第10話 アナトミアの欲求
剣を構える。
呼吸を整える。
振り上げて、振り下ろす。
ほんの少しの間のあとに、風が舞った。
巨大なドラゴンの片翼が、体から離れて宙に浮いている。
切り離されたのだ。
剣を握っているドラゴンの解体師。
アナトミアによって。
アナトミアは、軽く目を閉じると、小さく息を吐く。
そして、体を震わせた。
(気持ちぃいい~~~~~!!)
アナトミアがシュタル・ドラゴンを倒してから丸一日。
昨日、アナトミアがシュタル・ドラゴンを倒した場所で、彼女は解体をしていた。
巨大なシュタル・ドラゴンの体は、アナトミアが巾着袋から取り出した道具でつり上げられている。
そのシュタル・ドラゴンの片翼をアナトミアは切り落としたのだが、彼女は今震えている。
歓喜に。
(っかぁああああ、たまらないねぇ、この感触。堅くて大きいのが……ふへへへ)
顔にこそ出ていないが、アナトミアの脳内は大変なことになっていた。
(けど、知らなかったなぁ。私が、こんなにドラゴンの解体が好きだったなんて)
違和感があったのは、カーセ・ドラゴンを切った時からだった。
生きているドラゴンの物足りなさ。
オアザに言っていたドラゴンの首が柔らかかった、ということに嘘は無い。
ただ、本当に、想像以上に柔らかかったのだ。
空気を切ったような感覚はさすがに言い過ぎだが、普段アナトミアが切っていた、死んで硬直しているドラゴンの体と比べると、生きているカーセ・ドラゴンの首は、粥に刃物を突き立てるような虚しさがあったのである。
それから、さらに一日経ち、少しは歯ごたえのある感触があるかなと思ったドラゴンの糞も固まりきっていない柔らかいモノで、アナトミアは、溜め込んでしまったのだ。
その溜め込んだモノとは、あの堅くて大きいモノを、ドラゴンの肉体を解体したいという、強烈な欲求である。
(これまでは、毎日のように解体していたからなぁ。生活の一部になっていて、気がつかなかった。ドラゴンの解体がない生活が、こんなにツラいなんて)
刃をシュタル・ドラゴンの鱗の隙間に通す。
その先にある強靱な表皮、皮骨板、皮下組織の肉が、刃に確かな抵抗を与える。
その抵抗を、抜ける。
刃は、骨と骨をつなぐ関節を絶ち、もう片方の翼を地面に落とした。
(……これ! この感覚! たまんないね!)
アナトミアは、久しぶりの死んで堅くなったドラゴンを解体する感覚に酔いしれる。
(昨日は、わざと体の部分は解体しなかったからなぁ。正解だったね、さすが私)
昨日、シュタル・ドラゴンを倒したあと、アナトミアはオアザにお願いしたのだ。
シュタル・ドラゴンの解体をさせてほしいと。
(カーセ・ドラゴンの時は王族だなんて思わなくて、許可無く解体しちゃっていたしね。今回は、ちゃんと許してもらったし、時間も確保した。ドラゴンの体は国の宝。王族様には許可を貰わないと)
オアザに許可をもらったあとは、痛みが早いからとドラゴンの内臓を取り除く作業をしたのである。
ここに、嘘は無い。
解体するときに、首を落として血を抜いてから内臓を取り出すのは手順として正しい。
ただ、あるとすれば、それは時間だった。
(別に、昨日でシュタル・ドラゴンの解体は終わらせる事が出来たんだけどね)
お役所では、一日に数体のドラゴンの解体をすることは珍しいことではなかった。
なので、シュタル・ドラゴンの解体も、アナトミアが本気を出せば日が暮れる前どころか、お昼を食べ終える時間の前には終えることは出来ただろう。
しかし、アナトミアはそうしなかった。
(でも、それじゃあ、また柔らかいままドラゴンの解体をすることになる)
昨日、内臓を取り出していた分かったが、ドラゴンの体は殺して数時間程度では堅さが変わらなかった。
そのため、アナトミアは、わざとドラゴンの肉体の部分の解体を翌日、つまり今日に持ち越したのである。
(シュタル・ドラゴン。剣殺しなんて言われているくらいだから生きている時もそこそこ堅かったけど、やっぱり物足りなかったんだよね。丸一日寝かせて、やっと面白くなってきたよ)
もっとも、それでもお役所で解体していたドラゴンたちの堅さと比べると、まだまだではあるのだが。
(とりあえずは、これで我慢しようかな、と。ふへへへ)
翼を切り落としたあとは、足である。
アナトミアは、弾む心を刃に乗せて、シュタル・ドラゴンの解体をしていった。
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