第12話 後宮のオオカミ(12)
数日後。
庭には長いテントが設けられ、その下には長い大テーブルが広げられていた。
そこには着飾った後宮の美姫達が一堂に会し、後ろには数人ずつ姫に仕える使用人が立っていた。しかし、みな急な呼び出しに一様に怪訝そうな表情をしている。
ザリアニーナの席には誰も座っていなかった。だが、そこには空席を守るようにエマともう一人小間使いが立っていた。
「皆様、今日はお集まりいただきありがとう」
細長い机の端っこに陣取ったアンネリーゼは、手に持った羽扇を揺らしながら満面の笑みを浮かべる。
アンネリーゼの方をエマがチラチラと見ていた。昨日、『力になってあげるわ、だから参加しなさい』というメモを受け取っている。邪神に一縷の望みを託した黒い瞳がすがりつくようにアンネリーゼを追っていた。
「今日は、先日お騒がせしたことへのお詫びのお茶会です。外国から取り寄せた香りの高いお茶と、すりつぶした木の実を使ったクッキーをお食べください」
「アンネリーゼ様、私は今日楽しみにしていた観劇を止めて来たのです。お詫びなら皆を呼び出すのでは無く、紅茶とクッキーを配ればよろしかったのでは?」
不満げな表情を浮かべて一人の姫が立ち上がった。彼女は後宮に来て2年。自分のお召しがないのはアンネリーゼが王子を独り占めしているためだと思っている。
「ああら、皆さん。この招待状の下をご覧になったから来られたのでは?」
真っ赤なマニキュアを塗った長い爪が、招待状の下を指さした。そこには、ハッセブラーン王国の王子のサインがされていた。
「王子も、このお茶会で久しぶりに皆さんにお会いしたいとのことでしたわ。でも、ご用事でお遅れになるからこのクッキーを食べてお待ちになってくださいとの伝言をいただきましたの。実はこのクッキーは王子からの下賜で、みなさん是非、残さずにお食べくださいね」
アンネリーゼはクリューナの方をチラリと見る。
「クリューナはナッツ類を食べても大丈夫かしら?」
「ええ」
クリューナは探るようなアンネリーゼの視線をはねつけると、目の前のクッキーを手で割って口に入れた。ごくりと飲み込むと、挑発するようにひとかけら、ひとかけら、アンネリーゼとにらみ合うようにして口に入れていく。
テーブルの上の木立がさわさわと音を立てた。
アンネリーゼは嫣然と微笑む。
「それでは皆様、お時間をとるお詫びに王子との歓談をお楽しみください」
どこに潜んでいたのか、木陰から三人の女性楽団員が姿を現わし、ラッパでファンファーレを奏でた。
「いやあ、皆さんお久しぶりです」
長い金髪をなびかせ木の上から飛び降りてきたのは、この国の王子。同時に緑色のマントで擬態していた数人の護衛も飛び降りてきた。
キャアアアアッ。
王子の登場に、場は黄色い歓声で一杯になる。
「僕が取り寄せさせたクッキーは各種のナッツを練り込んだ特注品です。沢山ありますからどうぞ遠慮なくお食べください。あ、ナッツで身体が悪くなる人は食べないでくださいね」
「美味しいですわ、王子様」
王子のすぐ近くに居た姫が瞬く間に一つ食べると声を上げた。
「ありがとう、可愛い人。お名前は?」
「ラキルミトンです。ミトンとお呼びください」
一番に食べ終えた少女は王子の視線を外させまいと両手を上げて体をくねらせながら立ち上がる。いつの間にか両手にはカスタネットと鈴が握られていた。
「ミトン、ここにはいつ来たの? 趣味は何?」
「半年前に参りました。趣味は舞踊です。ハッセルブラーンはもちろん近隣、いや地球の反対側の国の踊りまですべて踊れます」
彼女はここぞとばかりカスタネットと鈴をけたたましく鳴らしながらやわらかい肢体をくねらして踊り始めた。のけぞって両手で足を持ったまま頭を足の間の空間に入れていく。
「す、素晴らしい。またステージを用意するから是非踊ってくれたまえ」
このまま調子に乗って体を曲げて、万一怪我でもしたら大変だ。王子が慌てて制する。
「ありがたき幸せ」
ミトンは足の間から出した顔を紅潮させて返事をした。
ミトンのアピールを見た淑女達は猛烈な勢いで餌を運ぶリスのようにクッキーをほおばると、食べたものから次々にパフォーマンスを繰り出す。
「王子、私の名はエルベリッツ、エルベとお呼びください。私の得意は声楽、声楽以外にも地を這う地鳴りから空をつんざく雷まですべての音を再現できます」
エルベはそういうと、いきなり声を張り上げる。
「きゃああああ」
振動で机が揺れ、事情を知らない娘たちがテーブルの下に潜り込む。木にとまっていた鳥たちが一斉に飛び立った。
「落雷のアリアでございます」
「こ、今度、楽師に『嵐と猛獣のフーガ』を作曲させよう。君にぜひ歌ってほしい」
テーブルの下から這い出てきた王子がひきつった顔で彼女の芸をねぎらった。
「王子、私も完食いたしました。私の名は――」
女性達はここぞとばかりに、王子に迫る。
ひとしきり場が盛り上がった後で、王子が手をたたいて皆の注目を自分に集めた。
「先日アンネリーゼ嬢の部屋から火事が出たという想定で訓練をしてみた。が、みなの避難に対する備えができていなかったようだ。今日はみんなが集まっているちょうどいい機会だから今から避難訓練をする」
姫達はぽかん、と口を開ける。
「避難訓練と言っても簡単なことだよ。庭に面した食堂のドアから、芝生をつっきってあの大きな中庭に全速力で走るんだ。ヒールは折るか、脱いで裸足で走るかのどちらかだ。スカートをたくし上げて全速力で。ゆっくり走っていたら、もう一回走ってもらうよ」
姫達の心の中には、なぜそんなことを? という不満が渦巻いているだろうが、王子に気に入られたい一心の彼女たちはしぶしぶスカートをたくし上げる。
「けっこうな運動になるわ。万が一この建物が火災で崩れ落ちても、この芝生を突っ切ってあの中庭まで出れば大丈夫。芝は手入れされているし、中庭までつながっているから、裸足でも大きな怪我はしないはずよ」
アンネリーゼは腰の重い女達を立ち上がらせた。
「さあ、せっかく王子がこうおっしゃっているのだから、皆さん頑張って避難経路をしっかり走りましょうね。まずは第一陣、そうねミトン、エルベ……」
アンネリーゼは十人程度選び出すと、横一列に並ばせる。
「スターガイザーが旗を持って立っているわ。そこまで走ってね」
王子は手を自分の頭の高さに上げる。
「よーい、走れっ」
手をふりおろすと、女性達はスカートをたくし上げてすっ飛んでいった。まだ若い娘達である。なかなか走るのも速く、瞬く間に小さくなった。
「さあ、次はあなた、そして、あなた……」
アンネリーゼは横目でちらりとエマを見る。
エマは真っ青な顔でクリューナを見ていた。
「よーい、走れっ」
どんどん残っている人数が減ってきた。最後の組にはクリューナが入っている。
彼女は、膝の上に置いた手を小刻みに震わせていた。
「す、すみません。差し出がましいのですが、クリューナ様のお顔色が悪いのですが、除外していただけませんか?」
エマが叫びに近い声を上げる。
アンネリーゼはクリューナの横に行き、細い腕を取った。
「そんなに顔色は悪くないし、手の脈もしっかりしているわ。走るくらいは大丈夫よ」
アンネリーゼは薄笑いを浮かべて目を細める。そしてエマの横に行き彼女だけに聞こえるようにつぶやいた。
「エマ、私は助けてあげると書いたけれど、本当に助かろうと思ったら自分が腹をくくらないといけないわ」
エマが目を見開く。
「走ります。でも、体調が優れないので、走った後に何かあればそのせいですから」
「だめです、クリューナ様。お顔色が」
エマの声が聞こえないかのようにクリューナは決然と立ち上がる。アンネリーゼは優しく肩を抱くとクリューナを皆が並んだ場所に連れて行く。
「いいのね、エマ?」
悪魔の微笑みが顔面蒼白となった侍女に向けられた。
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