#43 一歩前進→一マス戻る

 ちまちまとパンを食べ進める傍ら、俺は青春ノートの最初のページを開いた。そこには、『中庭で友達と昼を食べる』という俺の夢が書いてある。


 食堂と屋上については、これまでの日々でなんとか埋められた。しかし、そのどれもが相手に誘ってもらってのことだ。ようやく、自分きっかけでみんなと昼を過ごせて、俺は満足感を覚えていた。

 それを忘れるまいと、左端にチェックを付ける。


 かつて、中庭に面した渡り廊下で一人パンを頬張っていたあの頃が、俺の頭には過っていた。正午を迎えて日が高くなっている時間、外にいるというのに、俺がいる場所を太陽が直接照らすことはない。漏れた光の余波を浴びているだけだった。そのせいか、俺には中庭で昼食を食べている他の生徒が、やけに眩しく見えたのを覚えている。その感覚が余計に俺を惨めにしたのだ。


「良かったね」


「そうだな」


 内心を見透かしたような明海の発言に、俺は首肯する。彼女が接点を作ってくれなければ、俺は今もあそこで黙々と食事を取っていたかもしれない。渡り廊下に目を向けると、俺の方を見ていた茂木が視界に入る。


「どうかしたか?」


「そのノート、何が書いてあるんだい?」


 茂木が指したのは、膝上に置いてある俺の青春ノート。そういえば、明海以外の人間にはこれの話をしたことなかったんだったな。


「気になるか?」


 自分に興味を持ってもらえたのが嬉しかったのか、俺はやけに勿体ぶった言い方をしてしまう。これ、自分がやられたらと思うと結構むかつくぞ。

 けれど、茂木は変わらぬ調子で「もちろん」と答えた。


「だって、上機嫌でノートに何か書いたかと思ったら、今度は少し切なそうな顔してさ。どんなこと書いてるのか気になるだろ?」


「俺、そんな顔してたのか……」


「うん、してたよ」


 茂木の意見に、まさかの明海も同意する。俺って、そんなに顔に出やすいのかな。

 それはさておきだ。茂木の疑問を解消しようと、俺はノートを閉じ、その表紙を見せた。


「青春ノート……?」


 何が何やらといった困惑を浮かべる茂木。


「これは、俺が高校生活で叶えたいことを書いたノートなんだ。さっき書いてたのは……」


 俺は再びノートを開き、チェックを付けたばかりの『中庭で友達と昼を食べる』という部分を見せる。それを見て、茂木は感心したような声を上げた。


「楽しそうな計画だね。ノートっていうくらいだから、他のページにも色々書いてあるのか?」


「ああ。全部は埋まってないけど、入学前に思いつく限りのことは書いたつもりだ」


 本当は一回書き直してるけど、それを話すには明海の家に行ったことを説明しないといけないので、割愛させてもらう。


「ねぇ、なんか面白そうな話してない?」


 茂木の肩から、井寄がひょっこり顔を飛び出させる。反対の肩から九条が顔を出せば、ケルベロスみたいになりそうだ。といっても、九条がそんな茶目っ気のあることをするとは思えないが。


「もしかして、三人で隠し事?」


 そう煽るように言った九条は、茂木の肩から――ではなく、井寄の肩から顔を覗かせた。意表を突いた行動に、俺は堪らず吹き出してしまう。


「え、ちょっとどうしたの?」


「悪い、九条がこんなに面白いと思わなくて……」


「それ、今までつまらない女だって思ってたってこと?」


「違う違う! けど、お堅い感じだって印象ではあったから……意外だったっていうか」


 追及するような九条の瞳に気圧され、俺は身振り手振りで弁明に励む。

 正直に白状したら、意外にも笑い声が弾けた。が、その主が井寄だったことで俺は嫌な予感を抱く。


「はははっ、瑠璃ってばまた怖がられてるじゃん! やっぱさ、もっと笑った方がいいんだって!」


「うるさい。私は、あんたみたいに笑うのが得意じゃないの」


 そう言って、九条はそっぽを向いてしまう。


「俺も、その……ほら、笑うの得意じゃないし。無理して笑わなくてもいいと思うぞ? ……な? 堂島もそう思うだろ?」


「む、俺か」


 すまない堂島、力を貸してくれ……! 最初は励まそうとしてたんだけど、俺に向けられた九条の視線が鋭くて……。ここで何か一発、熱い一言で九条を元気づけてあげてくれ!


「友哉の言う通り、無理して笑う必要はないと思う。大切なのは、心だ。健全な精神は健全な肉体に宿ると言うだろ? 九条も一度、筋トレから始めてみるといい」


「あー……うん、そうしてみる」


 この空気、どうしたものか。これは間違いなく、話を振った俺の責任だよな。残念なことに、陽キャ(なれているかは置いておいて)デビュー数週間の俺には、ここから巻き返す話術がない。


「ワー、ソロソロジカンダネ! ハヤクキョウシツニモドラナイト!」


 鐘の音を聞くや否や、明海は片言でこの場に収拾をつけようとする。彼女以外もその意図を感じ取ったのか、いそいそと身支度を整え始める。

 救いの手を差し伸べてくれたのは、人ではなく、刻限を知らせるチャイムの音だった。

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