19、俺のポエムを超解釈するな

 イゼキウスは、ディリートが知らなかった情報をいくつも語った。

 

 例えば、皇室に伝わる『選ばれし者にしか抜けない聖剣』を抜くつもりだとか、レイクランド卿の子供を人質に取っていて、なかなか可愛いとか。

 

「ティファーヌっていうんだ。俺のことをパパって呼んだんだぜ。笑えるだろ。俺、絵本を読んでやったんだ」

  

 調子に乗ってペラペラと語られる情報の中には、恐ろしい事実もあった。


 病は、ナバーラ国が特殊改良した植物が原因だというのだ。


 ――この男は、のではなく、のだ。

 

「花粉だよ。花粉を吸いこむと、少しずつ体がやられるのさ」

 イゼキウスはそう言って得意げに口の端を持ち上げた。


(人が何人死のうと、まったく心が痛まないのね? イゼキウス?)

 

 悪びれない顔に、ディリートはどこか安堵する。

 

(あなたがそんな風だから、私も安心してあなたを騙せるわ)


「俺に選ばれた奴だけが生きられる。まるで神だ。最高だろ?」

 

 イゼキウスは小瓶を取り出した。耐性が得られる薬らしい。

 

(一度目の人生では、もらった記憶がない。私は選ばれてなかった……この男に、死んでもいいと思われていた)

 

「ええ、素敵ねイゼキウス。そんなあなただから、神に選ばれたのね」


「ナバーラ国の黒太子の策略さ。夫人……、ディ……」

 イゼキウスの耳が赤く染まり、くちびるが音をつむぐ。


「ディリート」


 そう呼びたいのだ、と瞳が訴えて。

 拒絶されたら嫌だな、と気にする色をチラりと見せる。

 ――まったく、わかりやすい男だった。

 

「いいだろ」


「ええ」


 ディリートが頷くと、イゼキウスはホッとした様子で小瓶を渡した。


「俺のジャンヌ……ディリート。お前が俺を選ぶように、俺もお前を選んでやろう」


 ディリートが小瓶を懐に仕舞ったとき、窓と扉の外から騒がしい声があがった。


「か、火事だ!」

 窓からは、そんな声が。

「ここはお通しできませ……ああっ!?」

 扉からは、そんなレイクランド卿の悲鳴みたいな声で扉の開く音、そして複数人の足音が。


「な、なんだぁ?」


 扉から部屋の中に人が入ってくる。

 並々ならぬ緊張感をたたえた聖職者と、兵士。そして。


「公爵様!?」


 長椅子の上で身を寄せ合う皇甥と妻――不倫現場としか言いようのない部屋を無感動に見つめるのは、鳥に似た仮面と黒衣装のランヴェール公爵だった。


「なんだその仮面。不気味だな」

 イゼキウスが率直な感想をこぼしている。

 

「グレイスフォン公爵殿下。いらっしゃるとお聞きしたので、ご挨拶に参ったのです」

 

 ランヴェール公爵は、つるりとした平坦な声で挨拶をした。

 

 そして、配下に命じて荷箱を部屋の中に運ばせた。ひとつ、ふたつ、十、二十、五十、百……うんざりするほどの荷箱は部屋の隙間を埋めつくすように、どんどん運ばれた。無限に運ばれた。

 

 イゼキウスが「なんだこの箱は!? おい、もう入らねえよ! おい、俺が埋まるだろ!」とツッコミを入れても止まらなかった。部屋に踏み込んだ聖職者と兵士が「入るところがなくなったのですが」といった顔で外に出ていくのが、シュールだ。


「奥様、こちらへ」 

 さりげなくロラン卿が手を伸ばして、イゼキウスの手からディリートをさらっている。


「な……なんなの」

 

 爽やかな果実の匂いがする。

 イゼキウスは手近にあった箱を開けて、中にぎっしり詰まった葡萄を見て絶句している。


 ランヴェール公爵は箱まみれのイゼキウスへと恭しく告げた。

 

「グレイスフォン公爵殿下の困窮ぶりには、このアシルも胸を痛めております」

「は?」


 お前は何を言っているんだ、イゼキウスの眼がありありとそんな感情を浮かべる中、ランヴェール公爵は優雅にポエムを唱えた。

 

「口に出してはならぬ想いがあふれて止まらない。だが、忍ぶのをやめる俺を天下の万民は許すがよい。『お前は風車をまわす風に乗って隣人の葡萄を盗め』と心が張り裂けんばかりに叫ぶので、俺は困っている。母なる大地に誘われるこの心をどうしようか……ママ……!」


「そ、それは俺の」

 

 恋文ではないか。

 イゼキウスが赤くなる。 


 ランヴェール公爵は、重々しく真剣な調子で言葉を続けた。

 

「妻の実家からの手紙に紛れておりました。このアシル、殿下の手紙の示唆しさするところを察するために、有識者を集めて討論会をひらいたのでございます。皆、『解釈の余地があり、奥深い』と興味津々でございました」

 

「お前は何を言っているんだ……?」


「我々は、ひとつの結論に達したのです。殿下のご気性からすると、実はシンプルに『空腹で葡萄を食べたい』と仰せなのだと。殿下は……飢えに苦しんでおられるのだと」

 

「!?」

 

「いと高貴なる皇甥殿下が葡萄を盗みたくなるほど空腹でおられるとは、帝国の民も恥ずかしくてたまらないことでしょう。国家の恥をなんとかすべく、このアシルは葡萄を殿下にお召し上がりいただこうと思いまして」

 

「お、お、お前は何を言っているのだ。俺が空腹で葡萄を盗みたがるわけないだろ! 勝手にポエムを超解釈するな!」

 

「せっかくなので領民にも料理とポエムを振る舞い、葡萄パーティをしようかと」

「俺のポエムを振る舞うな!」

 

 ディリートが見守る中、ランヴェール公爵は「以上」と話を締めくくり、ロラン卿と交代するように妻の肩に手を置いた。


「おや、こんなところに私の妻が。妻は敬虔な信者なので、教会にいるのもおかしくありませんね。こうして外出先で偶然会うのも、良いものです。夫婦とは縁深いものなので、離れていても偶然会ってしまったりするのですね。せっかくなので、一緒に我が家に帰りましょう」


 憤るイゼキウスに、聖職者が声をかける。


「殿下、葡萄の件はよくわかりませんが、わたくしどもも殿下に至急の用がございます」


 聖職者は、ハンカチを見せた。

 

(あっ……イゼキウスのハンカチだわ)

 ディリートはハンカチの刺繍にギクリとした。

 

「禁じられた聖域に侵入した賊が落としていったのです」

「俺は知らんぞ!?」

「外でボヤ騒ぎを起こした共犯者らしき者も同じ刺繍のハンカチを」

「いや、おかしいだろ!? わざとらしいだろ!?」

 

 鳥の仮面をつけた不気味なランヴェール公爵は、無感動に妻を抱き上げて、誰も聞いていないのに解説を加えた。

 

「ちなみに、こちらの騎士はロラン卿といい、妻にミンネを捧げる男なのです」


 ロラン卿は何かを諦めたような顔で薔薇の花を一輪取り出し、「本日は教会でずっと奥様を護衛しておりました。夢のような時間でした」とわかりやすく嘘をついている。

 

「私としては、こういった騎士との火遊びは好ましく許す余裕を大切にしたいと考えております。騎士のミンネを黙認するのは、上流の気風といえましょう。私は寛大な男なので、嫉妬などしないのです。それでは失礼」


 ディリートは背後で騒ぐ聖職者とイゼキウスに呆然としつつ、自分を運ぶランヴェール公爵にささやいた。

 

「あ、あのう……」

「なんでしょうか?」


 夫はいつものスローペースを忘れたように、食い気味に反応を返してくる。


(謝るべき? 言い訳をするべき?)

 ディリートはソワソワと言葉を探した。なにせ、浮気現場としか言いようのない密着具合を見られたのだ。

 

「ご……ごめんなさい……?」


 仮面の奥でシトリン・クォーツの瞳が瞬く。


「そなたには、ランヴェールの土地で愛されている言葉を教えましょう……『謝ると負ける』と」


「ふぇ……」


「そなたに謝らせたのは私の落ち度なので、私は詫びましょう。つまり、私の負け……本日、私は負けたのですね」


 仮面の公爵はマイペースに意味不明なことを言いながら、妻を抱えて馬車に乗り込むのだった。

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