#8 これが青春のオープニング

 昼休みも終わり、俺達は群れを成して教室へと戻る。金魚の糞とはいえ、この集団にいるだけでなんだか自分が特別な存在になったような気がしてしまう。

 これが集団心理というものなのか。しっかりと気を引き締めて、身の程を弁えなければ。俺はまだ陽キャじゃない。いいところでキョロ充なのだから。


「いやー、楽しかったなー。トモちんが来て、ますます昼休みが楽しくなるねー」


 先頭を歩く井寄が、機嫌が良さそうな足取りで言う。


 トモちんというのは、どうやら俺のことらしい。昼休みの後半、俺を呼ぶ時に使っていたから間違いないだろう。

 今朝の一件とこの昼休みで、俺は井寄におもちゃ認定されることとなった。思いがけない形で、『あだ名で呼ばれる』にチェックが付いた。


「俺達じゃ力不足だったか?」


「堂島君、真面目だから。揶揄い甲斐がないんでしょ。モテ男君は、そういうの慣れてそうだし」


「慣れてるわけではないんだけどね……」


「二人とも、全然面白くないんだもん。やっぱリアクション取るなら、トモちんくらいやらないと!」


 これは……褒めてもらっているのか?

 俺の初心さについて議論されるのを横目に、俺は明海にこっそりと声をかけた。


「ありがとう、色々助かったよ」


「ううん、私は何もしてないよ。私よりも桃の方が補佐っぽくなってたし」


 どうしてか自己評価が低い明海。彼女の中には、理想的な昼休みのシナリオがあったのかもしれない。事前に台本があったとすると、井寄の奔放さには手を焼いたことだろう。

 けれど、俺としては明海との出会いが全てを変えたと言っても過言ではない。だから、彼女が自分の活躍を自覚できていないのなら、知ってほしかった。俺が、どれだけ助けられていたかを。


「でも、明海が呼びかけてくれなかったら、そもそもあの会は成立しなかっただろ? それに、隣にいてくれるだけで心強かったんだ。その……一応彼女なわけだし」


「……そう。新宮君がそう思ってくれたなら、良かったけど」


「これは俺の本心だ。できれば、これからも側で助けてほしい」


「う、うん……」


 直球の言葉は、口にしてみると結構恥ずかしかった。それでも、言葉にして伝えたかったのだ。こうして行動することで、受け身だった自分を払拭できる気がするから。


「後ろのお二人さーん! 次の授業ロンホだからって油断してると、マルちゃん先生に怒られちゃうよー」


「あ、そっか! 新宮君、急ご急ご」


(ロンホって、もしかしてLHRロングホームルームのことか?)


 たしか、今日は担任の丸山先生が出張に行くから、五限と六限が入れ替わるんだったか。

 陽キャの世界には、まだまだ馴染むまでに時間がかかりそうだ。


 俺と明海が合流した後、全員で廊下を駆ける。廊下を走ったらいけないことなんて、小学生でも分かることだ。けど、今日だけはこれが青春なのだと感じた。家に帰ったら、『友達と廊下を走る』という項目を追加しようか。

 駆け出した序盤は、そんな呑気なことを考えていたのだが……


「はぁ、はぁ……ギリギリ間に合った……」


 教室に到着し、息が上がっているのは俺だけだった。部活に所属している堂島と九条(茶道関係あるか?)はさておき、活発な井寄と明海もケロッとしている。


「お疲れ、友哉」


「あ、ああ……」


「これ、途中で買っておいたんだ。良かったらどうぞ」


 小さな天然水のペットボトルを、茂木から受け取る。火照った体に冷たさが心地いい。


「本当は紅茶とかにしようかと思ったんだけど、友哉の好み知らないからさ。これから教えてくれよ」


「ありがとう……」


 帰宅部かつ、俺と同じひょろっとした体格に見える茂木であっても、移動中に飲み物を買うくらいの余裕があった。アウトドア派、恐るべしといったところだろうか。俺も、もう少し体力をつけないと。こんなところでバテていたら、いつまで経っても青春を謳歌することはできない。


 それから、茂木が嬉しいことを言ってくれた。『これから』ということは、今後も付き合いを継続してくれるということだ。

 面白がられているだけかもしれないが、そうであれば興味を持たれている間に距離を縮めればいいだけ。俺は、やる気に満ちていた。


『みんないい子だし、心配いらないと思うけど』


 昨日、明海がそんなことを言っていた。その言葉通り、新参者の俺を受け入れてくれる懐の広い人ばかりだった。九条とは顔見知り程度だが、それだってこれから近づいていけばいい。そのための時間が、俺にはきっとあるのだ。

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