14、公爵家の予算はそなたのためにあるのです
(そういえば、手紙がカッセル伯爵家を装って届くということは、父とイゼキウスはまだ協力関係にあるのね。関係にヒビを入れようと「すぐにバレる毒を使ったのよ」と言ったけど、効果はイマイチだったのかしら)
後日、公爵が手配したらしき人の列、公爵邸の応接室にあらわれる仕立て屋たちに困惑しつつ、ディリートは思考を巡らせた。
(父は「わざとじゃない」とか「バレると思わなかった」とか言い訳をしたのかしら。できれば二者の協力関係は崩してしまいたいけれど……)
イゼキウスへの手紙の返事には、「ぜひお会いしましょう」と返していた。実家の手引きのもとで会う予定となっている。
(その前に、目の前のコレね……)
仕立て屋だけではない。宝飾品を扱う商人や、魔道具を商う魔術商や色々な工房の職人も混ざっている。そして隣では、夫であるランヴェール公爵がくつろいでいるのだ。
「好きなだけ買い物を楽しみなさい。公爵家の予算はそなたのためにあるのです」
「そのご発言には問題がありますわ、公爵様」
ランヴェール公爵はあやしげな本を手にしている――『続・マルクスの夫婦論』『罪と妻』『妻が浮気したときの処方箋』『モテる方法(実践編)』……。
(以前見かけた変な本に、続編が……)
――この夫はどうも、変なのだ。
けれど、ディリートの中にはそんな夫にも慣れてきた感覚もある。
親しみのような感情が自分の中で育まれつつある。
少なくても悪い人ではない。
どちらかといえば好ましい人だとも思ってしまって、ディリートは困惑するのだった。
商品は次々と運ばれてくる。
「このカメオには精霊獣が宿っていますの? あら、黒いネコちゃん。羽が生えていて、可愛らしいですわね」
「喜ぶそなたも可愛らしいですね、ディリート」
「魔法をこめられる魔宝石も、いいですわね。これに水魔法をこめて献上したら、殿下が喜ぶかしら」
「その殿下というのはどの殿下です? 最近引きこもってばかりおられる我らが第一皇子殿下のことでしょうか?」
「あら、エミュール皇子殿下はお元気がなくていらっしゃるのですか? では、お見舞いの品を贈りましょう。そうそう、お見舞いといえばアレクス様にも……」
「そなたは私の前で他の男の名を呼ぶのが好きですね」
ランヴェール公爵は「忘れているかもしれませんが、そなたの夫の名前はアシルといいます」と呟きながら、契約書に署名してみせた。
「忘れるなどあり得ませんわ、私のロメオ様」
初対面のときの意趣返しのようにディリートが言えば、ランヴェール公爵は商人相手に「ロメオとは流行の恋愛小説になぞらえた呼び方ですから、単に名前を呼ぶよりも特別なのではないかと思うのですが、そなたはどう考えますか」と絡む。商人は「お熱いことで」と生暖かい眼差しになった。
(この夫は、対外的に夫婦仲がよいとアピールしたいのかしら)
「本日は格別のお引き立てをいただき、ありがとうございます」
一度目の人生でも贔屓にしていた仕立て屋がお針子を伴って挨拶すると、ディリートは懐かしい気持ちになった。
「マダム・フィリリア。お会いできてうれしいわ。落ち着いたデザインをお願いできるかしら?」
既知の温度感で親しく名前を呼んで手を握ると、マダム・フィリリアはとても驚いた顔をした。ディリートは「いけない」と気を落ち着かせつつ、初対面の温度感を装った。
マダム・フィリリアが参考用の生地を何枚も広げてくれる。
お針子たちがカタログを見せて、「このデコルテの大きく開いたドレスをベースに、首元まで透け感のある生地で覆ってはいかがでしょう」とか「この部分にレースを足しては」とか薦めてくれる。
(こういうドレス談義は苦手よね?)
ランヴェール公爵をチラリと見ると、あやしげな本を手にカタログを指して「背中が無防備すぎるのでは」などと意見している。
麗しくも女嫌いで冷酷との噂のある公爵におっかなびっくり状態のお針子たちは、ビクビクしながらも頬を赤く染めていた。そして、公爵の手に抱えられた本のタイトルを見て、お針子どうしで「なぜあのような本を?」と不思議そうな視線を交わすのだった。
(わかるわ、その気持ち。私も不思議でたまらない……)
ぼんやりとカタログを眺めて、ディリートはふとイゼキウスの好みを思い出した。
「数着だけ華やかなデザインもお願いしようかしら」
イゼキウスと会うときに彼好みの装いでいけば、有利に働くに違いない。そう思ってのことである。
(とはいえ、華やかに着飾ると公爵様に嫌われてしまう可能性も……バ、バランスが難しいわ。さきほども「背中が無防備すぎる」と仰っていたものね)
あちらに媚びればこちらが危険。ディリートがヒヤヒヤしながら様子をみると、公爵は無表情に頷いた。
「葡萄泥棒が喜びそうなドレスですね。もちろん、喜ぶ葡萄泥棒が悪いのであり、装いを楽しむ淑女に罪はありませんが」
ドキリと心臓が鼓動を刻む。ランヴェール公爵は大きな声でゆったりと周りに聞かせた。
「我が妻は美しすぎて、かのグレイスフォン皇甥公爵殿下に恋文を贈られたのです」
バレている。
それどころか、その他大勢に広められている――ディリートは笑顔を引き攣らせた。
「あ……あなた……」
「一方的に言い寄られて妻も迷惑しているのですが、お相手が格上の皇族とあって、仕方なく接待をすると言うのです。ランヴェール派がグレイスフォン公爵殿下の不興を買わぬよう、配慮してのことでしょう。なんと健気なのでしょうね、我が妻は」
その指が本のページをめくり、視線が何かを探すように紙の上を彷徨う。
「妻が他の男と遊びたいなら邪魔をせずに遊ばせてやるのも夫の甲斐性……嫉妬は恥。そんな言葉がありますが、権力者に無理やり迫られる場合は、いかがでしょうか。そなたら、どう思いますか」
シトリン・クォーツの瞳が周囲を見回す。これは、絶好のゴシップだ。面白おかしく言いふらされる――広められる。ディリートは確信した。
「しかも呼び出された場所が教会なのです。神聖な場所で接待を強要とは……」
「公爵様……皆様が困っていらっしゃいますわ」
このままでは良くないのではないか――そう思ったディリートは、慌てて話題を変えた。
「その、夫婦についての本は……とても興味深いですわね? 私も読んでみましょうかしら」
すると、ランヴェール公爵は「参考になることがたくさん書いてありますよ」といそいそと別の本をひらいた。話題が簡単に変えられたので、ディリートは安心した。
(ああ、この……よくわからない人。困った方。なんなのかしら……扱いやすいのか扱いにくいのか、よくわからないわ)
「ディリート、夫婦は勤めを果たす以外でも共に眠ると健康に良いらしいのです」
周囲の仕立て屋や針子が「もう自分たちは何も聞いていません」という顔で仕事に徹している。しかし、ディリートには彼らが好奇心いっぱいで耳を傾けているのがわかった。
「第一皇子殿下も手紙でお勧めしてくださるのです。健康によいと」
「殿下がお勧めしてくださるなら」
(心の通わない異性と同じベッドに入るのは勤めを果たすときだけ、義務だけで十分ではないかしら)
果たして健康に良い作用はあるのだろうか。
疑念を抱くディリートを背景に、使用人たちは張り切って夫婦の寝室を整えるのであった。
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