第18話 『熟成屋』になろうと思います
歩き慣れた道なのにこの時ばかりは何故か遠く感じる。
「――はぁはぁ……良かった。まだ明かりがついてる」
白いレースカーテンに透け見えた明かりでまだあの親子が寝ていないことを確認し、一度深呼吸をする。
そして手に持ったアイテムをポケットにしまうと、木造の扉を軽く二回ノックした。
だが返答は無い。
しかし数秒後、家の中からこちらに向かう足音が聞こえてくるとソッとドアが開いた。
「――夜分遅くにすみません……少しいいですか?」
「クリシェ君……! どうしたのそんなに汗かいてまで」
淡い桃色のネグリジェ、愛用の丸眼鏡とベレー帽その他諸々の装飾品を外した彼女の姿はいつもの真面目な雰囲気よりも柔らかくそして可愛らしく感じた。
「あ、明日言おうと思ってたんだけど私やっぱり薬――」
「……」
「――ってクリシェ君聞いてる?」
ほのかに香る風呂上がりの香りと濡れた赤い髪に思わず気を取られてしまっていた僕は本来の目的を思い出す。
「そ、そうだ! お父さん! ラックさんはいらっしゃいますか!?」
「お父さん? お父さんならそこのテーブルに居るけど……」
スカイさんがドアを大きく開ける。
その先には、華奢な体に何か思わしげな表情を浮かべた男性がホットワインを静かに啜っていた。
「まぁとりあえず散らかってるけど入って。4月と言ってもまだ夜風は冷えるから」
「お、お邪魔します」
「――凄い……本で埋め尽くされていますね……」
「そうね。昔のお父さんの研究資料とか薬草の調合結果なんかが大半だけどね。普通の女の子の家とはちょっと違うかな?」
女の子の家に入るのは人生で初めてだった。
そして正直、女系家族ということもありガーリーで可愛い家具で揃えられた『女の子の家』を勝手に想像していた。
しかし実際は壁三面にびっしりと並べられた書籍棚、二人掛けのソファーとオレンジに光るランプを乗せた簡素な木のテーブルがあるのみだった。
「あ、リリは二階で寝てるから起こさないようにね」
食事後だったのかテーブルには使い終わった皿やマグカップを置いてあったが、スカイさんはすかさずそれらをまとめてキッチンへ運ぶ。
そして僕もテーブルへと向かい顔をほんのりと赤めらせたラックさんに挨拶する。
「夜分遅くに大変失礼します……少し『見て欲しい物』があってお邪魔しました……!」
するとラックさんはホットワインを啜りながら、対面の席に着くよう目線で合図をくれた。
「――ふぅ……いらっしゃいセルジレス君。私も君と話をしたいと思っていたところだよ」
そして、あったかいコーヒーを淹れてくれたスカイさんが僕の隣に着席すると、謎の沈黙がテーブルを覆った。
「それで……セルジレス君がこんな時間に我が家を訪れたのはどんな理由かな?」
沈黙を破ってくれたラックさんの言葉に呼応するように、僕はポケットにしまったおいた『見て欲しい物』をテーブルに置いた。
「――ふむ……」
「これ……な、なんでクリシェ君が……?」
赤い茎に五枚の紫葉を蓄えた薬草を見たスカイさんは息を呑みながら驚いている。
一方でラックさんは案外冷静な表情で静かに腕を組んでいた。
「スカイさん。こ、これは僕の【熟成】スキルから錬成したオトリナ草です……! どうか受け取っては貰えないでしょうか!」
「く、クリシェ君……! でももうそれは必要ないの! き、気持ちだけありがたく受け取っておくね!」
スカイさんは両手を前で振りながら譲渡を拒否する。
「た、たしかにあの時スカイさんが手に入れたオトリナ草ではありません……しかし10日前、スカイさんは僕の応援を受け入れてくれたじゃないですか……そして僕の持つ【熟成】スキルが人の役に立つと教えてくれたのはスカイさんでした……!」
「だ、だ、だからね! もう必要無いっていうのはね……!」
「期日内に持ち帰られなかったのが運命だと言うのなら、僕の応援を受け入れたのも紛れもない事実だと思います……。だからどうか受け取っていただけませんか? たとえ――」
「――すまないセルジレス君。少し娘の話を聞いてはくれないかな?」
ラックさんの優しい囁きを聞いた僕は、咄嗟に言葉を引っ込める。
「す、すいません……取り乱しました」
白い湯気がユラユラと揺れるコーヒーを口に含んだ僕は熱くなった心を一旦落ち着かせる。
スカイさんは乾いた咳払いすると僕の方に向き直しこう言った。
「私、薬医になっていいって言われたの……!! 玄関でも言おうとしたんだけどクリシェ君聞いてなかったみたいだったから言いそびれちゃった」
「……だって……」
衝撃的発言に空いた口が塞がらない。
「以前話した通り、私はスカイの薬医になりたいという夢は否定していなかった。しかし薬医という常に『死』と隣り合わせの職業をスカイが本当に理解しているのかが疑問だっただけなんだ」
「しかしスカイから聞いた話によれば、一度は手に入れたオトリナ草をあろうことか罪人のために使ったそうじゃないか」
「はい。娘さんは一切の躊躇いなくオトリナ草を処方しました……。
するとラックさんは少し照れたように笑い、椅子の背もたれに寄りかかった。
「それを聞いたときに確信したんだよ。この子は『命』を扱う恐ろしさとその『命」が持つ不可逆性をしっかり理解していると」
「命の不可逆性……」
「ああ、私はその決して取り戻せない命と向き合う事に恐れ慄き逃げた人間だ。しかしそんな私を反面教師にしたこの子はそれを十分理解しているのが分かった……それだけで薬学の神に愛される資格を有していると思ったんだよ」
お父さんの言葉にスカイさんはまたもや瞳に涙を浮かべる。
「わ、私こそ…こないだは酷い事言っちゃってごめんなさい……お父さんは最後までお母さんの病気を治そうと研究していたっていうのに……」
「いいんだ。私こそお前の薬医としての覚悟や決心を疑ってすまなかった……」
ずっといがみ合っていた娘父の涙ぐましい感動的な和解の瞬間。
一方で蚊帳の外になった僕はそっと『運命を司る薬草』をポケットのしまい、コーヒーを舐めた。
こうしてスカイさんは晴れて世界一の薬医になるという夢に一歩踏み出せたのだった。
――月に照らされたレンガ道をゆっくりと歩く。
石畳を踏みしめるように歩くスカイさんを僕はただ後ろから眺めていた。
「でもよかったですね! 薬医になることをお父さんに許してもらえて」
「うん……! クリシェ君も色々とありがとね! さっきの話なんて正直感動しちゃったよ。あんなに必死なってまで私の夢を応援してくれてたなんて思わなかったから」
「いえいえ。『人の役に立ちたい』それが僕の生き方ですから」
するとスカイさんはピョンとジャンプしながら振り返る。
「それで!? クリシェ君はこれからどうするの!?」
さっきまでとは打って変わって月に輝く満面の笑顔。
ああ、やっぱりこの人には泣き顔より笑顔の方が似合うな。なんて使い古された言葉を心に浮かべる。
「そうですね……僕は【熟成】スキルを使って、人々の生活を陰から支える『熟成屋』になって世界を放浪したいと考えてます」
「じゅくせい……や? ふふっ! なーんかクリシェ君っぽい素直なネーミングだねー。それで詳しくはどんな事を?」
「世界中を回って、貧しい人々や恵まれない子どもたちの持つ道具やアイテムを僕の【熟成】で成長し、レベルアップさせてあげたいです……」
「ただの木の棒がSSRランクアイテムに化けたように、どんなアイテムや人間も丁寧に磨いてあげれば必ずダイヤのように輝けますから。僕はそんな人助けが出来る『熟成屋』になりたいです」
「ふーん……ずっと気になってたんだけどさ。なんでクリシェ君はそこまでして人の役に立ちたいの?」
静まり返った街路に小さく響く素朴な疑問。
「うーん。そうですね……多分僕の命の恩人からの影響だと思います」
「――恩人?」
「僕を救ってくれた恩人の口癖でした。困っている人を助けるのがカッコいい男の生き方だって」
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