Bボタンでこうげきだ!

 外は洗われたように爽やかな朝だった。出発の直前ユカリエルが持たせてくれた着替えやらスマホやらの雑多なものが詰められたナップザックを自転車に備え付けられた籠に放り込む。

 学校に行かなくて良いのかとかどんな規模のコスプレ大会なのかとか細かいことはもう気にせず、自転車での九州一人旅を楽しむことにしよう。気持ちを振り切るとなんだかワクワクしてきた。

「それじゃあ行ってきまーす」

「魔物に気をつけるのよー」

「はーい」

 カシャン!と景気の良い音を鳴らしてペダルが回り始め、勇者の体を南へ運びだす。目指すは南の町ミヤーザ。

 風が心地よく肌を撫で始める頃、知った顔を見かけた。玄関前を掃く女性に声をかける。

「おはよう、龍介のおばちゃん」

 おばちゃんも頭巾をかぶってRPGの登場人物風の格好だ。

「あら、ユカリエルさんところの勇者さん。おはよう」

 この徹底ぶりである。しかし良いことを思いついた。

「あ、ああ。おはよう。龍介いる?今から自転車旅行行くんだけど一緒にどうかなーって」

「……あ、ごめんね……龍介は……その……」

 おばちゃんの顔がサッと翳る。そして俺の近くに寄り、耳打ちをするように小声で話した。

「配下の魔物に聞かれちゃうとまずいんだけど、龍介ね、魔王を倒すんだってオカフクに行っちゃったの」

「ええっ⁉︎一人で出てったんですか⁉︎」

 気分がノってきたぞ。全くそいつは何とも重大な事件だ。

「そうなの……止めたんだけど聞かなくてね……あっという間に音速ハリネズミ号に乗って……」

 弱々しく笑顔を浮かべる。少し痛々しく見えた。

「でもきっと大丈夫よ。直前に怖くなって逃げ出して無事に帰ってくるわ」

 俺も笑顔を返すことしかできなかった。自転車は再び走り始める。


 南へ南へ進み、山道へ入る。太陽が真上から照らして、地面にキラキラと木陰が輝いている。

 と、そこに。

「ウオオオオー……」

 道に君の悪い化粧でボロボロの服を着た男が唸っていた。

 減速して左脇を抜けようとしたその時だった。

「ウオオ!」

 自転車ごと突き飛ばされる。バランスを崩し、体が力が入り強張ってうまく動かない。マネキンのように湿った地面の上に投げ出された。ヤバいおっさんだ!!

 追撃をするつもりなのかゆっくりと近づいてくる。じゃり、じゃり、と割れたコンクリートの道が擦れる音が後ろから地面を伝って耳に響く。このままではヤバい。

 擦りむいた脚と手のひらに血が滲む。傷口が熱い。枯れ葉を掴むようにして、自転車の下から足を抜いて這い出る。焦りからか喉を通る空気が灼熱に感じられた。自転車を挟んでおっさんから離れ、籠からナップザックを掴む。足がもつれる。滑る。振り返るといつのまにか離れた位置まで来ていた。


 どうする。


 自転車がなければ帰ることも進むこともできない。しかしその自転車のすぐ隣には明らかな狂人がいるのだ。

「そうだ……」

 スマホがあったはずだ。あれで連絡をしてユカリエルに迎えに来てもらおう。

 ナップザックに手を突っ込む。目線はおっさんから外せずにいた。ごちゃごちゃと掻き回し、手についたものを引っ張り出す。

 それはグローブだった。


 そうだ。向こうが先に手を出したのだ。掌と脚の熱は偽物じゃない。だったらやるべきことは一つではないか。このままで許してなるものか。

 グローブを手の水掻きが裂けんばかりに深く嵌め、手首の留め具をキツく閉める。両腕をボクサーのように顔の前で構えて思わず叫んだ。

「魔物コノヤロー!ぶっ飛ばしてやるからな!勇者なめるんじゃねえぞ!!」

 おっさん、いや魔物に向かって全力疾走する。その後のことなど頭に浮かばない。最初の一撃は全力の体当たりだった。

「うおおおあああああ!!!」

 重なり合って地面に倒れる。魔物の動きは鈍い。腕を振り回してとにかく起き上がる。何発かどこかに当たったようで敵は低く呻いていた。

 素早く腹の上にのしかかり、顔面を思い切り殴りつけた。続いて二発、三発と殴りまくる。もう無我夢中だった。


 一時間近く殴り続けていたような気も、ほんの数分だったような気もする。呼吸も忘れて必死だったせいか頭が少しぼんやりとしていた。自分の正面で顔を晴らした男がぐったりと伸びている。

 そんな俺の意識を引き戻したのはどこからか降ってきた麻袋だった。

 チャリンという金属音がなる。直感的に中身がお金だとわかった。勝ったのだ。

「ぅうおおおらあああああ!よっしゃああああー!!」

 タイトルマッチを制した様チャレンジャーの様に両手を高く掲げる。

 レベルの上がった音はしなかったが俺の中で明らかに強くなった感覚があった。


 所持金が12G増えた。

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