第9話
驚くべきことに、アンドリューはあのオートマタ達を全て連れて夕食の席に着いた。
「食卓が華やかになって嬉しいわ。兄妹だけだと寂しいものね」
「本気で言ってるのか?」
驚いたように尋ねる残念なフレデリックを横目で確かめ、スープを口へ運ぶ。
「馬鹿ね、皮肉よ。Jが素直に褒めるなんてあるわけないでしょ」
うんざりしたように教えるバーバラに、フレデリックの舌打ちが続いた。
「ごめんなさいね。あなたには少し難しかったかしら。ああ、これは『そのままの意味』でいいわよ?」
「子供だからって調子に乗ってると、あとで痛い目に遭うぞ」
「遭わせるとしても、あなたがじゃなくて『イアンが』でしょ? 他人の力を笠に着て、よくそんな偉そうな口が叩けるわね。そっちこそ大人のくせに、子供の私にこんなこと指摘される程度の頭脳しかなくて恥ずかしくないの? 頭、回転してる?」
皮肉を封じて率直な意見を述べた私を睨みつけ、フレデリックは黙る。この程度で返せなくなるなら、最初から吹っ掛けないで欲しい。
「フレデリック、諦めろ。こいつは皮肉を言ってる方がまだ『お優しい』ぞ」
「うちのお姫様は、ナイフより口喧嘩がお得意だからな」
鼻で笑うイアンに、ギデオンが付け足す。私とイアンは不仲だが、ギデオンとイアンは実は悪くない。ギデオンと相性が悪いのは、フレデリックだけだ。
「お父様が甘やかしすぎたのよ。皮肉も淑女の嗜みだ、とか言って。ただ傲慢で口が悪いだけじゃないの」
「でも、兄妹の中で私が一番殴られ突かれ蹴られ刺されて血を流してるわよ。ついでにラジーヴにも、死んだ方がマシだと思うくらいぼっこぼこにされ続けたわ。私以上に痛めつけられた方がいらっしゃるなら、手を挙げてくださる?」
丁寧な口調で尋ねた私に、食卓は静まり返る。皆、それは分かっているのだ。誰もが「下手なことを言って自分も巻き込まれたら困る」から、私がどれだけ痛めつけられていようと止めようとしなかった。そこだけは、ギデオンも同じだ。
――いい気味ね。
痛みでベッドから起き上がれない私に、母は胸が空いたように笑った。
「で、結局バーバラとディーンは組むことにしたのか」
「ええ。アンドリューとは組みたくないから致し方なく、だけど」
大人達の打算に基づく結託を、イアンは皮肉っぽく笑う。母とよく似た笑みだ。
「脆い協定だな」
「仕方ないじゃない! 私だって、組みたくて組んでるわけじゃないわ。どんなことをしても、生き延びて帰らなきゃ。夫と子供が待ってるのよ」
「浮気してる身分で、よく言えたもんだ」
嘲笑したのは、強請りの元凶であるアンドリューだった。お前だって、と言いたい口にパンを突っ込んで我慢する。
「馬鹿なのは分かってるわ、こうなるまで何が大事なのか分からないなんて。本当はエレインみたいにすぐ帰りたかったのに、自分の罪のせいでできなかった。エレインにも『子供達よりお金が大事なの?』って言われたけど、ほんとのことなんて言えるわけがない。子供が伸ばしている手をすぐ握れない母親なんて、最低ね」
ディーンとフレデリックの向こうにいるから姿は見えないが、気落ちした声はここまで届く。なんとなく母を思い出したが、母からは決して聞けない悔いだろう。
「こんなことになるのなら、夫と子供達を抱き締めて『愛してる』って言って出てくれば良かった。あなた達より大切なものはないって」
切々とした声に、ギデオンの表情が翳る。残留組で家庭があるのはバーバラとギデオンだけ、ギデオンもナタリーを思い出したのだろう。私もいつか……いや、この目と性格じゃ、無理だ。
「……ごめんなさい。私は、部屋に戻るわ」
長い溜め息のあとバーバラは腰を上げ、部屋へ戻って行った。
「大体、父さんはなんでこんな遺言を残したんだ。十等分にすれば良かっただけの話だろう」
重い沈黙を裂くように、アンドリューがスープを口へ運びながら切り出す。
「単純に十等分なんて無理な話だ。オートマタの工場はアンドリューに、技術は俺にとやっていっても、誰もが不公平と思わない分配なんてできない。下手に分けて『あいつは俺より』『あの子より私の方が』って憎しみ合う種を残すくらいなら、一人の子に全て受け継がせる方が『美しい』と思ったんじゃないか」
「逃げ帰った奴らを許さなかったのは、あとで金に困ってるのを思い出して『やっぱりもらえないか』と言ってくるのを封じたかったってか。クラレンスとかな」
ディーンがギデオンの考察に続けて、卑屈な笑いを刻んだ。
「父さんの医院をタダで継いで金を浮かせたくせに、見栄張って子供達をいい学校に入れたせいでかつかつだったんだよ。看護婦の数が減って診察代が上がったって、もっぱらの噂だった。奥方は気位が高くて働かないしな」
「エレインも、金がなくて離婚できない状態だった。せびりに来て『ねえ、困っている人を助けないなんて正しい行いじゃないわ』って、頭を横に振りつつ言うだろうよ」
アンドリューとフレデリックが、私の知らない死んだ兄妹達の事情を暴いて下品に笑い合う。
「ハンナは……まあ、やめといてやるか」
きつく睨んだ私に、イアンはわざとらしく肩を竦めて肉を口に運ぶ。ハンナも暮らしぶりは決して楽ではなかったようだが、愛する夫と二人で仲良く暮らしていた。もし私が生き残っていても、金をせびりに来るわけがない。
「イースターエッグ一個で満足できるのは、社会を知らないお姫様だけなんだよ。どれだけ移民に仕事を取られて働き口を失った臣民がいるかも知らない、馬鹿な世間知らずだ」
鬱憤を晴らすかのように、フレデリックは再び私をターゲットにする。
「それくらい知ってるわよ、『移民と同じ賃金じゃ働きたくないから仕事がない』人達の話でしょ? あと、その話を始めたら最後は我が国の植民地政策の歴史について論じることになるけど、どうする?」
言い返した私に、フレデリックはまた黙った。少しは学習したらどうなのだ。長い息を吐き、パンを頬張って口を拭う。ぱさつく口の中に、ぶどうジュースを流し込む。これがワインなら、この苛立ちもごまかせるのだろうか。
食べ終えたスープの代わりに、メインの皿が置かれる。
――こんなことになるのなら、夫と子供達を抱き締めて『愛してる』って言って出てくれば良かった。
予想より胸に残る言葉を振り払えないまま、ナイフを手にした。
***
食事を終えたあと、オートマタに作らせたサンドイッチを手にバーバラの部屋へ向かう。ドアを叩いてしばらく、おそるおそるの隙間が生まれた。
「さっき、食べてなかったでしょ。サンドイッチ作らせたから、持って来たの」
皿を差し出すと隙間がもう少し広がって、バーバラが姿を現す。
「毒は入ってないわ」
「どういう風の吹き回し?」
訝しげに尋ねられるのは、尤もだろう。私らしくないのは分かっている。
「……別に。ただ、私には本土で待ってるような人もいないから……もし私が待つ立場だったら、ちゃんと食べて欲しいだろうなって、ちょっと思っただけよ。それだけ。他意はないわ。もう一度言うけど、毒は入ってない」
そのまま伝えるだけなのに、急にこっ恥ずかしくなってしどろもどろになる。顔を見られたくなくて逸らしたまま皿を差し出すと、少しして指先が軽くなった。
「不器用な子ね。でも、嬉しい。ありがたくいただくわ」
「良かったわ、じゃあ」
素っ気なく返して、顔を見ないまま部屋を離れる。ドアを閉める音がして、ようやく胸を撫で下ろした。
「何か言ったら、ぶつわよ」
少し離れたところで待っていた微笑のサイを先駆けて黙らせ、自分の部屋へ向かう。
「お風呂に湯を張ってちょうだい。今日はもう寝るわ」
あの部屋で一番気に入っているのは、専用の風呂とトイレがあるところだ。小さなボイラーつきで、風呂もシャワーも自由に使える。今日は少し、のんびりしよう。
「お嬢様が強さと優しさを兼ね備えていらっしゃるのは、お歩きになる前から存じております」
「黙って」
私の覚えていない時代の私を話題にされるのは、一番苦手だ。ただなんとなく、気にしているのは伝わる。長く一緒にいるせいだろうか。
「私は大丈夫よ、あなたがいるもの」
待っている人はいなくても、傍にいてくれる人がいる。でも万が一……万が一、私がイアンに負けるようなことがあれば、サイを置いていくことになるのか。
「やっぱり、ちょっと踊ってからにするわ。付き合ってちょうだい」
「承知いたしました」
もう部屋のドアは目の前だったが、踵を返して階段へと向かう。
「今日は、ワルツでいいわよ。得意でしょ」
私はきびきびと踊れるタンゴが得意で、ワルツが一番苦手だ。同じようにきびきびと踊ってしまっては、ラジーヴに「軍へお入りになるおつもりですか」と言われ続けた。そうはいっても、三拍子で優雅に回りながらナイフを繰り出すのはなかなか難しい。タンゴは、気持ちを盛り上げるのにもナイフを操るのにもちょうどいいのだ。
「お嬢様は、お優しい方です」
満足そうな言葉は聞こえないふりをして、階段を下りた。
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