20、家族の命が惜しければ、勝利するように

 騒がしい教会からの帰り道、馬車の中。

 向かい合って座るランヴェール公爵は、ロラン卿から没収したとげなしの薔薇をディリートの髪にさして「似合う」と呟いた。


「そなたは、明るい色のドレスがよく似合いますね」

「公爵様は、こういったドレスがお嫌いだと思っていましたわ」

「私はドレスではなく、ドレスを着たそなたを好ましく思って褒めているのです」 

  

 ランヴェール公爵の金髪は以前と変わらずキラキラとオレンジ色の光を魅せていて、美しい。

 ディリートは思わず気になっていたことを言ってしまった。


「私は、公爵様にも明るい色がよくお似合いだと思っていましたわ。白なんて、特に。なのに、最近は黒ばかりで、どうしてかしらと思っていたところです。それに、その仮面が私の趣味というのはどういうことでしょうか?」


 すると公爵は驚いたように「そなたが黒を好むから」とか「私の顔が好ましくない様子で、いつも視線を逸らしていたから」と言うのだ。


「わ、私は黒が好きというわけではないですし、あなたの顔は好ましく思っていますわ。ただ、あまり鑑賞されるのは嫌だろうと思ったからでしてよ……」

  

 話せば話すほど、知れば知るほど、この夫は怖くないのだ。

 自分たちが仲の良い夫婦だ、と言って喜ぶ男なのだ。浮気現場を見ても、謝らなくていいと言って自分の味方をしてくれるのだ。


 ディリートはイゼキウスと話して獲得した情報を思い出して、打ち明けることにした。

 

「あのう。実は、レイクランド卿には、ティファーヌちゃんというご令嬢がいるようなのです。その子は、イゼキウスに人質に取られていて、この近くに捕らわれているようなのですわ」


 ディリートは声をつむいだ。


「イゼキウスはナバーラ国と繋がっていて、レイクランド卿は……なんでしたかしら、名前……コレチャウワの戦いでしたかしら。その戦いで、わざと捕虜になるのです。エミュール皇子殿下に身代金を払わせて……」


「コレチャウワの戦い……?」

 ランヴェール公爵が不思議そうに未知の単語を繰り返している。


「北に河があるのですわ。そこでこれから戦いがあるのです」

「北の河? コスレチャウ河ですか」

「な、名前は間違ったかもしれませんが、戦いがあるのです」

「ふむ。河の名前は明日からコレチャウワ河に改めさせましょう」


 この夫が言うと本気に聞こえる――ディリートはリアクションに困りつつ、言葉を続けた。

 

「それと……外来花が毒なのですわ。花粉です。この小瓶の中身は耐性のつく薬で……」


 夫は伝えれば対応してくれるだろう。

 一度目の人生で死んだ人たちが助けられる。未来が変わる――そんな確信を胸に、ディリートは花の名前を伝え、小瓶を渡した。


「ひとまず、レイクランド卿の令嬢をお助けするのが先かと……」

 

 言葉を探るディリートは、ランヴェール公爵の仮面の奥の瞳が不思議な生き物を見ているような顔で自分を見つめていることに気づいた。


「そなたは、間諜スパイの真似事をしてきたのですか」


 ランヴェール公爵の声は、どことなく嬉しそうだった。


「つまりそなたは、別にあの男が好きなわけではなく、あの男が自分に目をつけたのを好機と見て、第一皇子殿下のためにその身を危険に晒して懐に潜り込み、敵対陣営の企みを暴いてきたのですね」


「あら? い、いえ」

 

 そう言われるとその通りのような。

 しかし、「そうです」とも言いにくいような。


(あら? あら? お待ちになって、公爵様――)


 しかし、夫は待ってくれない。


「なんという忠誠心。なんて健気なのでしょう。ハニートラップというものですね。しかし、私の妻がそのようなことをしなくてもよいのではないでしょうか?」


(忠誠心……というより私怨……なのですが? むしろ、エミュール皇子殿下も利用しようと考えていましたが?)


「お仕えする君主のために率先して動く姿勢は本当に素晴らしい。なかなか出来ることではありません。……ですが、やはり危険ですし、そなたがそんなリスクを冒さずとも、次からはロラン卿に女装でもさせればよい」


 ロラン卿に無茶ぶりしつつ、ランヴェール公爵は馬車を止めた。


「ところで、ディリート。なぜ私がレイクランド卿を助けねばならぬのでしょうか?」


 ポツリと返された疑問は、心の底から発せられた響きを伴っていた。


「レイクランド卿は私に嘘をついてそなたを葡萄泥棒に会わせたのです。私の信頼を裏切った男を、なぜ私が助けねばならぬのです?」


 仮面の奥の瞳には、あまり乗り気ではない温度感があった。

 

「な……、なぜ、ですか? それは、同じ派閥で……子供が捕らえられていて……人道的な……このままだとエミュール皇子殿下の足を引っ張られてしまうのですし……」


 ディリートがしどろもどろに言うと、何かを感じ取った様子の声が返される。


 

「優しさ……ですか?」

「は、……はい?」

 


 シトリン・クォーツの瞳には、何かを理解しようとする光が宿っている。


「人としての優しさ。そうなのですね?」

「え……」


 まあ、そうなのではないか。

 

 ディリートはそろそろと首を縦に動かした。

 すると、ランヴェール公爵は難しい数式が解けたような目を見せた。


「私の妻は、誰にでも優しい。まさに聖女と言えましょう」


「わ……私は聖女ではありません!」


 不思議なことに、イゼキウス相手では自分から「私、神の声を聞いたわ」と言って騙したのに、この公爵に「聖女なのですね」と言われると強い罪悪感や後ろめたさが湧いてくる。

 そのまま勘違いさせておいてはならない、と思う気持ちが湧いてくる。

 

(このままではいけない!)

 ディリートは慌てて否定した。

(なんだか、この夫の中で自分が全然違うキラキラした妻になっていくわ! 全然違うのに!)


「こ、こ、公爵様、……」


 声が震える。

 懺悔でもするように、想いを吐く。

 言わねばならない。否定してやらねばならない。あなたの思ってるような女ではないと言わないといけない!


「私は、優しいですとか、聖女などと呼ばれる資格がありません。私は、嘘つきです。とんでもない悪女です。あなたの妻は、悪い女なのですわ!」



 ひと息にまくし立てて、ディリートは息をついた。

 言った。

 言った。

 ハッキリ、誤解なきよう、言ってやった……!

  


「私は、あなたにひどいことを……」


 言いかけた言葉が止まったのは、夫が人差し指をディリートのくちびるに当てて止めたからだ。

  

「では、私とそなたは同じですね、ディリート?」


「は……」


「私も嘘つきです。そなたも嘘つきなら、私たちは似たもの同士ではありませんか、ディリート?」

 

 夫の口元は、微笑んでいた。

 夫の表情筋は、笑顔をつくれるのだ――ディリートは、そんな真実を知った。


「それで……レイクランド卿を助ければ良いのでしたか? そうすれば、そなたは喜ぶのですか? 助けましょうか」


 ランヴェール公爵はそう言って、レイクランド卿の娘を助け出したのだった。




 * * *

 


 夕暮れの茜色に染まる公爵邸の門の前で、父と娘が再会し、二つのシルエットがひとつになる。


「ティファーヌ! ティファーヌぅ……!!」


「……パパぁっ!」


 

 感動的な再会のあと、ランヴェール公爵は「再びさらわれても大変なので、コレチャウワの戦いが終わるまで我が家で令嬢を預かりましょう。1人では不安でしょうし、どうせなら家族全員呼び寄せて面倒をみましょう」と告げた。


「えっ」


「いわば人質です。家族の命が惜しければ、勝利するように」


 こうしてレイクランド卿は『コスレチャウの戦い』改め『コレチャウワの戦い』に決死の覚悟で挑み、後日ちゃんと勝利するのだが、ランヴェール公爵の元にはエミュール皇子から「レイクランド卿をいじめていると聞いたが何をしてるんだ? ちょっと皇都に来て説明してもらおうか?」という呼び出し状が届くのであった。

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