〈中編〉

「まさか、カレーの具材にリンゴを使うとは」

 私がリンゴ半個を角切りにするのを、茉子が何故だか感慨深そうな様子で眺めている。

「やっぱり珍しいのかなあ。実家うちではこれが当たり前だったから、普通はせいぜい隠し味としてしか使わないって知った時は本当にビックリしたわ」

 つい先日、船長が実は辛いものが苦手であることが判明した。部下たちに気を遣って黙っていたとのことだけど、知ってしまったからには、このリンゴ入りカレーのアイデアを何としてでも活用しなければならない。

「それでも、実家ならこの分量に対してまるごと一個は使うわよ。カレールウも実家では甘口を使ってたし、これでも普通の人向けにしてるつもり」

「一応、食卓に七味を出しておこうか……」

 私は角切りを終えると、ボウルを片手に業務用の電磁調理器IHの前に移動した。火気厳禁の船においては、調理室の設備も火事の危険を極力抑えたものとなっている。

 IH対応の中華鍋を取り出して電磁調理器のスイッチを入れてると、茉子が調味料などの必要なものを全て持ってきてくれた。

「はい、油としょうが」

「さんきゅ」

 茉子から受け取ったサラダ油を中火で熱して、最初にしょうがを炒める。香りが立ち始めたところで、いよいよ真打ち、合い挽き肉500gの登場だ。

「うーん、もっと多くても良かったかしら」

「今回は野菜も多いし、僕はこれくらいで良いと思う」

 合い挽き肉を投入すると、ジュウジュウと肉が焼ける音と食欲をそそる匂いが調理室中に広がった。

「ねえ、合い挽き肉の手作りとかしてみたくない?」

「僕ら司厨じゃないんだから……」

 中華お玉で色が変わるまで炒めたら、残りの具材を一気に加えて、塩こしょうを振って更に炒める。野菜に火が通ったら、小さなボウルに合わせておいた調味料を加えて、そのまま汁気がなくなるまでグツグツと煮込んでいく。

 汁気がなくなるまでの数分間、私と茉子は中華鍋を前に四方山よもやま話を繰り広げる。

「一級海技士の勉強はどう? 機関の一級って、航海の一級より難しいんでしょ?」

「そういえば今朝、船の横をイルカが泳いでたよ」

「外航船に乗ってる友達が、鳥が迷い込んだ時のために鳥用飼料を買ったんですって。私たちもやってみようよ」

「八戸沖の座礁事故、全員救助されたってネットニュースで見た」

「やっぱり揚げ物作ってみたいなあ……ゆくゆくは天ぷらとか」

「茜は負けず嫌いだと思う」

 ドライカレーの具が煮詰まってきた。

 私は電磁調理器の電源を切ると、調理台の上に出しておいた受け台に中華鍋を置いた。

 茉子が盛ってくれたホカホカご飯の上に、中華お玉で出来たてのドライカレーをかけていく。

「機関長が、いつもより少なめが良いって」

「了解っと……茉子はどうする?」

「僕はいつも通りで」

 私がかけたドライカレーの上に、茉子が半個の固ゆで卵をひとつずつ乗せていく。そして最後に固ゆで卵の上にパセリをかけて彩りを添えたら、奈良橋流特製ドライカレーの完成だ。

「美味しそう……それにおしゃれ」

「でしょ?」

 茉子がゴクリと唾を飲み込むのを盗み見て、私は心の中でガッツポーズをする。

 その後、スープ皿にコンソメスープを取り分けて、隣接する食堂に茉子とふたりで配膳。最後に、キンキンに冷やしておいたやかん入りの麦茶を食卓の中央にドンと据えて、昼食の準備は終了となった。

「そうだ、中華鍋だけ先に洗っておこうかしら」

「それなら僕が放送かけるよ」

「うん、よろしく」

 スピーカーから流れる茉子の心地良いアルトを背中で聞きながら、中華鍋の油汚れを素早く丁寧にこそぎ落としていく。

 調理とは、食材の加工だけを指すのではない。事前の買い出しや、食後の後片付けまでをも含めた全工程が「調理」なのだ。



 全員が昼食を終えた後、私は茉子と一緒に後片付けを始めようとした。

「ごめん、茜。ちょっと急ぎの作業があって」

 茉子が、申し訳なさそうな顔をして手を合わせてくる。もちろん私は、快く茉子を送り出した。

「いつも本当にごめん」

「気にしないでよ」

 足早に調理室を去っていく茉子。

「……よしっ」

 私は、茉子が廊下の角を曲がるのをしっかりと見届けてから、調理室に引っ込んだのだった。

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