第7話

 ギデオンが私の部屋に現れたのは、それから一時間ほど経ってからだった。


「バラに見惚れてたんでしょ、よく分かるわ」

「そう言うなよ。情報収集も大事だろ」


 ギデオンは笑い、水色を基調にしたインテリアをぐるりと眺める。壁は水色に塗られ、ところどころに金のモールドがはめこまれている。カーテンは白に水色の柄、二人掛けのソファも同じ組み合わせだ。青の一人掛けが、いいアクセントになっている。


「お姫様にはぴったりのお部屋だな」

「それは素直に受け止めておくわ」


 コンソールの上にたっぷりと活けられた白バラを眺めたあと、二人掛けに腰を下ろす。ギデオンは一人掛けにどさりと座って、煙草入れを取り出す。気づいて、サイドテーブルから手に取った銀の煙草入れを差し出した。使い込まれた表面は鈍く照り、隅にはW.Fのイニシャルが刻まれている。


「お父様の部屋から取ってきたの。これくらいは、いいんじゃない?」

「もらっとくよ」


 ギデオンは受け取って蓋を開き、中を確かめたあと一本引き抜く。サイはすぐ、火を点けに向かった。


「どうもBとDが組むみたいだね。ディーンが言うには、アンドリューは強請られて金がなくて、工場の金に手をつけてる。ディーンはその件を利用して、ギャンブルの借金をアンドリューに支払わせてた。あと、新聞社の金に手をつけたせいでクビになったらしい」

「ほんっと、揃いも揃って出来のいい大人達ね!」


 どこが始まりかなんて考えたくもないほど情けない。


「お父様は『溝浚い』をしたいんじゃないかと思えてしまうわ」

「本当にそうかもね」


 さすがのギデオンもうんざりした様子で、煙草の煙を長く吐く。アンドリューが工場の金に手をつけたことには、思うところもあるだろう。工場長と技師、立場は違っても共にオートマタを誠実に送り出す信念で働いていると思っていたはずだ。


「早速だけど、屋敷にどんなものがあるのかを一緒に見て回りたいの。ナイフだけでも殺せるけど、知られないように殺す機会が限られるから」

「そうだな。俺も、どんなオートマタがあるのか見ておきたい」


 ギデオンは煙草を噛んで大きく伸びをし、気づいた様子でシャンデリアを見上げる。装飾の先にはいくつものガラスパーツがぶら下がり、差し込む日差しにきらめいている。インテリアはあまり好みではないが、このシャンデリアだけは気に入った。


「知ってる? 真空でガラスに光を当てると、水よりも屈折するんだよ」

「たまに、ナタリーの目には梁が入ってるんじゃないかって思う時があるわ」


 苦笑して腰を上げると、ギデオンはサイの差し出した灰皿で煙草を消してから続いた。いつの間に、そんなもの。サイは涼しい顔であらゆることをこなすが、たまにまだ驚かされることがある。


「で、一通り見て回ったら、軽く体動かしましょ。ギデオンが一番得意なのは何?」

「ステッキ術かな」

「じゃあ、それを鍛えて。イアン以外には勝てるようにしとかないと」

「Jが強いのは分かってるけど、イアンはどれくらい強いんだ?」


 廊下へ向かいながら尋ねたギデオンに、思わず口を噤む。


「狙撃は負けると思ってらっしゃいます」

「言わなくていいわ」


 頬を膨らませて言い、背後に控えるサイを睨む。でも相変わらず、涼しい顔のままだ。

「……悔しいけど、狙撃はね。その代わりナイフと格闘は負けないんだから」

 渋々認めて言い足した私の頭を、ギデオンがぐりぐりと撫でる。


「子供扱いしないで」

「かわいいから撫でてるだけだよ」


 それは分かっているが、小っ恥ずかしい。父のスキンシップは一方的に叩きのめされるものだったし、母に至っては。


――寄らないで、あんたは嫌いよ。移民とでも遊んでらっしゃい。


 同じ女であることが拒む理由になるのか、母の愛はイアンにだけ注がれた。私は、母に抱き上げられた記憶がない。覚えているのは、近くにある手を握ろうとして振り払われたことくらいか。当たり前のように手を繋ぎ、抱き上げたイアンに微笑み掛ける姿を、惨めな思いで見つめていた。


 父は妻と妾、全ての子供を同じ屋敷の中に住まわせた。平等に接すためだったらしい。頭の中ではずっと花が咲き乱れていたのだろう。そうとしか思えないし、違うのなら余計に性質が悪い。……まあ、そういう人ではあったけど。


 それはさておき、その生涯で抱えた四人の妻と妾のうち、アイリスとリリーは最初、妾だった。アイリスはフローレンスの死により二番目の妻となり、リリーはアイリスの死により三番目の妻となった。母も、しばらくすればリリーも死んで自分が四番目の妻になれると思っていた。でも残念ながら、がっちりとした固太りの体に野太い首を生やしたリリーは未だ健在だ。


 かつてはフローレンスとアイリスが、次にアイリスとリリーが、そして今はリリーと母ロージーが女の戦いを繰り広げている。そして子供達はそれを止めながら大きくなった。最悪だ。ちなみに島へ来る前は、母がリリーを麺棒で殴ってリリーに放り投げられていた。


――早く死になさいよ! なんであんただけこんな長生きしてんのよ!


 絶叫する母の声は、今も耳にこびりついている。

 結局母は、妻の部屋へ移る願いは叶うことがないまま終わってしまった。イアンではなく私が戻れば、たとえ私が殺したと知らなくても、ヒステリックに叫び罵って大暴れするのは目に見えている。


 寄宿学校へ入る前に、屋敷を出なくてはならないだろう。元々、ようやく厄介払いできると言われていた入学だ。母は二度と私の顔を見たがらないし、これまで以上に死ねばいいと願うようになる。


「お嬢様」

 背後から聞こえた声に、現を取り戻し一息つく。上げた視線の少し先に、前を行くギデオンの背があった。それとなく一歩下がって、サイの手を握る。幼い頃から、一番多く触れてきた手だ。


「父は死んだし、私も学校に入るより早く家を出なきゃいけなくなるわ。あなたはどうするの?」

「私がお仕えしているのはお嬢様です。寄宿学校へ入られる前も、入られたあとも、変わることはありません。私の命はお嬢様のものです」


 淡々とした言葉に小さく頷いて手を離し、ギデオンの背を追った。

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