第69話 正と負の感情

 トンリィンの巫女による神事、祈祷の儀式が終わり、青龍の神域:トンロンの境内は静寂に包まれる。


 そして、巫女達がその場を離れてから、ようやく時が動き出したように、ざわりざわりと境内にいた者達が小さく話し始めた。


 話題はもちろん、さきほどの神秘的な儀式について。


 それは、その場にいた平民以外の者達も同じであった。


「……なぁ」


「ええ……」


 東の島オストンの領主シュウシュウとアルスゥは、その血のつながりでお互いが何を思っているのか理解していた。


「ミンシュウ……トンリィンの巫女殿のお名前は何という?」


「……は? 巫女の名前ですか? それは、その……」


「貴様! 彼女たちは我々の妻となる者達だぞ! 名前も調べていないのか!?」


 アルスゥがミンシュウを怒鳴りつける。


「も、もうしわけございません……すぐに調べてまいります!」


 ミンシュウが慌ててその場を去る。


 一方、シュウシュウとアルスゥは、呆けたように先ほど祈祷の儀式をしたトンリィンの巫女達のことを思い出していた。


「父上……絶対に彼女たちを妻として迎え入れましょう」


「ああ……我らのため……いや、このオストンのためにも……」


 シュウシュウとアルスゥは、目を合わせ深く頷きあうのだった。



「なんか慌ててますね」


「今、ミンシュウが出て行きました。どうやら、予想通りな事になっているみたいですよぅ」


 そんな完全に手のひらを返している様子のシュウシュウ達を見て呆れているのは、境内の横に設置している控えの天幕の裏から、周囲の様子を確認していた儀式の補助を終えたアナトミアとムゥタンである。


「ってことは、今更、シュヴァ姉達の情報を集めているんですか?もう、狩竜祭が始まるのに?」


「それだけ、アナトミアさんのお姉さん達の神事が素晴らしかったということでしょう。ムゥタンさんから見ても、お二人の神秘的な祈祷には感動しましたから」


 ムゥタンの正直な感想に、後ろにいたシュヴァミアとゼクレタルが照れながら言う。


「いやぁ、それほどでも……なんなら、今からムゥタンさんの事を占いますか? 有料ですけど……」


「っくぁー! これは、私の名前が広まるなぁ。超絶美少女巫女ゼクレタルって。いやぁ、まいったなぁ。もし、都でも有名になったら、よろしくお願いしますね。うへへへ……」


「……感動していたんですけどねぇ」


「本当に、申し訳ないです」


 先ほどの儀式から想像も出来ないほどに神秘性を失っている巫女達を無視して、アナトミア達は話を続ける。


「……青龍の神域∶トンロンにも動きはないようですねぇ。今回の狩竜祭、小細工を仕掛けているのはオストンの領主達のようですし、しょうがないですか」


「確か、向こうの策は、一介の神域の人達が企てるには大がかりすぎるんでしたっけ?」


 実のところ、今回、青龍の神域:トンロンと東の島オストンの領主達が企てている策について、アナトミア達は調べ終えている。


 四日もあったのだ。


 前回の話し合いで大まかな予想が出来ていたことも加えると、ムゥタン達がいれば、その程度のこと造作もなかった。


「はい。トンシュダットの町の設備なども使っているみたいですから。なので、私たちの対策などは領主がするべきなのですが……お姉さんたちのおかげで、どうやら東の島オストンの領主達の欲を刺激できたようです。欲と恐れ。この二つが領主たちの心情を占めている以上、もう向こうは何もできないでしょうねぇ」


「欲と恐れ、ですか?」


「はい。アナトミアさんのお姉さんたちを自分のモノにしたいという欲と、王族であるオアザ様に対する恐れ。このことで今、領主達の頭はいっぱいになっているはずですぅ」


 ムゥタンが両手の人差し指を出して、フリフリと動かす。


「欲の光は目をくらませ、恐れの泥は足を止めさせます。本当なら、今が一番動くときなんですけどねぇ。欲と恐れなんて駄目な感情に惑わされるなんて、駄目な領主達ですよぅ」


「ふーん」


 何気ないアナトミアの相づちに、ムゥタンが反応する。


「なんか納得いっていないようですねぇ」


「いや、納得というか、何となくそういうのって捉え方次第じゃないかな、と」


「……ほう?というと?」


「というとって言われても、まぁ、今の領主達はムゥタンさんの言うように、欲に目が眩んで、オアザ様にビビっているんでしょうけど……欲が無いと人は動かないし、恐れがないと人は危険を冒すんじゃないですか?それを駄目な感情というのかな、って」


「そうですか、何となく、そう思ったんですか」


 アナトミアの答えにムゥタンはなぜか嬉しそうに何度も頷いている。


「では、おまけに教えておきましょう。実はさっきの言葉は、正確にはこういう教えなんです。『嫉妬の炎は己を焦がし、執着の水は息を止める。恐怖の泥は足を止め、奔放の風に掴めるモノはない。偽善の木は切り倒され、憤怒の雷は万物を破壊する。強欲の光は目をくらませ、無欲の闇はただ沈むのみ』」


「へー」


「ふふふ、覚えていて損は無いと思いますよ?」


 なぜそんな事をアナトミアが覚えておかないといけないのだろうか。


 何が嬉しいのか、ムゥタンはとても満足げだ。


「何やら楽しそうな話をしているな?」


「うわっ!?」


 突然、アナトミアとムゥタンとの会話の間に、高貴そうなまだやつれている男性が入ってきた。


 オアザである。


「そんなに大げさに驚くな。少し傷つくぞ?」


「急に現れるからです。どうしたんですか?」


「いや、そろそろ狩りの時間だからな、一緒にやってきたんだ」


 オアザの後ろには、よく見るとアナトミアの兄のイェルタルと、弟のナフィンダがいた。


「そういえば、ナフィンダ。儀式用の剣と骨の準備、ありがとうな。おかげで綺麗な煙が出ていた」


 アナトミアは、ナフィンダに礼を言う。


 先ほどの神事で使った大きなドラゴンの頭蓋骨と、熱せられた剣は、ナフィンダが作ったモノだ。


 昔はアナトミアが加工していたのだが、弟の成長を目の当たりにして、嬉しくなってしまう。


「大した手間じゃ無かったから、お礼を言うほどじゃないよ。それに、あんなに綺麗な煙が出ていたのは、僕じゃなくてお姉ちゃんたちのせいだから」


「せいって、言い方があるでしょう?」


「ナフィンダー?」


 シュヴァミアとゼクレタルが、失敗したと顔に出しているナフィンダを取り囲んだ。


 そんな3人を無視して、オアザはアナトミアとイェルタルに話しかける。


「さて、調べたところ、向こうは中々卑怯な手を使っているようだ。勝算はあるのか?」


「どんな卑怯な手も、対策すれば問題ないですから」


「私は、ただ弓を引くだけです」


 アナトミアは気負い無く答え、イェルタルは気合いを込めて答えた。


「ふむ。ではそろそろ向かえ。素晴らしいモノを期待しているぞ」


「かしこまりました」


 アナトミアとイェルタルが天幕から出て行き、境内へと向かう。


 その二人を見送りながら、オアザはつぶやいた。


「……負の八感情か」


「面白いですねぇ、やっぱり。負の感情を聞いただけで、王族の教えの本質をしっかりと捉えていましたよぅ」


 ムゥタンの意見にオアザも同意する。


「そうだな。正と負の八感情。人の感情は、人の上に立つモノとして理解しておかなくてはいけないことだ。そして、その感情を含め、この世の全ては正と負。陰と陽、表と裏。見方を変えれば全てが変わるという教えでもある」


 正と負の八感情は、ドラゴンの国、ドラフィール王国の王族が学ぶ教えの一つだ。


「正の八感情は、『羨慕の炎は己を磨き、専心の水は岩に穴を穿つ。沈思の泥は危機を遠ざけ、自由な風はどこまでも飛ぶ。森羅の木は活力を与え、正義の雷は悪を討つ。希望の光は民を照らし、安寧の闇は安らぎとなる』だ。この教えを読み解けば、実は負の八感情と同じ事を言っていると気がつく」


「ええ、そうですね」


「この教えの本当の意味を私が知ったのは……あのときか」


 オアザは思い出す。


 十二歳の時、この正と負の八感情について語り合った友のことを。


「……大丈夫ですかぁ?」


「ああ、問題ない。そろそろ、見学席に戻ろう。希望では無い欲を持ち、沈思ではない恐れで動かない者達の末路を見に、な」


 オアザは思い出から頭を切り替える。


 今はもういない友のことを思い出しても、意味は無い。

 

 意味が無いほど、彼の想いは、オアザに引き継がれている。


(機会があれば、話したいが……友の事を、ドラゴンの解体師殿に)


 そのためには、まずは今回の狩竜祭をトンリィンの勝利で終えることが必要だ。


 そして、それはそう難しいことではないと、オアザは確信していた。






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