第10話
サイがバーバラの死亡を告げたのは、翌朝だった。
「鈍器で頭を殴って、ロープで首を絞める。知性も優雅さの欠片もない殺し方ね」
自室の床に倒れていたバーバラの傍らへ腰を落とし、冷たくなった手を取る。爪は短く切り揃えられていたが、証拠はあった。
「抵抗した痕か」
「そうね。多分……頭を殴ったあと蹴り倒して、馬乗りになった」
イアンの見立てに答えてバーバラの死体にまたがり、当たりをつけて膝を突く。バーバラの身長は五.五フィートほど、私より五インチ高い。
「ロープで首を絞めたけど、仰向けにしてしまったからバーバラの手が余裕で届くところに犯人の手があった。案外、顔もあったかもね。とにかく、バーバラは抵抗して思い切り爪を立てて引っ掻いたんでしょ。短く切り揃えてるのに皮膚が残ってるし、少し血もついてる」
立ち上がって、集まった兄達をざっと見る。A、F、G、I。一人、足りなかった。
「ディーンは、まだ知らないの?」
「いえ。お伝えしましたが、お加減が悪くお部屋から出られないと仰いました。朝食も部屋へお運びするようにと」
兄達から一歩引いた位置で答えたラジーヴに頷き、肩で息をする。あまりに分かりやすい。
「お兄様方、『一応』両手のひらと甲を見せてくださる? お父様の求められたものと程遠い方法で殺した証拠がないか。もちろん私も、このとおりよ。サイも」
私の視線に応えてサイも手を翻しながら兄達の視線に晒した。兄達も同じように手を出して傷がないことを確かめさせる。
「ラジーヴ、これはどうなるの? 知性も優雅さも感じない殺し方をした上に、潔さの欠片もないわ」
「さようでございますね。ただ、率先して悪い手本を見せてくださった点は評価してもよろしいかと。もちろん、皆様の総意があれば私が処理をいたしますが」
ラジーヴの提示に、そうね、と答えてテーブルへ視線をやる。私が昨日差し入れたサンドイッチの皿には、もう何も残っていなかった。信じて、食べてくれたのか。じわりと胸に滲むこれまでにない痛みを確かめて、溜め息をついた。
「私が殺すわ。お兄様達がよろしければ、だけど」
滑らせた視線に兄達はぎこちなく逸らす。イアンは面倒だから請け負いたくないのだろうが、ほかの兄達は「殺し」そのものがいやなのだろう。明らかにイアンと様子が違う。クラレンス達は死体を見ない死だったが、今回はそうではない。始まった死のゲームの現実を目の当たりにして、明らかに怯えていた。
「でも、どうするんだ? 部屋から出てくる気がないんだぞ」
ぎこちなく尋ねたアンドリューは、赤らんだ顔の冷や汗を拭いながら私に尋ねる。
「出てくる気がないのなら、こちらから行けばいいのよ。バレない方法でね」
「寝ている隙を狙うのか?」
「そんな危ないことはしないわ。でも明日の朝には死んでるだろうから、安心して。さ、お兄様方は朝食をどうぞ。ラジーヴ、今回は協力してもらうわよ」
「承知いたしました」
ラジーヴが受け入れたあと、アンドリューとフレデリックは祈りを捧げ、イアンは鼻で笑って出て行く。ギデオンは祈りを捧げて、残った。
「ジョスリン」
「大丈夫だから、行って」
「いや、俺も残るよ。前も言ったろ、大事な妹に手を汚させて自分だけ清い顔はしたくないんだ」
ギデオンは青ざめた顔で言い切って、私を見つめる。嬉しさの反面、迫る恐ろしさに視線を落とした。
――ジョスリン、全ての命は遅かれ早かれみな死ぬ。何をしてもしなくても、死ぬ者は死に生きる者は生きるのだ。だから死に接しても下手な情は持たず、ただ「その時が来た」と受け入れればいい。
父にとっては、この殺し合いもその考えに基づくものなのだろう。事故だろうと殺人だろうと、「死ねばそれが寿命」なのだ。でも私は、そこまで割り切れない。
一息ついてまたバーバラの傍へしゃがみ込み、ロープを解く。見開き口を大きく開けた苦悶の表情に手を伸ばし、乱れた髪を整えた。苦しげな目と口はもう閉じそうにないが、せめて髪くらいは。
「大したことじゃないけど、昨日の夜に渡したサンドイッチを全部食べてくれてたの。私を信じて……まあ私以外には、大したことじゃないんだろうけど」
服の乱れも直して胸の上で手を組ませようとしたが、やはりまだ動かなかった。どうか、安らかに。
「ラジーヴ、お願い」
腰を上げて、ラジーヴにあとを託す。ラジーヴは壁際に並んでいたメイド姿のオートマタ達に、棺へ運ぶように指示を出した。一斉に動き出した「彼女ら」は、傍らに立て掛けていた担架を下ろして卒のない動作でバーバラを移す。担架を軽々と持ち上げ、部屋を出ていった。感情がないのが、救いになる時もある。
「あまり、優しくしないで。喪うのが怖くなるから」
「その方がいい。オートマタじゃないんだ」
答えたギデオンの声は優しく、頭を撫でる手は温かい。少し苦しくなった胸を宥めて、切り替えるように一息ついた。ここからは、殺しの話をしなければならない。
「じゃあ、早速だけど計画を話すわ」
切り出した私に、ギデオンとラジーヴが頷く。
「食事は要求どおり運んでやってちょうだい。それと一緒に、実験室にいるモルモットも毒見用に一匹連れて行って。対処について尋ねられたら、まだ協議中で決まりそうにないと言ってね」
食事に入れないのは、もちろんわざとだ。食事に入れなくても、ディーンの場合は問題ない。
「食事じゃなく、カクテルで殺すわ。あの酒好きが、飲まずにいられるわけはないから」
ああ、とギデオンは納得したように頷く。ディーンが愛飲するカクテルは、オールド・ファッションドだ。
ロックグラスに角砂糖を入れて、アンゴスチュラビターズを二ダッシュ。氷とライ・ウイスキーを加えてオレンジやレモンなどの柑橘系とマラスキーノチェリーを飾る。ディーンは自分で作りながら飲むのが好きだから、盆で材料を提供するはずだ。
「実験室にちょうどいい毒があったから、角砂糖とマラスキーノチェリーに仕込むわ。それを、『おかわり』の盆で差し入れて欲しいの。警戒心と判断力の落ちた頃にね」
「承知いたしました」
ラジーヴはすんなりと受け入れて、頭を下げる。これで、成立か。
「じゃあ、お願いね。あと……クラレンス達の遺体は『少しくらい』残ってた?」
「はい。どなたのものとは分からぬ状態ではございますが」
「棺とお墓はちゃんと、三つ作って。できたら、教えて」
頭を緩く振ってギデオンの腕を掴み、部屋を出る。
――ジョスリン、全ての命は遅かれ早かれみな死ぬ。
生き残らないように殺したくせに、寿命だと言い張るのか。……ああ、だめだ。迷えば負ける。
――イアンに良心の呵責はない。詫びを求めても意味はないぞ。情は捨てろ。
イアンが私の片目を潰したのは九歳の時、私が父の称賛を浴びた腹いせに躊躇いなくナイフを突き立てた。裂けたまぶたは細かく縫い閉じられ今では傷跡も目立たなくなったが、眼球は修復不能だった。
先の尖ったものへの恐怖感は、しばらく抜けなかった。悪びれもせず平然と、これまでどおり暮らすイアンへも。あの恐怖を憎しみへと変換できたのは、自分が強くなったからだろう。体を鍛え技を身につけるほどに、心も変わっていった。化け物には「普通の心」では対峙できないのだ。普通の十五歳に戻ってはいけない。
しっかりしなさい、ジョスリン・フィッツウォルター。あなたは、傲慢不遜な「人でなし」よ。
唇を痛むほど噛み締めて、広間へ向かった。
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