第11話
午後は実験室と医務室を行き来してディーンを殺す材料を仕込んだあと、サイに花束を作らせ裏庭の墓へ向かう。墓は五つと、隣に新たな穴が掘られていた。サングラス越しに眺めた穴は、ただひたすらに昏い。五つの墓にはいつの間にか墓標も立ち、誰が眠っているのかも分かるようにされていた。喪服だけでなく、墓標の準備までしていたらしい。
墓に花束を捧げ、神へ祈る。父は知らないが、ほかの四人は誰も殺していない、殺せない人達だ。私とは違う。
「殺す側の人間が、滑稽だな」
声に振り向くと、ライフルを肩に掛けたイアンが馬上から憐れむように見下していた。イアンは母に似て瞳の色が少し濃いのか、外でもあまりサングラスを掛けていない。私も本土ではあまり掛けないが、この島は日差しが強すぎるのだ。
「死後の平和を祈るのは、矛盾しないわ」
「あいにく俺は無神論者なんだよ。死んだらそこで終わり、天国も地獄もない」
嘲笑を浮かべたあと馬を繰り、墓へ近づく。
「やめなさい、イアン!」
眉を顰めた私に歪んだ笑みを浮かべて、置いたばかりの花束を踏んだ。すぐに投げた私のナイフを避け、笑いながら墓の上を駆け抜けていく。挑発には違いなかったが、追い掛ける気にはなれなかった。
無惨に踏みしだかれた花束を集め、散らばった花弁で飾られた墓を眺める。
「殺しましょうか」
「あなたはたまに、『恐ろしいこと』を言うわね」
苦笑で振り向くと、サイが神妙な表情で見下ろしていた。皮肉で流すのは、あまり適さないかもしれない。
「……サイのお母様は、どんな方だったの?」
役目を果たさなくなった花束を墓の脇へまとめ、初めての問いを投げて屋敷へ向かう。
「朧な記憶しかありませんが、控えめでよく働く人でした。ただ若い頃イギリス人の屋敷で働いていた時に酷い扱いを受けて、足が少し不自由でした。父は母国で貧しい暮らしを続けるよりイギリスの方がチャンスがあると見ていましたが、母はそうではなかったのでしょう。父が幼い私を連れて行くことに反対はしませんでしたが、ついてはきませんでした」
普段は口数の少ないサイが、滑らかに語り始める。
「
風が吹き抜けて、バラの香りが鼻孔を支配する。午後になり少しは控えめになったが、まだ十分に芳しい。風に散らされた髪を耳に掛け、サングラスのブリッジを上げた。
「正直に申し上げれば、最初は少なからずあったように思います。ただ、旦那様は父と私を気に入ってくださり、父にはイギリス人と同じ賃金、私には十分な教育と訓練を与えてくださいました。母国では決して得られないものを、私は貪欲に吸収して育ちました。教育は、自信と力を生みます。もちろん心ない言葉を投げられたり差別を受けたりすることはありましたが、少しの挑発では揺るがないほど自分が強くなっていくのが分かりました」
父はサイを「完璧な召使い」にしたかったのか、召使いとしての教育と併せてハンナと一緒に家庭教育を受けさせたらしい。ハンナが寄宿学校に入学した十三歳以降は自力で学んだらしいが、元々の能力に努力が加わって今のサイが「完成」した。
「私が十歳になった頃、母から『帰ってきて欲しい』と手紙が届きました。祖父母の具合が悪いのと、寂しいから会いたいと。父は私にどうするかと尋ねましたが……私は、帰りたくありませんでした。ここで得た全てのものを手放したくなかったのです。お産まれになったばかりのお嬢様のお顔を見に、乳母のところへ通う楽しみもありましたしね」
ふふ、と少し目尻を下げて笑むサイに、少しほっとして手を伸ばす。今日は手袋をつけているから感触は違うが、繋げば熱は伝わる。主人と召使いの関係になってからは手を繋がないようラジーヴに言われたが、結局こうしてたまに繋いでいる。
「そうして先延ばしにし続けた結果、母は私が十三歳の時に死にました。肺炎をこじらせたと聞いています。その時ばかりは帰りましたが、既に墓へ入っていました。そのあと再びこちらへ戻ってきたものの、何をしても胸にはずっと母を捨てた悔いがありました」
「そうでしょうね。簡単に癒えるものではないわ」
親の願いか現在の環境か、今に満足していたら、帰国をためらう気持ちは分かる気がする。親心なんて、分かるわけはないし。
「私の心の慰めは、お嬢様の成長でした。傍で笑い手を伸ばしてくださるだけで十分に癒されていましたが、ある時ふと気づいたのです。お嬢様はたまに私にべったりとくっついて甘えられることがあって、私は失礼ながら、お母様に甘えられない寂しさのせいだろうと思っていました。ですが、そうではありませんでした。お嬢様が私から離れない時は決まって、私が母のことを悔いている時だったのです」
サイが十五歳としたら、私は五歳だ。覚えていないが、自分が寂しかったからサイの寂しさも感じ取れたのかもしれない。
「言葉にできないなりにずっと私を慰めてくださっていたのだと分かった時、泣きました。この先お嬢様に愛されなくなる日が来ても、私は生涯付き従おうと密かに誓いました。お嬢様が左目を失われた時よりも、前の話です」
「そうだったのね。でも、お母さまの話を聞いたのに私の話になってるわよ」
私から思うよりずっと前から、サイは私を主人と認めてくれていたのだ。嬉しいが、素直に伝えるのは難しい。
「はい。ですが、もう母よりお嬢様と過ごした年月の方が長くなりましたから。母の記憶よりも、お嬢様の記憶ばかりが浮かびます。お嬢様のことを誰よりも知っておりますので」
自負の見える物言いだったが、否定する気にはならなかった。
そうね、と答えて落ち着いた胸に手をゆっくりと外す。私達に気づいてドアを大きく開けたオートマタを一瞥して、中へ入った。
あの墓穴はその夜、予定どおりディーンのものとなった。
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