12、公爵夫人と白いハンカチロード
廊下に、点々と白いハンカチが落ちている。
歩くたび、一番近くにあるハンカチを侍女が拾い、うやうやしく差し出してくる。
「これは、なに?」
「ハンカチでございます、奥様」
「ハンカチなのは、わかるわ」
(これは、昨夜のハンカチの件を暗に責められているのかしら?)
「奥様、そちらではありません」
しかも、分かれ道でハンカチのない道に行こうとすると「ハンカチの続く道を選べ」といわれるのだ。
(嫌がらせかしら? 公爵様は、お怒りなのかしら? 私は今、何をされているの?)
ディリートは奇妙なハンカチロードを進み、庭に出た。エマが
公爵邸の庭園は、可憐な花が咲き誇る華やかな空間だった。昨夜の被害を感じさせない雅やかな風情だ。
(無事でよかったわ)
ディリートはホッとして、庭師に声をかけた。
「クリード。お花にお水をあげても、構わないかしら?」
庭師クリードは驚いた顔で頭を下げた。
「奥様。わたくしの名をご存じで……!? は、はい。お好きになさってください。まだ今朝の散水前ですから」
そういえば初対面だった。ディリートは気がゆるんでいたのを自覚して「いけない」と反省しつつ、「夫に名を聞いたのよ。クリードは働き者で、とても感性豊かで花を愛する若者だと」と取りつくろって手のひらを天に向けた。
水の魔力がゆらりと手のひらに集まり、透明な水の玉がその手に生まれる。
「さあ、お水の時間よ」
ポンッと軽く手のひらを上に揺らすと、水の玉がフワッと跳ねて高い位置に浮いた。
日差しにキラキラと輝く透明な水の玉は、しゅわっと水の筋を生み、やわらかで優しい勢いのシャワーとなって、花に潤いを与えていく。
あたり一面が煌めく水雫でいっぱいになり、幻想的な花園に庭師は目を丸くして「それが水魔法ってやつですか。はじめて見ましたよ。綺麗なもんですね」と声を震わせている。
『綺麗だな』
以前の人生でイゼキウスが褒めてくれたのを思い出して、ディリートの胸がツキリと痛んだ。
『次の宴で、こっそりそれを俺の手に生成して、俺が魔法をつかったように見せかけることはできるか?』
宴でそれを成功させると、イゼキウスはたいそう喜んだ。ディリートはそんな彼を見て、役に立てたのだと嬉しくなったのだった……。
「綺麗ですね」
過去に思いを馳せていた耳に、ゆったりとした美声が届く。
過去のイゼキウスではなく、現在のランヴェール公爵だ。今日も黒衣装をまとっている。まるで、ディリートと揃えているように。
「公爵様」
(黒もいいけど、この方には白がよくお似合いになるのに)
以前は、白ばかりだったのに。
どういう心境の変化なのだろう――ディリートはそんな疑問を抱きつつ、差し出された手に自分の手を重ねた。
「そなたは、落ちているハンカチを拾う趣味があるようですね」
「ハンカチは侍女が拾ったのです。そして、私に押し付けてきたのです」
ディリートが籠にこんもりと集まったハンカチを半眼で見ると、ランヴェール公爵は「たくさん拾ったのですね。ハンカチはたくさん落ちているものなのですね」と応えた。
「そうですわね。ハンカチは……たくさん落ちていました」
「これだけたくさん拾うのだから、一枚くらい異物が交ざるのも仕方ないといえましょう」
(あっ、イゼキウスのハンカチ……)
公爵の手にイゼキウスのハンカチがあるのを見て、ディリートは目を見開いた。
「さて、こちらは招待客が落とされたハンカチのようです。私が持ち主に届けますから、そなたは安心するように」
ランヴェール公爵はそう言って、ハンカチを仕舞った。
(言い訳する暇もなかったわ)
ディリートはドキドキしながら頷き、「それなら安心ですわね」と微笑んだ。
ランヴェール公爵は、そのままディリートを庭の片隅に佇むあずまやに誘った。
侍女が紅茶をティーカップに注いでくれる。
朝食をここで取るらしい。
新鮮なサラダにサンドイッチ、キッシュにパスタにスープ……菓子も運ばれてくる。
「第一皇子殿下は、そなたのおかげでお守りすることができました。感謝しています」
ランヴェール公爵はひとくちサイズのキッシュを洗練された所作で口に運んでいる。無表情だが、気に入っている味なのだろう、とディリートは思った。ちなみに、菓子には手を伸ばす様子がない。
「殿下がご無事でなによりですわ。公爵様」
しばらく天気や昨夜の後始末についてのらり、くらりとした無難なやり取りが続く。
(イゼキウスより、よほど神経を使うわ)
ディリートはヒヤヒヤしながら慎重に会話に応じた。
花弁に見立てて重なり飾られたラングドシャクッキーが、ブルーベリーやカシスの芳醇な香りが漂うフルーティーな紅茶によく合う味わいだ。
クッキーの5枚花弁の内側にショコラクリームが咲いていて、クリームの上には細かく砕いたナッツが乗っている。とても美味しい。
花弁を一枚つまむようにしてラングドシャクッキーを味わったディリートは、ランヴェール公爵の視線から逃れるようにして、
「公爵様。息を呑むほどの美しさとはあのような花をさすのでしょうね」
「そなたは花を好むのですね」
感情のわかりにくいランヴェール公爵の声が、心なしか
「あの花は、そなたに似ています。香りも控えめで」
ぽつりとランヴェール公爵が呟く声をききながら、ディリートは「花の話は安全」と目を細めた。
「ところで、そなたはなぜ昨夜」
「公爵様! 今度、第二皇子殿下のご生誕祝いパーティがございますね」
発言をかぶせるのはお行儀が悪い。しかし、ディリートは笑顔でそれを断行した。
ランヴェール公爵は非礼に機嫌を損ねる様子もなく、会話に乗ってくれた。
「そうですね……ディリート。パーティには当然そろって出席しましょう。夫婦ですから」
「まあ。公爵様にパーティに誘っていただくのは初めてですね」
「……? 知り合ったばかりですからね、それはそうでしょう」
「失礼。そうですわね」
不思議そうにしている夫は、こうしているとあまり怖くないし、嫌な感じもしない。感情が声や表情から感じ取りにくいという欠点はあるが。
「そなたとは、これからたくさんの初めてを積み重ねていくのですね」
そう呟いて紅茶のカップを傾ける夫は、新婚らしくて初々しく、好ましい感じがする。無表情ではあるが。
「パーティ用に、揃いの衣装を仕立てましょう」
「素敵ですわね」
(ランヴェール公爵様は、意外と
理解に苦しむ奇行はあるが――籠入りハンカチをチラリと見ながら、ディリートは紅茶を味わった。
「帝国中の仕立て屋をそなたに贈りましょう」
「仕立て屋は贈らなくて結構ですわ、公爵様」
「パーティ会場を二人だけの貸し切りにしますか」
「それはパーティを主催した方にとても恨まれそうですわね」
「ところで、その前に、派閥の夫人らを招いて親交を深めるのはいかがです。そなたがいやでなければ、ですが」
夫がのんびりと告げて、後日、ディリートはランヴェール派の夫人らと茶会をすることになったのだった。
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