第6話
埋まらない三つの席を眺めたあと、昼食を食べ進める。湧かない食欲に軽食を選んだ私の前には、スコーンと紅茶が運ばれていた。
「では、参加を決められた皆様に、詳細をお伝えいたします」
昨日のように礼をして新たな手紙を開いたラジーヴが、口調を整えるように小さく咳をする。つまんでいたスコーンを口へ押し込んで、次を待った。
「旦那様のお言いつけは、以下の通りでございます。『面罵し節操なく殴り殺すような知性のない真似はせぬように。紳士淑女の嗜みとして、優雅で洗練された方法で殺すこと』『一度に殺すのは一人とする』『誰を殺したか、何人殺したか、などは秘すように』『分かった者も、それをほかの兄弟に知らせてはならぬ』。条件を外れたと判断した場合は、私が対処いたしますのでご注意くださいませ」
「お前より強い場合は?」
向かいで平然と食事を続けながら、イアンが横柄な口を利く。賢くないとは言わないが、シンプルに言えば馬鹿だ。ラジーヴが元移民だろうと関係ない。今誰が我が家の命運を握っているのかすら察せないなんて、致命的だ。
「おかげさまで、生まれついてオートマタよりは少しばかり知恵を得ております。たとえ拳を当てられずともそちらを働かせれば、どうにか旦那様の意図を汲みイアン様を失意の底へお導きできるのではと思っております。どうぞご心配なさいませんよう」
丁寧な口調で叩きのめされたイアンに、小さく笑った。すぐに反応して睨む視線から逃れ、わざと優雅に紅茶を飲む。
「中退なんてやるわね。六十年後くらいに学び直したくなりそうだけど」
ラジーヴが学費を打ち切った途端、寄宿学校から追い出されるのは目に見えている。文無しで街をさまようことになれば、移民達以下の暮らしに追い込まれるだろう。そこから復活するのは至難の業だ。再び学ぶ金が貯まる頃には、じいさんになっている。
堪えきれず声を上げて笑う私を憎々しげに睨んだが、イアンは肩で大きく息をして黙った。
「最初に申し上げましたとおり、この屋敷やこの島にある全てのものをご利用になれます。ご兄妹で組まれても問題はありません。既に組まれている方はいらっしゃいますか?」
「俺はジョスリンと組んだ」
「俺はイアンとだ」
ギデオンのあとにフレデリックが続き、視線を交わす。ハンナがいなくなって視界に入るようになったフレデリックが、ギデオンを睨みつけていた。ポロをしていたせいで、がっちりとした固太りの腕がスーツの袖に詰まっている。打撃一発の重みが私とは違う腕だ。イアンと組んで二人揃って飛び掛かってこられたら、それなりに面倒くさいだろう。フレデリックは、できれば本来の目的どおりギデオンに任せたい。
「では、他の方々は単独ということでよろしいですね」
ラジーヴの声に、ABDは探るような視線を互いに滑らす。バーバラはともかく、アンドリューとディーンはすぐ組むと思っていたのに、意外だ。
「最後に、今月中に決まらなければ、トーナメント方式で戦っていただきますのでお知りおきください。では戦いは今、この時より開始といたします。皆様のご武運をお祈りしております」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、殺される!」
開始を告げたラジーヴに、アンドリューは椅子をけたたましく倒しながら重い体で立ち上がる。煩い男だ。尻を叩かれた豚でも、もう少しまともな動きをするだろう。
「さっき、ラジーヴが言ったことを聞いてなかったの?」
眉を顰めて尋ねた私に、アンドリューは揺れる視線を向ける。少し媚びるように見えて、思わずえづきそうになった。私がお前を助けると思うのか、変態が。
「お父様は『一度に殺すのは一人とする』『誰を殺したか、何人殺したか、などは秘すように』と仰ってるのよ。今ナイフを投げればあなたは殺せるけど、ほかの兄妹に私が殺したのも知られるでしょ。かと言って全員殺したら、一人じゃなくなる。そういうやり方は優雅で洗練されていないってこと。面罵して撲殺と同じ扱いよ。でしょう、ラジーヴ」
「後ほど、お部屋に一番美しく咲いたバラをお持ちいたします」
満足したように笑むラジーヴに頷いて、また紅茶を傾ける。父の好きな茶葉は、深い色とコクを感じるアッサムだ。父はこれをストレートで味わうのが好きだった。
「じゃ、じゃあ、ずっと誰かと一緒にいれば」
「馬鹿か。脳まで脂肪でできてんのかよ」
吐き捨てるようなイアンの台詞はお上品ではないが、概ね同意だ。助かることしか考えていないとそうなるのか、誰も殺さずにどうやって生き残るつもりなのだろう。
「バーバラといようがディーンといようが、こっちが隠れて殺せば問題ねえんだよ。おい、ライフルはあるよな」
「もちろん、武器庫に用意してございます」
「銃があるのか」
視界の端でフレデリックが安堵したような表情を浮かべたが、こいつも理解が足りない。
「マシンガンで蜂の巣は、『優雅で洗練』から程遠い殺し方だから気をつけてね。狙撃銃で頭を一発なら、問題ないでしょうけど」
数を打てばいつかは当たるだろうが、美しくないのだ。銃で殺すなら一発必中、それ以外はありえない。再び色を失っていくフレデリックを確かめて、新たなスコーンを割る。戻ってきた食欲に、クロテッドクリームをたっぷりと塗った。
「わ、私はジョスリンと組むわ」
「素敵ね。『肌の色? 何それ』って言えるようになったら来てちょうだい」
「断られたからってこっちに来んなよ、尻軽女」
「……なんて口を!」
怒りでわななき、バーバラはヒステリックな声を上げる。途端、アンドリューが噴き出し、太く重い笑い声が響き渡った。太っているせいか、力があってよく通る声だ。ただひたすらに鬱陶しい声でもある。最後まで見逃してやるから、壺の中に詰め込んでおきたい。
「そのとおり、こいつはとんだ尻軽女だよ。夫がいるのに若い召使いに入れ込んで」
「黙りなさい、アンドリュー!」
「そうだよ、あんただって後ろ暗いことはあるだろう」
バーバラを援護したディーンに、スコーンを口へ運ぶ手が止まる。バーバラと組むつもりか。
ディーンはあのなりで新聞記者だが、あのなりに見合った三文記事だらけの下衆な新聞を出す出版社に勤めている。学校に入っても、あいつの勤め先だけは言いたくない。だからまあ、その下衆な嗅覚でアンドリューの醜聞を掴んでいてもおかしくはない。ただそちらの方は、予想がつく醜聞だ。
――膝においで、ジョスリン。
あれは私がまだ左目を失う前、多分四歳か五歳の頃だ。アンドリューは庭で遊んでいた私を木陰のベンチへ呼び寄せて、膝に乗せた。そして乗馬の真似だと嘘をつき、何も知らない私の腰を掴んで繰り返し跳ね上げるように腰を振った。それが何を模していたのかを知ったのは十三の時、ハンナに涙ながらの相談を受けた時だ。
――私は、処女ではないかもしれないの。でもそんなこと、彼にはとても言えないわ。
敬虔なハンナは当時、婚約者と結ばれることをひどく悩んでいた。私より大人しく従順な子供だったハンナもやはり、幼い頃にアンドリューに性的虐待を受けていたのだ。話をちゃんと聞けば挿れられたのは指だったが、だからといって到底許せるものではない。私ですら、この変態が私を跳ね上げながら何をしていたのかを想像しただけで、今でも吐き気がする。消えない悪夢だ。
口へ運ぶ予定だったスコーンを置き、指先の粉を払って紅茶を飲み干した。
「とても興味深いけど、これで失礼するわ。楽しんで。ギデオンは、食事を終えたら部屋に来て」
ナプキンを置いて腰を上げた私に、サイが続く。私のことなど気にしない様子で続くやりとりにうんざりして、食堂を出た。
「ギデオンが来たら、一緒に屋敷の中を見て回るわ。何が使えるのか見ておきたいから。そうだ、奴らが歓談してる間に準備しておかなきゃね」
思いついて階段を目指していた足を止め、踵を返して廊下の奥へ向かった。
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