。どうせ僕は君を殺せない……」


 カキンッ!


 荷台の床に落とされた愛刀は金属特有の衝撃音を響かせながら横たわり、僕は彼女に背後を取られたまま降参した。


「――どう。して。もくてき。なに」


「僕は熟成屋……んー。簡単に言えばスキルで生んだ物で皆を豊かにしたいんだ。

 だけどそれ以上に君みたいな子供を一人でも多く暗闇から救い出したいと思っている。だから君とは闘えない」


「すくう……? アリー。みたいな。こども。たくさん。いる……?」


「うん。正直アリーがどんな人生を歩んできたのか分からないから何とも言えないけど、僕も昔君みたいに自分がと決めつけていたんだ。誰かに助けを求めること諦めてね」


「アリー。じんせい。おぼえて。ない。」


 僕は両手を高く上げると、ゆっくりゆっくりと震える刃先の感触を感じながら後ろを振り返る。


 そしてナイフの刃先を心臓に押し当てながら、彼女に問う。


「聞いてアリー、人間が生きる方法は決して一つじゃない。でも君達……いや僕達のように毎日を絶望の中生きているとそんな簡単な事にまで気付けなくなる……。そして僕は必ず君に新しい生き方を提示してみせる……。だから僕に君を救わせてくれないかな?」


 黒く澱んだ瞳、ボサボサでろくに手入れをしていないベタついた髪の毛。


 おそらく付着した血液をそのまま放置したからだろうか、彼女が僕の心臓に突き立てるナイフの剣身は銀では無く茶だった。


 赤黒く錆びついた付着物が何とも切れ味の悪さを表現していた。


「――みないで。アリー。わるいこ。だから。なぐられる」


「――アリー……それは仲間じゃない、君から何もかも搾取する悪党だ。君は決して悪い子じゃない」


 あの日、園長先生があいつの顎を砕いてくれなかったら僕も、こんなにも自己肯定が苦手な思春期を過ごしていたのかもしれない。


 すると、御者のおじさんの大きな声が聞こえてくる。


「おーい兄ちゃん! と……ちっこいガキンチョ! わりーがこのまま中継村の『ローザ村』に寄らせてもらうから準備してくれやぁ!」


 右手を矢で射抜かれているとは思えないハツラツ声に一瞬戸惑いつつも、こちらの状況を察知されないよう僕も声を張る。


「はーい分かりました! 女の子はさっきの襲撃が怖かったみたいで寝込んでいるので、おじさんと一緒に病院へ連れて行きましょう!」


「あいよぉ!ごめんなぁちっこいガキンチョ!」


「――なんで。アリー。つうほう。しない」


「言ったろ? 僕は君を救いたい。まぁー公的機関に保護を任せるのも一つの手だけど前科がありそうな君は即捕まってしまうからね」


 僕の苦笑いを見た彼女は口を丸く開けながら凝視してくる。


「くりしぇ……いい。ひと。?」


 そして馬車は徐々にスピードを落としていくと、小窓からは茅葺き屋根と煉瓦造りの街並みが少しミスマッチな小さな農村に到着した。


「わりーが俺は馴染みの医者んところ行ってくっから、テキトーに宿でも見つけてくれや! お代は後で『クラド商会』に請求してくれぃ!」


 怪我人とは言え、中々テキトーな事を言ってくれる……請求という事はここは自分で立て替えるしかないって事……。


 しかし、僕の所持金は5100ヴァリア……そして所持アイテムは天桜流刀てんおうるとうと……その他無し。



 これはまた参った状況だが、まずはこの目の前の状況を何とかしなくては……。


 本当に参った状況だ。

 なぜかというと?


 床に落ちた錆びたナイフと共に落ちる悲壮な彼女の涙が落ちていくこの状況が……?


 全くそこじゃない。


「っい……うっ……ううぅっ……」


 突然、大粒の涙を流し泣き出したアリー。


 でもそんな彼女を慰めるより先に口が勝手に開いた。



「――な、な、なんで……? 君はまさか……?」


 お辞儀をするような体勢で細い両の手で覆い隠された顔。


 右手の甲には焼刻印のようなものが見える


 そして、ボサボサな彼女の黒い頭部からは確かに『黒狼の耳』がぴこぴこと振れていた。


「――き、君は?」


 アッサム。


 その言葉を聞いた瞬間、アリーは頭を抱えながら大声で叫び出した。


「あああぁぁ!!! お、おかあさぁぁん! おっ……おとうさぁぁぁん!! きゃゃあああ!!」


「あ、アリー!!? どうしたの!? アリー!!」


 よろめきながら、荷台に積み込まれた木箱を散乱させていくアリー。


 先程までのほんわかとマイペースな喋り方とはかけ離れた掠れ声、そして見開いた黒い瞳は過去のトラウマを呼び起こしている。


「ご、ごめんなさいごめんなさい!! あ、あ、あああぁぁ!! やめて殺さないでお願い!! エル……ムスフィ……ア様。は。やく……」


 病的なまでに白い肌色を隠すように黒い毛皮が彼女の薄い体を覆っていく。

 みるみる形態変化していく爪は獣のように鋭く伸び、半ズボンの中からは漆黒の尾がだらんと垂れ下がる。


 ズタボロの服は破け、【生糸の羽衣】は音を立てる事なくヒラリと落ちていった。



 そして、完全に自我を失ったアリーは狭い荷台の中で『黒狼』へと変化を遂げた。


 ノアさんとは真反対とも言えるフォルムとその色合い。


 黒々としながらも高級シルクのような艶やかさを持つ毛並みは、『シダレの森』でのノアさんのようにフサフサ……。

 というより短く張りのある黒毛がスリムな体をなぞるように生えており、犬牙は意外にも短く、鉛筆のように細く長い爪を持つ前脚が特徴的なスタイル。


『がぁぐぐぅぅ……』


「アリー! 正気を保って! 僕は必ず君を助けてみせるから……だから落ち着いてくれ!」


 だ、だめだ……ノアさんみたいに自我を保った変身じゃないのか……!? これじゃ話のしようが……!


『――っがあああぁ!!』


 四足で立っていたアリーは荷台の天井へぶつけながらも前脚を振り上げる。


 そうなれば、この狭い荷台に逃げ場はない。


 アリーの黒々とした瞳は金色の眼へと変貌しており、その圧倒的威圧感に睨まれた僕は咄嗟に『あるもの』に手を伸ばした。



『がぐぐぁぁ!!』


 魔獣と化したアリーのフルパワーで振り下ろされた前脚は、僕の安物シャツなどお構いなしに破きながら腹部に痛々しい×印を刻んだ。


「――っっぐぁぁ!!」


 荷台に噴き上がる真っ赤な血潮が美しかった。


 なんて余裕をかましているのも束の間、そのコンマ数秒後には肩から腹部にかけ全てから伝達される激痛。


「――っく……がぁぁ……はぁ。はぁ……。ア、リー……これ……」



 どくどくと流れ出る失血、2度の人生でも感じたことのない激痛。


 ひょん事から急遽始まった世界放浪初日。


 その日僕は眠るように意識を失った。

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