33、まさかあの男を心配しているのではないでしょうね?

 見守る貴族たちは「もしや、グレイスフォン公爵は水魔法に自信がない?」「使えない……?」「まさか、そんな」「なんで健康によいの?」とざわめいている。


 この国では、魔法が使える者のほうが数が少ない。


 火属性の使い手はだいたいランヴェール派の血を持っていて、水属性の使い手はゼクセン派の血統だ。

 そして皇族には両方の属性を持つ者がかなりの確率で生まれる。

 理由としては、神が皇族を二派を統べるおうとして認めたのだとか、単に婚姻で血を混ぜた結果だとか、色々言われている。

 

 由緒正しき血統であっても魔法の才能がない者は当然いるので、炎が使えないランヴェールもいるし、水が使えないゼクセンもいる。皇族の中にも魔法が使えなかったり、片方の属性しか持っていない者もいる。


 しかし、次期皇帝になるための皇位継承権はかならず水と火の両属性を持っていないといけない、というのが帝国の法で定められている。

 

 そして、イゼキウスは生まれてからずっと「両属性あるぞ!」と言い張って皇位争いに身を投じていたのである。

 それが今さら「水属性がない」とわかると、当然「今まで騙していたな!」と罪に問われてしまうのだ。もちろん、皇位継承権は絶対にはく奪される。


「継承権がなくなってしまうのではないかな、イゼキウス」

 エミュール皇子は確信を抱いた表情だ。

 

(バ、バレそうになってる……っ!)

 

 ディリートはハラハラした。


(待って。焦る必要はないでしょう、私は? ここは喜ぶ場面でしょう、私の立場なら?)


 なのに、謎の焦燥感がある。

 

(助けようと思えば、助けられるのではないかしら?)


(待って。私は彼を処刑台に送りたいのでしょう? 水属性がないことも、バラしてやりたかったはずよ?)


 相反する思いがどんどん湧いて、自分の中で戦っている。ディリートは困った。

 

「ディリート?」

 ランヴェール公爵が名を呼んで、顔を覗き込んでくる。

 

「そなた、まさかあの男を心配しているのではないでしょうね……?」

「!!」

 

 ディリートはビクッとした。

 ぎゅっと目を瞑って首を振ると、夫は戸惑いがちに背を撫でた。


「そなた、まさか……『助けたい』とは、言わないでしょうね……?」

 

 そんなことは言わないでほしい、と願うような声が、ディリートの胸を締め付けた。


「あ……あなたは、公爵様は……私を」

 何を言おうとしているのか。ディリートは言葉を飲み込んだ。

(お見通しなのですね?)

 胸が痛む。

(私がイゼキウスを助けたいと思うかもしれない、と、思っていて……実際、その通り……)

 

 なんて残念な現実だろう。

 なんて残念な自分だろう。

 ディリートは肩を震わせた。

 

「私は、あの男が嫌いなのですよ? ……こうやって、そなたの心を揺らすから」

 夫の切なそうな吐息に、ディリートは泣きそうになった。

 

 ディリートが万一「助けたい」と言えば、もしかしたら助けるのかもしれない。そんな気配が少しだけある。それが、胸を打つ。

 

「とてもとても、嫌いなのですよ……? ……ええ、嫉妬です。嫉妬ですとも……けれど、そなたが望むなら……?」


 自分は嫌いなのだ、助けたくないのだ、と自分の心を苦しそうに素直に伝えてくる。

 でも、助けてと言えば助けてくれるのだろう。嫌だと言いつつ、望むなら助けてもよい、という気配なのだ。

 そんな夫に、胸がキュッと締め付けられる。

 

 こんな声で、こんなことを言わせた。

 

 この「高位貴族の余裕」や「模範」を意識して心を律して、「ランヴェールの当主」として振る舞っている男に。

 「感情をむき出しにして余裕のないところを見せたり、嫉妬をあらわにするような男は、みっともないか」と問いかけるような青年に。


 ……言わせてしまった。言わせてしまった!


「し……心配なんて」

 している。

「していません」

 嘘を言っている。

 

 ディリートは声を震わせて、目の前の夫にしがみついた。


『負けたいときもあります』

 ――夫の声が、心の中でよみがえる。  


「心が揺れたりなんて、していません」

 

 自分が愛しているのは、尽くしたいと思うのは。

 歓ばせてあげたいと思うのは。安心させてあげたいと思うのは。

 ――目の前の夫だ。アシルだ。


「彼を助けてと言ったりしません。あなたに嫉妬させて、苦しめることは、しません」 

 

 ……けれど、イゼキウスは死んでしまうのではないか。

 あんなに罪がある。あんなに罪深い。反省だって、していないのだ。


 ――処刑台に送りたかったのに、どうしてそんなことを考えるのか。


「私、彼を処刑台に送りたかったのですわ。あなたもお聞きになられたでしょう、私は彼を憎んでいて、最初から騙してやろうと思って近づいたのです」


 ……それは、真実なのに。


「なぜ?」

 

 ランヴェール公爵は、ぽんぽんと背中を優しく叩いて問いかけた。

 以前、初めて炎に取り乱したときに聞いたような、子供をあやすような声だ。


「なぜ? なぜです? ディリート?」

 

 その奥には、未知への探求心のような感情と、自分の無知を悔しがる感情がある。

 

「普通に接したのでは、そんなに彼を憎むようにならないでしょう? 彼がそなたにいろいろ教えたというのは、いつです? そなたの心には、いつもあの男がいるではありませんか? なぜ? ……ああ、怒っているわけでは、ないのです……」

 

 ことさらに優しくあろうとする声が感情を持て余すように掠れて、首を振るのがわかった。

 

「私はただ、悔しい。妻の心を奪い、妻にいつも気にされている、……そなたにとって大きな存在であるあの男が、妬ましい……」


 

 ディリートが言葉を探したとき、耳に『客人』の声が届いた。

「第一皇子殿下。年下の従兄弟をそういじめるものではない。ウサギが見たいなら、ほら」

 『客人』がその場に割って入り、水のウサギを魔法で作り出している。

 

「火の輪くぐりをさせてほしいのだったか?」 

 『客人』は楽しそうに笑い、手を振った。すると、火の輪があらわれて、場は騒然となった。


「火と水、両方を……!?」

「皇族席にいたのでもしかしたらと思っていたが、皇族の方なのか?」

「知らないぞ……」


 ざわざわとした場を落ち着かせるように、皇帝は手を振った。

 

「どうも第一皇子は罪人を裁いてほしいらしい。そして、継承争いを気にしているのだな」


 皇帝がそう言うと、エミュール皇子は期待の眼差しを父に注いだ。

「ええ。……ええ、そうです。父上! 父上がなすべきことをなしてくださるなら、私が出過ぎたアリさんみたいな真似をする必要はそもそもないわけです!」

 

 出過ぎたアリさんとは一体? 臣下たちが首をひねる中、父皇帝は、第二皇子に視線を移した。

 

「第二皇子はどう思う」


 第二皇子は、エミュール皇子に味方した。


「父上、罪が野放しにされる世の中では、罪人が得をして、真面目に生きている者が損をしてしまいます。世の中は乱れる一方でしょう。裁かれるべき罪を裁くことは、大切なことなのではありませんか」


 皇帝は眉を下げ、隣に立つ『客人』に合図をしてから「ならば父も黙ってはいない」と声を響かせた。

 


「カッセル伯爵。そしてゼクセン公爵も。前に出るように」



 呼ばれたカッセル伯ブラントは、「えっ」と間抜けな声を響かせた。


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