彼女と私の船ごはん
こむらまこと
〈前編〉
三つの卵が、お鍋の中でブクブクと踊っている。キッチンタイマーのアラーム音が鳴ると同時に熱湯から掬い上げると、予め用意しておいた氷水の中にそっと落とした。
「あちちっ」
氷水の中でつるんと殻を剥いたら、キッチンペーパーで軽く水気を拭ってから半分にカット。
半個の固ゆで卵、六人分の完成である。
(今回は殻が綺麗に剥けて良かったあ)
ホッと胸を撫で下ろしながら、固ゆで卵を一旦小皿に移してラップをかける。そうして次の工程に移ろうとしたところで、心地の良いアルトの声が調理室に飛び込んできた。
「遅れてごめん。すぐに準備するから」
言い終わらないうちに、出入り口すぐ横の洗面台で入念な手洗いを始める。手の皺や爪、手首はもちろん、肘まで洗う徹底っぷりだ。
「気にしないで、
滑落防止のストッパーが付いた食器棚から大皿を出して並べながら、明るい声でフォローの言葉を返す。
すると彼女は、ちょっとだけこそばゆそうな顔をして答えたのだった。
「ん、ありがと」
私は
つまり、私たちが今いるのは、陸地から何kmも離れた海の上。現在は、和歌山県は潮岬の沖合いを11
「それじゃあ、茉子にはサラダを頼もうかな」
塩を振っておいたキャベツから十分に水気が抜けたことを確認してから、いそいそとエプロンを付ける彼女にお願いする。
「了解。コールスローサラダだね」
彼女はエプロンと三角巾を付け終わると、早速ボウルに入れておいたキャベツの水分を切って、コールスローサラダの仕上げに取りかかった。
(サラダはもう、茉子に任せておけば安心ね)
チョコレートブラウンのショートヘアに包まれた中性的な面立ちから視線を外すと、巨大な業務用炊飯器で炊いた白ご飯をしゃもじでザックリとかき混ぜる。それから、玉ねぎとにんじんのコンソメスープを業務用のスープジャーに移して保温モードに設定すると、メインの食材が並ぶ調理台へと戻った。
「明星丸」の乗員は、船長を含めて六人しかいない。船長と航海長、一等航海士の先輩、二等航海士の私。それから機関長と、一等機関士の茉子という構成である。つまり、この船には
司厨というのは、船の中で調理に従事する船員を指す言葉である。海自では給養、海保だと
ただ、人手不足などの理由で「明星丸」のような少人数で運航される小さな船には司厨がいないことが多い。ではどうするかというと、司厨としての教育を受けていない乗員が自力で食事を用意することになる。具体的な方法は船によってまちまちだけど、「明星丸」の場合は停泊中と航行中で方式を変えている。
岸壁に停泊している時は、レトルトなり外食なりで各自が思い思いに食事を済ませる。その代わりに航海中は、乗員の一体感を高めるために船長を除いた五名の持ち回りで全員の食事を用意する。といっても、基本的には下っ端である私と茉子が三食準備するんだけど。
パワハラじゃないかって? いいえ、本船はそんなものとは無縁です。
竣工して二年の新造船だから調理室も綺麗だし、今時は冷凍食品も美味しいし、ミールキットも活用してるし、本物の司厨には及ばずとも、要領さえ掴めば案外できてしまうのだ。それに、
何よりも、ボーイッシュだけど可愛いところもある同僚の茉子と一緒に料理ができる、これだけで私はすごく嬉しいのだ。会社勤めの友人からは公私混同と言われそうだけど、そもそも船内の生活は公私の区別がつきにくいのだから、このくらいは多目に見てほしいところである。
私は調理室の時計をチラリと見た。昼食の時間まであと30分。ここからが正念場だ。
まずは、途中だった下ごしらえを迅速かつ丁寧に進めていく。玉ねぎとにんじん、しょうがの処理は既に終えているため、残りのピーマン、しいたけ、ほうれん草を全てみじん切りにして、大きなボウルに合わせて盛っておく。
それから、今度は小さなボウルに全ての調味料を合わせていく。カットタイプのホールトマトを投入して、中濃ソースとケチャップ、顆粒コンソメ、そしてカレー粉を加えてスプーンで混ぜる。
そう。本日のメインディッシュは、みんな大好きドライカレーだ。それも、普通のドライカレーではない。
「――奈良橋流特製ドライカレー?」
コールスローサラダの盛り付けを終えてホワイトボードを確認していた茉子が、怪訝そうな声を上げた。調理室のホワイトボードには、船のみんなに少しでも楽しみを提供するため、航海中の献立予定表を掲示していた。また、調理に取りかかる前には分量を含めた材料一覧を記載して作業の円滑化を計るなどの工夫もしている。
こちらを振り向いた茉子に、私はニンマリと笑いかけた。
「へへん。今日は、これをドライカレーに入れるつもりよ」
「ええっ」
私が指した具材に、茉子が目を皿のように丸くした。
「てっきり、デザートにするのかと」
「普通はそう思うよね」
感情の起伏が(少なくとも表面上は)少ない茉子を驚かせたことに内心ほくそ笑みながら、私はその具材をまな板に乗せた。
「任せて! 美味しさは絶対に保証するから!」
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