第10話 後宮のオオカミ(10)

 翌朝、日当たりの良いアンネリーゼの居室で遅い朝食を伴にしながらスターガイザーがたずねる。


「どうしてアンネリーゼ様は、あの二人が知り合いだとおわかりになったのですか?」

「あんな特徴的な紅茶の飲み方をするなんて、偶然では片付けられなかったの」


 エマも初めてアンネリーゼの居室をたずねて来た時に、砂糖を入れる前に匙でかき混ぜていた。


「で、調べてみたらエマの生まれはトーラット。予想していたレザンヌとはかなり離れているわ。それに養女って書いてあって、出自がちょっと曖昧なの。後宮の使用人の身元は厳しく調べられるはずなのに――、何か訳ありだと思ったのよ」


 それに。

 アンネリーゼは腕組みをして頭をかしげる。


「小間使いを人とも思わない扱いをするあの意地が悪いザリアニーナのために、号泣する小間使いがいるとも思えなかったし、エマは誰か他の人のために激しく心を痛めているんだと思ったのよ。あの場合の彼女の涙の理由、幽閉されたザリアニーナ以外に考えられるのは、罪を犯したものにそれ以上の罪を犯させたくないからではないかと思ったの。すなわち何らかの理由でクリューナを守ろうとしたのではないかと、ね」

「ま、罪の真偽も含めて後宮の刑罰は政治的背景によって大きく変わりますからね。ザリアニーナ様が寵姫になって実家が力を持つことを恐れる者にとっては、ザリアニーナ様を失脚させるまたとない機会でしょうから、証拠不十分としてもクリューナ様の発言を利用して命を奪うこともできますからね」

「それにしても、クリューナもエマも二人とも苦労人だったのね」


 スターガイザーが探ってきたクリューナとエマに関する情報を思い出して、アンネリーゼは腕組みをする。

 時折見えるクリューナの長い睫毛の下から醸し出されるあの諦めにも似た独特の憂い。それはまるで長年のため息が奥から徐々に積み重なっていったような。何不自由なく育てられた貴族の娘がまとえるような雰囲気ではなかった。

 そして、エマの細い体に似合わぬ豊潤な胸とふるいつきたくなるほど色気のある体つき。

 アンネリーゼは思わず身震いする。


「ああ、期待で胸が苦しいわ。ベッドを新しいものにするから調度係を呼んで」


 アンネリーゼはベルを手につまんで高らかに鳴らす。


「どうなさったんですか? アンネリーゼ様のあの派手派手しい趣味の悪いベッドはまだ充分お使いになれるでしょうに」


 スターガイザーは怪訝そうに首を振る。

 待ちきれないとばかりに身体をくねらしながら、節操のないオオカミはにんまりと笑う。


「二人が精神的につながっているとすれば、事は簡単よ。どちらかを落とせば両方付いてくるわ」


 やってきた調度係の女性にアンネリーゼは早速注文を出す。


「三人で寝られるような大きなベッドに換えて欲しいの、できるだけ急いでね」

「ア、 アンネリーゼ様」


 何を考えているのかわかったスターガイザーは顔を引きつらせる。


「だってえ、二人だって一緒の方が楽しいはずよ。ああ、あの小鳥たちをどうやってさえずらしてやろうかしら。きっと春風と寝ているような夜になりそうよ、ふふふふふ」

「また世迷い言を」


 今にも鼻歌を歌いそうな満面の笑みを浮かべるアンネリーゼは、スターガイザーの一言に反応もしない。妄想が次々に膨らんでいるのか、視線がたのしそうに空中を舞う。


「ああ、その前にまずザリアニーナが弱っているうちに落とさないと。彼女とは燃えさかる溶岩を抱くような刺激的な夜になりそうね。ま、働かざる者、喰うべからず。享楽の前には一仕事必要ってところかしら……」


 オオカミのつり上がった目の中で、瞳が右上方に貼り付く。

 それは何かを考えている時の彼女のくせであった。


「スターガイザー、今日の夜、桶に水を入れてこの部屋に持ってきて。いいこと、沢山よ。誰にも見られないように注意して」

「は? いったい何を」


 いきなりの指示にスターガイザーが首をひねる。


「臨場感たっぷりにしたいから消火の準備をしていることは人に知られたくないの。体力の有り余っている筋肉お化けのあなたがこっそりやってね、スターガイザー」


 アンネリーゼは窓を開けて微笑んだ。


「私の胸の炎がカーテンに燃え移ったってことにしようかしら。雅な煙に追われて半裸の天使達が夜明けの光の中で飛び回るのよ」

「おっしゃっている意味が全くわかりません」


 回転し始めた彼女の頭は雑音を遮断する。

 質問しても無駄とわかったスターガイザーはため息をつきながら桶に水を組むため部屋を出た。

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