12、今は高笑いをする気にはなりませんの

「ワーッ、ぬいぐるみが王子殿下を襲っているぞ!」

 

 わたくしが「もしかしてあざとかったかしら」とコッソリ反省していると、近くの学生が声をあげました。

 

 ぬいぐるみ。襲う。心当たりが。

 見てみると、思った通り、ナイトくんでした。

 

「……ナイトくん!」


 ナイトくんは、ユスティス様に体当たりするみたいにぶつかっていました。そして、もぞもぞとぬいぐるみの手で制服を引っ張ったりしているのです。


「どうしてぬいぐるみが動いていますの?」

「伯爵家のご令嬢が……あっ、第二王子殿下」

 

 周囲の視線が寒々としている気がします。この視線、覚えがありますわ。それ以上にわたくしのそばにいる方が。

 

「俺の婚約者が何か?」

「い、いえ」

 

 チラッと見ると、とても爽やかな笑顔で圧を放っているではありませんか。

 こんな婚約者が並んでいれば、確かにわたくしの悪役令嬢ムーヴも捗るでしょうね!


 でも、今は高笑いをする気にはなりません……!

 

「申し訳ありませんユスティス様! わたくしのぬいぐるみが失礼を……」

 

 慌ててナイトくんを回収すると、ユスティス様はシャツの襟元を直そうとしながら優雅におっとりと微笑み、「今日もナイトくんは元気だね」と仰ったのでした。

 その笑顔がとても徳の高い感じで、包容力たっぷりで、世の中の悪を全部許しますって感じで、神々しくて慈愛にみちていて、眩しいのです……!

 し、しかも、ちょっと乱れた制服がドキドキではありませんか? はだけたシャツの前が。


「きゃーっ」

 周囲から黄色い声があがっているではありませんか。気持ちはとてもわかります。わたくしも、うっかり声をあげそうになりましたもの。でも、そんな状況でもないわけでして。

 

「失礼しましたわ!」

  

 わたくしはアワアワとかしこまり、頭を下げるばかりでした。


「っはは、そんなにかしこまらなくていいよ。ちょっとじゃれただけだよ」

 

 ユスティス様のお声は、とても穏やかで柔らかい雰囲気なのです。

 なるほど、こんな王子様だからわたくしは恋をしたのですね。

 

 むしろ、この王子様に好感を抱かない令嬢っているのでしょうか?

 優しいのですが。

 目がくらむようにお美しいのですが。

 声も美声なのですが。


「ナイトくんのイタズラは、困ったもので……わ、わたくしの責任ですわ」


 けれど、日記によると、イタズラがきっかけでわたくしはユスティス様と親しくなれたのだそうです。

 

 日記には、書いてありました。

 

 王子様にナイトくんをプレゼントしていただいたこと。

 動かしてみたら、大はしゃぎのナイトくんは王子様に粗相をしてしまったこと。

 豪奢な衣装をびりびりに破って、王子様が隠されていた胸元の傷をあらわにしてしまったこと。

 

 けれど王子様は優しく許してくださって、ナイトくんに名前をつけて、わたくしを守るようにおっしゃって、優しくわたくしを撫でてくださったのです。

 

 日記には、そう残されていました。わたくしが覚えていない、思い出せていない過去の思い出です。


 ユスティス様は、ナイトくんを優しく撫でてくださり、仰るのです。

「可愛いじゃないか。元気そうだと、こちらまで元気をもらえるみたいで、私は好きだな」


 『私は好きだな』

 『私は好きだな』

 『私は好きだな』

 

 ――美声が脳を茹で上がらせるみたいに甘く脳内で反響しています。わぁ、わぁ。

 

 やはり、好きではないと言われるより好きだと言われたほうが嬉しいものですわ。

 ときめきますわ。

  

「おかげさまで、元気にしておりますの」

 

 かしこまっていると、ユスティス様はお兄さんな温度感でわたくしの頭を撫でてくださいました。

 大きな手のひらはあったかくて、恐れ多くて、ドキドキします。


「弟をよろしくね」

 

 ユスティス様は意味ありげにわたくしの背後に視線を送り、ちょっとイジワルに口の端を持ち上げました。


「ランチタイムにまた会おう」

 

 大きな手が離れてひらひらと手を振る所作は洗練されていて優雅で、わたくしは思わず反射で頷いてしまったのでした。

「ユスティス様」

 アミティエ様がユスティス様の隣に並び、直っていなかった制服のボタンを留め直してあげています。お世話するのにとても慣れている雰囲気で、とても絵になるおふたりです……。


「……はっ」

 頷いてしまいましたよ?

「オ、オヴリオ様。今のお聞きになりまして? わたくし、ランチタイムにまた会おうって言われましたが」


 オヴリオ様とのランチを約束したのに、約束が被ってしまったのでは。


 わたくしがハッとして様子をうかがうと、オヴリオ様は気にした様子もなく自然な笑顔でうなずきを返してくださり。

「元々、兄上のサロンで過ごすつもりだったんだ」

 そう言ってわたくしの腕からナイトくんを持ち上げ、ナイトくんの手を持ってふりふりと揺らし。


「メモリア嬢は兄上を慕っているのだから、俺を気にせず兄上とのコミュニケーションに励んで構わない。ぼんやりしてて流されやすいのも、知っている」


 そうのたまって、ナイトくんの腕を動かして、ナイトくんの手でわたくしの頭をいい子いい子と撫でてくれます。


「そしてこれで上書き」

「上書きとは、なんです?」


 不思議な儀式みたいにひとしきり撫でられながら、わたくしは「そういえば」と名前についた「嬢」に気付きました。 


 ――呼び方が元に戻っているではありませんか。メモリアと呼んでくださっていたのに。


「わたくしばかり幸せ気分になって、すみません。次はオヴリオ様がアミティエ様と親密にコミュニケーションが取れるよう、お手伝いしますわ」

「俺はいいよ」

「そんな、諦めないで。小説の中の当て馬はもっとぐいぐいいきますのよ」

「俺、小説のキャラクターじゃないから」

「急に現実と虚構の区別をつけるじゃないですか」  


 オヴリオ様は、あまりやる気がなさそうです。

 当て馬を頑張る気力が今は尽きていらっしゃるのでしょうか。また回復してあげなくては……。

 

「ところでサロンってなんでしたかしら」

「そこ、忘れてしまっていたか」

 

 わたくしの記憶は、ふわふわです。覚えていたり、いなかったり。思い出したり、思い出せなかったり。困ったものですわ。


「サロンという言葉からは、社交の場とか、権力者、この場合はユスティス様がなんらかの条件で選んだ人たちの集まって交流したり何かの活動をする場を設けているとか、そんなイメージが湧くのですが」

「だいだいそんなイメージで合っている」

「淑女の集まり、というイメージもありましたが」


 わたくしは一瞬、ユスティス様が可憐な淑女に囲まれているのを想像しました。なかなか様になっています。実際、ユスティス様に憧れている令嬢はとても多いでしょうし。


 右側にアミティエ様。

 左側にわたくし。

 そして、大量の令嬢方が周囲を囲み。

「ユスティス様、召し上がれ」

 わたくしの脳内で、アミティエ様がユスティス様に「あーん」をしている光景が浮かびました。


 ……わたくしったら、何を想像しているのかしら。


「メモリア。君、おかしな想像をしていないか?」

「はっ……いいえ。そんな。ハーレムなんて想像していませんわ」

「サロンはハーレムではないぞ」

「も、も、もちろんですわ! わたくし、そうじゃないかと思っておりました。でも、『あーん』は現実にありそうな」

「あーん、ってなんだ?」


 記憶の抜けている部分をひとつ発見しつつ、わたくしは講義を受けるべく校舎に足を踏み入れるのでした。

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