#5 その手に握るものは

 俺の家から学校までは、徒歩で十五分ほど。近すぎず遠すぎず、それが家を選ぶうえで重要視したことだった。

 理由は簡単だ。遠すぎれば一人暮らしをする意味がないし、近すぎれば誰かと登下校をすることも叶わない。こうして明海と朝から並んで歩けているのも、そのこだわりの甲斐あってこそのことだ。


 登校中に誰かが隣にいる。それだけでむず痒い感覚が止まらないというのに、相手は同じクラスの、それもスクールカースト上位の明海だ。みんなから好かれる彼女を独占しているという事実が、俺の足をさらに宙に浮かせていた。


「あ、そうだ」


 思い立ったように、明海が小さく呟く。不思議に思い彼女に視線を向けると、ちょうど明海が右手を突き出してきた。

 まるで何かを要求しているみたいな手の平に、俺は困惑することしかできない。


「お金、渡したよな」


「え? うん、貰ったけど」


 どうやら給料の上乗せが目的ではないようだ。封筒を渡した時の反応を見れば明らかだったのだが、俺には他に心当たりがなかった。

 前へと歩きながら、俺はしばらく明海の手を眺めていた。彼女の意図が分からない今、下手な行動を取って機嫌を損ねたくはない。


(それにしても、綺麗な手だな)


 全体的に小さめのシルエットは、幼さよりも愛らしさが目立つ。その細く骨ばっていない指のしなやかさは、昨日触れて理解しているつもりだ。そして、この手に包まれた時の温かさも。

 そんな風に物思いに耽っていると、明海の声が横面を叩いてきた。


「新宮君」


「……なんだ?」


 不服そうな声色に、俺は恐る恐る明海の顔を見る。明海はじとっとした目で俺を睨んでいた。その様子は、まさに不機嫌そのもので、俺の知っている明るい表情の明海ではなかった。


「察しが悪い」


 こういう時、知ったかぶりで分かった風な口を利くのは良くない。俺は腹を括って、明海に質問した。


「あ、えーっと……何をご所望で?」


「手、繋がないの?」


 そう口にする明海は、少し照れ臭そうに出したままの手を上下に揺すった。


「……いいんですか?」


「なんでいきなり敬語? 彼女と手を繋ぐって、ノートに書いてあったでしょ? 私は今日から君の彼女なんだから、遠慮しない遠慮しない」


 明海は俺の手を掴み、自分の手の平の上に乗せる。舞踏会でダンスに誘う時、こんな手の取り方をしていた気がする。といっても、これじゃあ王子は明海の方になってしまうんだが。

 俺が手をしっかりと握ると、明海は満足したように手を下ろし、握り返してきた。


 自分の手というのは、生きるうえでこれでもかというほど触れている。だから、手の構造や柔らかさ、温かさには慣れていると言ってもいい。それなのに、いざ他人の手を握ってみると、全く別の、未知の物体として脳が認識するのだ。

 つまり、俺は今とても動揺している。手を繋いでいるから分からないが、きっと汗が多量に分泌されていて、明海には不快な思いをさせているのだと思う。砂漠で遭難した時は、ぜひ異性と手を繋いでみてほしい。そうすれば、いとも簡単に水を作り出すことができるはずだ。(体内から出ているから意味がないというのは、言わない約束だ)


 明海との関係が続けば、いずれこの左手の温かさにも慣れるのだろうか。心臓のために慣れたくもあるが、こうして胸を高鳴らせている感情や衝動を失ってしまうのは勿体なくもある。

 今感じているものを、忘れたくはない。そう思い、俺は握る力に強弱をつけ、明海の手の感触を触覚に刻みつけようとした。


「ひゃっ! な、何?」


「ご、ごめん! つ、つい……」


 明海が出した甘い悲鳴に、俺は反射で頭を下げる。


「……つい、なんなの?」


 俺の真意を探るように、明海はじっと俺を見つめてくる。頬が僅かに赤らんでいるのは、俺の気のせいだろうか。


「その……明海と手を繋いで、今すごいドキドキしてるんだ。だから、このドキドキを覚えておこうと思って……なんかキモいよな」


「そんなことはないけど。……ドキドキか……もう、エッチなんだから。他の子には絶対こんなことしちゃダメだからね」


「あ、当たり前だろ! 明海にしかこんなことしないって」


「そ、そう……それならいいけど」


 俺の度胸を考えれば、日給を払っていないなら明海にだってこんなことはしなかった。まぁ、金を払っているからといって、何をしてもいいことにはならないんだが。

 ひとまず、一日目の朝から明海に突き放されることがなくて良かったと思う。

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