第7話 後宮のオオカミ(7)

「まあ、傷だらけ。これでも女性の手なのかしら」


 スターガイザーの手に縦横無尽に走るひっかき傷と虫刺さされを見てアンネリーゼは肩をすくめる。


「貴女に言われるとは思いませんでした」


 アンネリーゼの部屋で、虫に刺されて赤くなっている場所にチンキを塗りながらスターガイザーは勝手な主人を睨む。

 毎日毎日、見つからないように夜明け前に庭園の植物を採取しに行かされて彼女はいい加減に頭にきている。それもただ働きとなればさらに気分が悪い。


「私の仕事は護衛であって、花盗人ではありません」

「だって、庭の草木を盗むのは御法度になっているのですもの。誰にも見つからずにこっそり木に上って枝を切ったりするためには、野生の猿のような身体能力が必要。となれば貴女しかいないじゃない。断っておくけど一応褒めているのよ、これは」


 アンネリーゼは自らの胡散臭さを払うかのように扇を揺らしながら、チラリとスターガイザーの方を伺う。


「褒めたように見せかけても無駄です。貴女の言葉には悪意しか感じない」

「ま、貴女にどう思われようと、私なんとも思いませんことよ。おーっほほほほ」


 身勝手な主人の笑いがおさまってから、スターガイザーは渋い顔でたずねた。


「で、結局どうだったのですか」

「庭園にあった庭木を無理矢理花束にして渡してみたけど、植物の接触による症状ではなさそうね。それにしても目の前でいきなりクッキーを食べてみせるとは思わなかったわ。幸い何も起らなかったから良かったけど。わかったことと言えば、はぐらかして詳しくは話さないけど彼女はどうやらザリアニーナに根深い恨みを抱いているらしいって事くらいかしら。しかし、誤算だったわ」

「何がですか」


 アンネリーゼの顔を見て、護衛は額に手をやって深いため息をつく。両目を上転させて、口を半月のようにして笑うのは、何か良からぬ事を考えている時の彼女の常であった。


「だって、クリューナがあんなに陰のある美女だったなんて、最初は切羽詰まっていて気がつかなかったわ」

「誤算はそこなんですか?」


 スターガイザーは眉をひそめる。


「クリューナとザリアニーナ。心が折れている状態でないとザリアニーナは落とすのが難しいし、クリューナは、儚げな中に芯の強さがあるから、捕まえたと思っても心まで蕩かすのにはじっくりと時間をかけなくてはならないでしょうねえ。ああ、でも早く細い身体には不釣り合いなエマの豊満な胸の中に顔も埋めてみたいし。一体どの順番で私のものにすれば良いかしら、つくづく悩ましいわ」


 彼女は、開いた口がふさがらないスターガイザーを見る。


「ちょっと調べてきて欲しいことがあるの」

「ただ働きで、ですか?」


 吐き捨てるように言う護衛に、アンネリーゼは目をつり上げて、頬を赤くする。


「お言葉だこと。それではここから貴女の好きなだけ持って行くがいいわ」


 戸棚を開けて大きな革袋を取り出すと、アンネリーゼは重そうに抱えてそっとテーブルの上に置いた。開いた口から金貨がのぞいており、ギラギラと下卑た金色の光をまき散らしている。


「私をケチな主人だと思ったら、大まちがいよ」


 スターガイザーの任務は与えられた休日以外、アンネリーゼの身辺を警護し、その指示に従うことである。探索任務は一応『指示されたことを遂行する』という、日常の仕事の範疇にはいっているといえなくもない。

 欲望に目を光らせて、袋の中から金貨をすくい取る自分を想像して、スターガイザーは思わず身を震わせた。この金貨を手にすると、先祖代々受け継がれてきた清廉潔白を旨とする家風に泥を塗ってしまう。


「何なら全部持って行ってくれても良いわよ。むき出しの金貨を貴女のマントにくるんでね」

「すみません、血迷った発言でした。その袋はおしまいください」


 スターガイザーが頭を下げる。


「あら、そう」


 アンネリーゼは片手で、いとも簡単に革袋を取り上げた。

「は?」スターガイザーの目が丸くなった。さっきはよろよろと抱えてきたはず。

 思わず駆け寄ってアンネリーゼの手から革袋をひったくって開けると、表面だけが金貨でその奥は金貨の形をした木片が詰められていた。


「何なんですかこれは」

「え? 革袋すべてに金貨が入っているとは言わなかったわよ。金貨のふれあう音が少ないのに気がつかなかったあなたの負け。要は表面だけ見ていては真実にたどり着けない。ま、そういうことよ」


 アンネリーゼは、さっさと行けとばかりに手を振って見せた。

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