第12話 高ランクアイテムの熟成をしたいと思います


「お兄ちゃんどうしたのー? 砂場であそんでたの?」


 砂場か。

 武具を持って追いかけてくる大人達や人を丸呑みできる蛇がいる砂場は二度とごめんだな……。


「う、うんそんなところ。リリはなんでこんな時間に僕の家へ?」


「そ、それがね……うんとね」


 歯切れの悪いリリは何か強い思いを胸に持っていそうだった。


「――おねえちゃんとお父さんがケンカしてるの。だからおにーちゃんのところに行っとけっておねえちゃんが」


 おそらくは昨日話してくれた聖姫旅団エルランに関しての喧嘩だろう。


「そっか。でももう遅いから一緒に帰ろ。多分お姉ちゃんとお父さんも仲直りしているはずだよ」


「うん!」



 満月に照らされた静かなレンガ道、歩幅が違う二つの足音はコツコツと音を鳴らしながら歩いていく。


「おにいちゃんはいっつもやさしーね!」


「どうしたの突然……それに僕は優しくなんかないよ?」


「じゃあ怖い……?」


「どうかなー。リリがいい子にしていたら怖くないと思うよー?」


「じゃあリリいい子にする!」


 目を輝かせて意気込むリリ。


 そんな妹のように思う子との微笑ましい会話。


 しかしこの時、僕の胸にはが流れ込んでいた。



「おとーさんただいま」


「おぉ。すまん……リリ怖い思いをさせたね――そ、そちらの青年は?」


 スカイさん家の前にポツンと設置されたベンチに座る一人の男性。


 酷く痩せこけた初老の男性は泥だらけの僕を不思議そうに見つめる。


「初めまして、クリシェ・セルジレスと申します。スカイさんやリリさんの薬草集め仲間をさせていただいています」


「私はスカイとリリの父親であるラック・バラシアだ……。セルジレス……あの衛兵聖団大将だったコルラン殿の息子さんか……?」


「ええ。父の事をご存じで?」


 痩せ疲れた男性はおぼつかない足腰で、なんとかベンチから立ち上がる。


もこの国で暮らす人間で君のお父様の名前を知らない者は居ないだろう。さぁリリ、お風呂が沸いているから帰ろうか……それではクリシェ君ここで失礼させてもらうよ」


 僕と繋いでいた手をあっさりとお父さんにシフトチェンジしたリリは、振り返りながら手を振る。


「ばいばい! おにいちゃん!」


「うん。またねリリ」


 細い手に引かれ家に入ったリリを見送った泥だらけ僕。

 その不恰好さにようやく恥ずかしさを覚えた僕はすぐさま家へと帰った。



「ふー。つ、疲れた……」


 泥落としの風呂から上がり、疲れ切った僕はそのまま軋むベッドへとダイブ――! するわけにもいかなかった。


 疲れきった体に最後の鞭を入れ、庭の水道で泥だらけの服を手洗いする。


「それにしてもあの人がスカイさんのお父さんか……なんかイメージと違ったな」


 エリート部隊である聖姫旅団エルランへの入隊を押し付ける父親と言うからゴリゴリマッチョな脳筋おじさんだと思っていたけど、あんな温和そうなお父さんだったとは……。


「はぁ。肝心なオトリナ草も見つからなかったしなぁ……侵入がバレた『シダレの森』は監視が強化されるだろうし」


 あそこまで派手に暴れた上に逃亡する姿を見られた僕だ。『シダレの森』以外の生育地を見つけるしかない。


 美しい満月の夜空を仰ぎながら手洗いしていると、ズボンのポッケに入った『石』に気づく。


 手のひらサイズの『石』を取り出すと、降り注ぐ月光に輝く宝玉が出てきた。


「これって……。巨大蛇のドロップアイテムだっけ」


 正直このまま宝石店に売りに出せばそれなりの価格をつけてもらえると思う。

 借金を返し終わったとはいえこの古びた屋敷を維持しながら生きていくにはお金が必要だ。


「でもなぁー……もし万が一宝石店の人にどこで手に入れたかバレたりすれば一発アウトだもんなぁー」


 今すぐにでも売りに出して今月の家賃の足しにしたい気持ちをグッと抑えた僕は、渋々『サック』を召喚した。


《アイテム登録完了 直ちに熟成を始めます》


 【登録アイテム】

 ・輪廻蛇の欠魂玉クインテッド[A−]


《熟成中物品2/5 残り熟成可能枠3》


 !! 

 嘘だろ……こんな高ランクアイテムを熟成してしまうなんて。

 無理やりにでも売っていれば三ヶ月は生活に困らなかったのに……!!


「はぁ。まぁ熟成の失敗だけはない事を願うしかないか」


 洗濯を終えた僕は、せっかくの高ランクアイテムを【熟成】という博打に投じてしまった事を延々と後悔しつつベッドに入った。


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「――オラ! オラ!」 


「なん舐めたことしとるやー? こんくそガキがぁ」


 安酒が盛大にこぼれた床に押し倒された僕の体はいつもの通り動かない。

 いや、動かさない。


 無理に動けばこの男の理不尽な怒りに油を注ぐ。


「けんじー。コイツこないだ児相にウチらの事チクろーとしとったけんボッコボコにして良かよー。ほんと、なんば考えよるとかね。を犯罪者にでもしたいっちゃろうかねー?」


 ボロボロになったランドセルを潰すように座り煙草を蒸す女。

 ショッキングピンク色のガラケーにぶら下がる大量のストラップ人形がこの女の拙い脳みそを反映していた。


 意識がなくなるまで続く虐待。

 これが僕の人生なのだと何度絶望したことだろう。



『ピンポーン』


 ガチャリと開いたアパートの扉の先には人影が立っていた。



――」



 その瞬間、革靴で蹴り上げられた暴力男の顎は完全に砕き割られ、そのまま気絶した。


 その光景を目の当たりにした虐待女はパニック状態で何か叫んでいる。


「もう大丈夫だよひたち君……。助けに来たよ」


「――た、助け……? な……んで?」


 玄関から入ってくる赤い夕日が逆光となり顔はほとんど見えなかったが、この男性が発する温かく低い声は怯えきった僕の心をゆっくり溶かしていった。


ひたち君……『困っている人が居れば何がなんでも助ける』これこそがカッコいい男の生き様ってものだよ」


「――人……助け……?」


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「――また園長との夢……」


 悪夢のせいで汗だくになった体を朝風呂で綺麗さっぱり流した僕は、早朝から朝市へと向かう。


 お母様が亡くなって以来久しぶりの朝市という事もあって街の皆から声をかけられる。


 しかし、それは慰めや同情といった類ではなくあくまでも通常運転の皆だった。


「おうクリシェ! いまから礼拝堂の修理すっから手伝ってくれや!」

「はい!」

「クリシェくーん。壁のペンキ塗りしたいから脚立押さえてー」

「は、はい!」

「発注間違っちゃってこんなに大量のみかんが届いたの!! お願いだから一緒に叩き売りしてくれないかな!?」

「――はい」



 街の皆からの怒涛のお願いを叶えているうちにしっかり陽は落ちており、今日の売り上げはなんと僅か400ヴァリアほど……。


 市場から家まで続く住宅街。

 家家から溢れてくる晩御飯の容赦ない良い香りが僕の鼻腔とお腹を刺激してくる。


「我慢しろ……今日の稼ぎで贅沢は言っていられないぃぃ……」


 鼻をつまみながら急いで家に帰ろうと決意した瞬間。


 前方から聞き馴染みのある女性の声が聞こえた。


「――もう知らない!! お父さんがそんなんだからお母さんは死んじゃったんだよ! この!!」


 閑静な住宅街に響く物騒なセリフ。

 玄関から飛び出た丸眼鏡の女性の姿を目で追った。


「スカイさん……?」


 一方、玄関先には走り去る娘の背中を悲しげな目で見つめる男性の姿が。


 そして思わず立ち止まっていた僕を見つけた男性は軽く会釈してきた。


「ははは……これはお恥ずかしいところを見せてしまったね……」


「ラックさん……」

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