13、俺は困っている……ママ……!

 茶会の日までは、何事もなく平穏な日がつづいた。

 

 結婚前とそう変わらない、夜も別室で眠る日々。

 変わったことといえば、たまに精霊獣が枕もとにやってきて、丸くなって一緒に眠るようになったくらいだ。


「奥様、ご実家からのお手紙です」

 

 エマが渡してくれた手紙は、イゼキウスからだった。柑橘系の果実に似た香り付きの手紙には、活き活きとつづられた文字が並んでいる。


 イゼキウスは身分を明かし、先日の感謝を書いていた。


 

『口に出してはならぬ想いがあふれて止まらない。忍ぶのをやめる俺を天下の万民は許すがよい。

 それほどに感動的な夜であったのだ。

 すみれ色の瞳が俺に運命をささやいた。「お前は風車をまわす風に乗って隣人の葡萄を盗め」と心が張り裂けんばかりに叫ぶので、俺は困っている。母なる大地に誘われるこの心をどうしようか……ママ……!』

 

  

 ディリートは手紙をまじまじと二度見した。

 

 おそらくこれは、恋文ではないだろうか。最後の「ママ」は感極まった感じで、きっとパッションをあらわしているのだ。


 じっくり読み進めると、途中で面倒になったのか、ポエムを切り上げて『そういうわけで、教会で逢引しよう』と誘われている。


(そういえば、一度目の人生ではイゼキウスと教会で会ったのよね)


 懐かしく思いながらディリートが手紙を眺めていると、ぽふりと仔狼のあしが横から伸びてきて、手紙をくしゃりと奪い、はむっと口にくわえてしまう。


「あら、だめよ。それはオモチャではありません」

 

「くるるる」

 仔狼に似た精霊獣は反抗的にうなり、ブンブンと首を振って部屋を逃げ回った。


「あのう、茶会のお時間ですが……?」

 侍女たちが困り顔で時間を知らせる。


「わふ! わぅ!」

 手紙を取り上げられた精霊獣は不満そうにしながらも、茶会についてきた。 

 

 一度目の人生では、ディリートは夫人としての義務のほとんどを免除されていた。領地管理の補助も、使用人統括の役目も、夜の営みも、客人の接待や社交活動も、何もかも。しかし、今回は。


(なかなか夫人らしいお仕事ではなくて?)

  

 エントランスホールから来客の招待状を確認した知らせが届く。ひとり、またひとりと茶会用に準備した広い部屋に案内される。

 

 落ち着いた上質な調度品で統一された部屋の壁には、家族を描いた写実的な絵や、精霊獣と寄り添う祖先といった幻想的な絵が並ぶ。『女主人のサロン』といった雰囲気だ。


(黒いドレスの方ばかりなのは、なぜかしら)

 

 指定はしていなかったのに、夫人方は黒いドレスばかりだった。

 

 楽師が控えめな音楽を提供する中、紅茶とお菓子をお供に、他愛もない世間話が始まる。

 ランヴェール派の夫人方は明るく陽気な性格の女性が多いようだった。


「私の夫アレクスがご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」

 

 先日の暗殺未遂事件で主人が操られていたという夫人が申し訳なさそうに謝ると、親しい仲であるらしき夫人らが心配したり慰めたりしている。

 

「アレクス様はお怪我をなさったと聞きましたが、心配ですわ。お大事になさってくださいね」

「操られていただなんて……さぞショックでしょう」

 

 ディリートは前回の人生で彼女がイゼキウスの支援をしていたのを思い出した。


『ランヴェール公爵に夫を殺されたのです』

 彼女は、そう言っていた。


「生命が無事でしたら、なによりですわ」

「ええ、本当に」

 

 心臓がドキドキする。


(この後もし容体が悪化して亡くなりでもしたら、彼女はランヴェール公爵様の敵にまわるのかしら)


 

「理想の殿方ってどんなタイプだと思われます?」


 話題は変わり、夫人たちの明るい声が事件の記憶を上書きするように華やいでいく。

 

「好ましい夫とはどのような接し方をする夫でしょうか」

「実はわたくし不倫してますの」

「私もですわ。珍しいことじゃありませんわよね」 

 

 ディリートからすると「そんなに堂々とお話して大丈夫なのかしら」と心配になる過激な不倫話がどんどん出てくる。そして、好奇心のような使命感のような視線が集まって、チラチラと意見を求められたりするのが、とても気になる。


「ディリート様は、ロラン卿とのミンネの噂がございますわね。実際のところはどうですの?」

 

 思い切った様子でストレートに聞かれて。

 

「ここには女性しかいませんもの。秘密のお話を楽しみましょう?」 

 と、並々ならぬ関心を寄せられているのだ。


(これは、実は「探ってくるように」と命じられているのではなくて?)

 ディリートはそんな可能性に思い至った。


 彼女たちの視線はときおり、ディリートの膝を定位置と決めてくつろぐ精霊獣へと向けられる。

 その眼差しに敬うようなおそれるような感情がチラつくのが見えて、ディリートは精霊獣を抱き上げてみせた。


「騎士様との道ならぬ恋も素敵だとは思うのですが、私はこちらのプリンスに夢中なのですわ」

 

 精霊獣のふわふわの尻尾がはしゃぐようにパタパタ、ぶんぶんと揺れている。夫人たちは視線を交わした。


「プリンスに夢中なら、仕方ありませんわね」

「ええ、ええ」

「キングではありませんこと?」

「それをおっしゃるなら、デューク……」

「あら、いけませんわ。それはいけません」

「プリンスでよいのではありません?」


 声を華やがせて楽しそうに盛り上がる彼女らの視線が微笑ましそうな、生暖かく見守るように変わる。

 そして、話題は第二皇子の生誕祝いパーティや、最近流行し始めた外来の珍しい花へと移っていった。

 

「ランヴェールとゼクセンの友好をアピールする目的も兼ねて、それぞれの属性を用いた観賞用の魔法を披露し合うのはいかがです?」

「そのお話、第一皇子殿下のお耳にはすでに入っておりますのよ。殿下はご自分も魔法を披露すると仰ったらしいわ」


「お花は、とても良い香りのするお花なのですって。綺麗な紫色なのだとか」

「わたくしの実家にありますが、蜂が多く寄ってくるのが欠点なのですわ」

「その花木を植えた近くの蜂の巣は、はちみつの色が薄い紅色や、紫に変わっているのですって」

 

 こうして夫人たちとの交流は和やかに幕を下ろしたのだが、その夜、ディリートの元には謎の手紙が届けられた。


 

「奥様、旦那様がこちらを、と」

 家令が届けた手紙は、ヴァニラに似た花の香りがした。

「ヘリオトロープ・ブライドブルーでございます」

 

 家令はそう言って青紫の花を運び、テーブルに飾った。

 

「この花の香りを付けているのね」

「奥様、花言葉は『献身的な愛』と申します」

 

 家令が説明して反応をうかがっている。

 

 ディリートは少し迷ってから「素敵な花ですこと」と呟き、手紙を開いた。

 

 ランヴェール公爵からの手紙は、箇条書きだった。


 

『花がその美しさで人を惹きつけるのは自然であり、ただ咲いているだけの花自身に罪はないのである。

 

 一、夫は妻を束縛しない。

 ニ、妻は思うがまま自由を満喫してよい。

 三、親しくなったら妻は夫の名も呼んでもよいのではないだろうか。


 追伸、私は盗人が嫌いです』


 

「旦那様は、お返事を求めないと仰せです」

「求められても困るわ……」


 ディリートは手紙の解釈に困り、家令を見た。家令はサッと礼をして、キビキビとした身のこなしで逃げるように退室していった。

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