#37 手の平サイズの温もり

 告白が成功し、正式に恋人になったというのに、神様は喜ぶ時間を与えてすらくれなかった。互いに思いを打ち明け、心が繋がったのも束の間、屋上の扉が乱暴に開けられる。


「いつまで校内に残ってるつもりだ!」


「大門先生……」


 第一声の咆哮に、俺は冷や汗を滲ませる。振り返った明海も、招かれざる客の登場に意表を突かれていた。

 大門大介先生、俺達一年の学年主任を務める教師だ。たしか、サッカー部の顧問だったか。堂島と二人で並ぶと、親子みたいに見えると話題になっていた気がする。


「ん? 新宮と明海か。今日から試験期間だ。部活動も禁止されてるというのに、お前達ときたら……」


 学年主任らしく説教に移ろうとした大門先生が、唐突に口を閉ざして俺達を交互に観察する。

 顎に手を当て、さながら名探偵の振る舞いの先生は、やがてしたり顔で言った。


「放課後の屋上、男女が二人っきり、そして何やらむず痒い空気……。そうかそうか、これは邪魔したな」


「……え」


「見たところ、新宮の方からか! 屋上に呼び出してとは中々ロマンチックじゃないか! がはは! 若いってのはいいもんだな!」


 少し前のじれったさを吹っ飛ばすように、大門先生は快活に笑う。告白現場が見つかって叱られるのも最悪だけど、こうやって受け入れられるのも同じくらい最悪だった。


 この人、早くて明日にでも口を滑らせそうだ。下手な形でバレるわけにはいかない。思いがけない要因ではあったが、進展した俺達の関係を友人に明かす口実が手に入ったと前向きに捉えよう。


「お熱いのも構わないが、しばらくは勉強に専念することだ。どちらかが進級できないとなれば、恋愛どころではないからな!」


 想像以上にまとまなアドバイスをして、「早く帰るんだぞ」と大門先生は屋上を後にした。

 とんでもない第一発見者だ。今後に呆れを覚えながら、明海の背中に声をかける。


「先生もああ言ってることだし、そろそろ帰るか」


「うん、そうだね」


 レディーファーストという言葉がある。扉を潜る時も、男性が開き女性を通すのだ。これを実践するため、俺は足早に屋上の出口――直前に大門先生が手をかけたドアノブを握る。まだ人肌に温かいことには、この際触れないでおこう。


 すると、後ろからわずかに体を引かれる感覚があった。背後を見ると、俯いた明海が俺のブレザーを摘まんでいる。垂れた前髪が目元を隠し、何やら艶やかな雰囲気を纏っていた。


「……どうかしたか?」


「えっと……私達、恋人になったんだよね」


「そ、そうだな……」


 改めて問われると、事実を肯定するだけなのに狼狽えてしまう。関係の危険性だけでいえば、これまでの方が高かったはずなのに、どうしてか今の方がソワソワしてしょうがない。


「それならさ、もういつでも、どこでしてもいいんだよね?」


「な、何をだ……?」


 怪しげな響きが、明海から紡がれる。彼女は、一体何をしようというのか。

 ま、まさか……き、ききキスとかじゃないよな……。この前のは不意打ちみたいな感じだったからどうにかなったけど、まだそういうことをする覚悟は……っていうか、明海大胆すぎないか!?


 心臓が強く鳴る音と、唾が喉を通る音だけが鮮明に耳に届く。俺は今日、男しての階段を上るのかもしれない。


(優しくしてくれ……!)


 そう届かない願いを抱き、俺は瞼を閉じる。さぁ、どこからでも来い! 受け身なのは反省点だが、これは必ず次回に活かしてみせる……!

 強張った俺の体が答えを知るのは、それからすぐのことだった。


「……明海?」


 温かい感触があった。明海の柔らかさが俺のものと重なるのを感じる。だが、それは唇なんかじゃなかった。俺は左手を動かして、そこから繋がる明海の腕を目で辿る。

 最終地点である明海の顔に視線が向くと、期待を宿した双眸と目が合った。


「これからは、いつでも手繋げるね」


「ああ、そうだな」


 ふっと体の力が抜ける。恋人になったばかりだっていうのに、気が早いのは俺の方だったみたいだ。手から感じる明海の温かさ。安心感を与えてくれる繋がり。彼女にとって、手を繋ぐという行為がどれほど大きいものなのかを実感する。そして、それは俺にとっても重要な意味を持ち始めていた。

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