第3話 頑張らなくても愛されたい

「私、もう頑張りたくないの。それでも良いかしら?」


「いいんじゃないかな? 私は子供の時のキミも知っているし。頑張らなくても素敵なことは知っているよ」


「まぁ、レアンってば……」


 アリシアは頬を赤らめ、日傘の下に隠れるように俯く。


 二人は思い出の庭園に来ていた。


「あの日も、こんな風に良く晴れたいい日だったよね」


「そうね」


「二人して駆け回って。転びそうになったアリシアを助けようとして、結局、一緒に転んで。泥だらけになったっけ」


「ふふふ。あの後、二人して怒られたわね」


「ああ。ホント、乳母たちが怖いのなんのって……危うく、おやつ無しにされる所だった」


「アレは危なかったわよね。ふふふ」


 初夏の午後。


 日差しが降り注ぐ庭園は、少し汗ばむくらいの陽気になっていた。


「お茶でも飲もうか」


「そうね」


 ガゼボのようなティールームは解放感があってリラックスできた。


 貴婦人たちが笑いさざめく片隅に、二人は座った。




「ねぇ、お聞きになった? 新しい王太子殿下の婚約者の事を」

「ええ、聞いたわ」

「男爵令嬢だという方の事ね?」

「そうよ。今は侯爵家の養女だそうよ」

「まぁ、そうなのね」




 貴婦人たちの会話がアリシアの耳にも届いてきた。




「でも、大丈夫かしら?」

「何が?」

「男爵令嬢なのでしょう? 身につけるべき事が多過ぎるのでは?」

「それがね、意外と優秀らしくて」

「まぁ」




 ピンク頭の男爵令嬢がどれだけ優秀でも、今のアリシアが心を痛める必要はない。


 目の前には、優しくて頼りになる婚約者がいるのだから。


「ん~、お菓子がどれも美味しそうで目移りするわね。どれにしようかしら?」


「ふふ。全部頼めばいいじゃない」


「まぁ。甘やかすのね?」


「ああ。甘やかすよ」


「でも、割と種類も豊富なのよ。食べきれないわ」


「ふふ。残ったのは、私が全部食べてあげるよ」


「あら。もしかして、レアンってば甘党?」


「さぁ? どうかな?」


 どんなお菓子よりも甘い笑顔を浮かべる婚約者に、アリシアの頬は赤く染まった。


「美味しそう」


 レアンは椅子からヒョイと腰を浮かせると、アリシアの頬をサッとかすめるようなキスをして、なにくわぬ顔で再び椅子に腰を下ろした。


「……っ」


 真っ赤になって固まった純情な令嬢に貴婦人たちは一瞬だけ口を噤んで微笑ましげで羨ましげな視線を投げると、物欲しげになる前に再び会話を始めた。


 アリシアは両手で頬を抑え、ふぅ、と、大きな溜息を吐く。


 上目遣いで正面に座る婚約者を見れば、わざとらしいほど普通の顔をしてお茶を飲んでいる。


 飄々とした様子のレアンに、思わず声を出して笑ってしまった。


 そして、なんとなく。


 幸せだな、と、アリシアは思った。




◇◇◇



「結婚前に、話しておきたいことがあるのだ。アリシア」


「はい、お父さま」


 結婚式が近付いていたある日の午後。


 父に呼ばれ居間に来たアリシアは、母とレアンの姿がそこにあるのを見て、何かトラブルが起きたのだと察した。


 彼女が椅子に腰かけるのと同時に喋り始めた父の話によると。


 アリシアが王太子の婚約者に据えられた事と、レアンには関係があったようだ。


「レアンが、前国王陛下の御子さま?」


「そうだ、アリシア」


「黙っていてゴメンね、アリシア」


 申し訳なさそうにレアンは頭を下げた。


「いいの。私も察してはいたわ」


 レアンは金の瞳に金の髪。


 王家の血筋には、金の瞳を持つ者が多い。


 それにレアンと王太子は顔立ちも似ている。


 近い血縁関係であることは、何も言われなくても察することは出来た。


「前国王は若くして崩御されたので、現国王が王座についた。前国王の王妃であるレアンさまの母君も後を追うように亡くなられ……」


「母は伯爵令嬢だったからね。私自身の後ろ盾は弱かったんだよ。だから、隠されてしまった」


「そうだったのですね」


「前国王派の者たちは有力者揃いだ。レアンさまの存在が明らかになったら……」


「ええ。血を見る事態に発展しかねません。私自身は、権力に興味はないし。今の所、国も安定しているから不満はない」


「そうなのですね」


「だが、王家はレアンさまを危険視した。特に、お前とレアンさまは仲が良かったからね。万が一、我が家をはじめ前国王派が結託してレアンさまを擁立することになれば、厄介な事になると考えたのだろう。それで王家は、お前を王太子殿下と婚約させたのだ」


「……」


 そんな話があったなんて。


 迷惑な話だと、アリシアは思った。


「お前と王太子殿下の婚約破棄を受け入れたのは……あれから年月が経ち、自分達の立場が盤石であると考えたからだろう。だが、お前とレアンさまの結婚が実現する今。王家は少々焦っているようだ」


「そうなんだよ、アリシア。もしかしたら、キミにイヤな思いをさせることになるかもしれない」


「構わないわ。レアン。アナタの為なら……」


「ありがとう。……でも、キミが望むなら、今からでも王位に挑むのもやぶさかでないけれど。アリシアは、どう思う?」


「レアン。私は以前からのお約束通り、アナタをダナン侯爵家に婿養子として迎えることを望んでいますわ。やり返したり、復讐したり……そんな事は望んではいません。私は……アナタと幸せになることを望んでいるのよ、レアン」


 彼は蕩けるような笑顔を婚約者に向け、


「喜んで従うよ」


 と、言うなり彼女を抱きしめた。


 アリシアは彼の腕の中で固まり、両親は何とも形容しがたい表情を浮かべて見ていたが。


 誰も咎める者はなく。


 未来のダナン侯爵が腕をほどいたのと同時に、居間は笑い声で満たされた。



◇◇◇



 良く晴れた七月のある日。


 アリシア・ダナン侯爵令嬢は、レアン・スタイツ伯爵令息と結婚した。


 一人娘である彼女の元に、レアンは婿養子として寄り添った。


 二人の結婚は、愛する人たちに見守られた温かなものだった。



◇◇◇



 良く晴れた八月のある日。


 王太子とミラ・カリアス男爵令嬢改め、ミラ・シェリダン侯爵令嬢との婚姻の儀が執り行われた。


 二人の結婚は、国を挙げての盛大なものとなった。


 久しぶりの慶事に国は湧き、花屋から花が消え、飲み屋からは酒が消え、この機会に結婚を決めるカップルが多数出るなど国民は浮かれた。


 王太子妃となったミラは、幸せの絶頂を迎えたのだった。



◇◇◇


 

「ふふふ。アナタは私を甘えさせてばかりいるわ」


「ああ。キミを甘やかすのは、私の趣味みたいなモノだからね」


「でも、私。怖いわ。私はアナタにキチンとお返しが出来ているかしら?」


「愛にお返しなんて要らないよ。それにキミは宝物をくれたじゃないか」


 レアンはスヤスヤと眠る赤子を愛しげに見つめた。


「私に家族と家庭を与えてくれたキミは、私にとって一番の宝物だよ」


「まぁ」 


「私の宝物を守る為なら何でもするさ。……王位継承権、と呟いて王族を脅す、とかね」


「ふふふ。もぅ、レアンってば」


「ふふ。キミたちの笑顔を守るためなら、私はなんだってするよ?」


「知ってるわ。それに……もう十分、して貰っているわ。ダナン侯爵さま」


「ふふ。それは良かった。ダナン侯爵夫人殿」


 レアンは、お得意のかすめるようなキスをアリシアの頬にして。


 翻すつもりだった両頬を妻の細くしなやかな指に捕まえられた。


 少し間抜けな形で固まった唇に、アリシアは自分の唇を重ねる。


 愛し愛され、甘えられることの贅沢さを知っていく日々は、アリシアを変えていった。




◇◇◇


 


「王妃なのだから」

「そのくらいは当たり前」

「しっかりしてくれなくては困ります」

「コレも、やっておいてくれ」


 気楽な男爵令嬢から王太子妃になり。


 やがて王妃となった女性は、やってもやっても当たり前になっていく日常に疲弊していく。


「昔はこんなじゃなかったよな」

「……」


 ペドロは王太子から国王になった。


「もっとやってくれたし。もっと構ってくれた」

「……」


 最近のペドロから文句が出ない日はない。


「子供も出来ないし」

「……」


 そんなペドロに対し、元男爵令嬢が出来る事と言えば、黙ってかしずくことだけだった。



◇◇◇



 アリシアとレアンは、二男一女に恵まれた。


 ペドロと元男爵令嬢との間に子が出来ることはなかった。


 なんとか側室との間に王子を儲けたペドロは、ダナン侯爵家へ婚約を持ちかける。


 しかし、アリシアが首を縦に振ることはなく。


 ペドロと元男爵令嬢の妃は、権力の座を巡って水面下の戦いを強いられることとなった。

 


◇◇◇

 


 本当の幸せを手に入れたのは、どちらなのか?


 その答えを出すことには意味がない。


 幸せは頑張って手に入れるモノではなく、心と命で感じ取るものなのだから ――――――。



◇◇◇ おわり

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【短編】王太子に婚約破棄されましたが幼馴染からの愛に気付いたので問題ありません 天田れおぽん@初書籍発売中 @leoponpon

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