第23話 答え合わせ

 数日経って、ディグリが決めた締め切り日の午後。エディは再び、グラインランスの不気味な図書館に足を向けていた。


 前はルビィとふたりで来たが、今はひとりだ。生唾を飲み込み、重い両開きの扉を押し開くと、図書館の内側で渦巻いていたおどろおどろしい空気が、扉の隙間から殺到してくるようだった。


 ほんの少し隙間を開けると、扉はゴゴゴゴゴと石を引きずる音を立ててエディを迎え入れる。


 レッドカーペットの敷かれた広い廊下に一歩踏み込んだところで、横から低く不気味な声がした。


「来たのね、いらっしゃい」


「うひっ!?」


 びくっとして振り返ったエディを見て、ディグリは読んでいた本を閉じる。


 前に来た時は気付かなかったが、入口のすぐ横に受け付けがあり、ディグリはそこに詰めていた。


 畳んでいた八本足を窮屈そうに開いた司書は、一度の跳躍でエディの下までやってくる。着地の衝撃で、エディの体が少し浮き上がった。


 悪い人ではないとわかっていても、複眼を備えた蒼白の顔と、長い黒髪を垂らした容貌はとても怖い。


 エディは震えあがり、ぎこちなく上擦った声で挨拶をした。


「ど、ども、ディグリさん。今日は、こっち居たんスね……」


「普段はここで仕事をしているのよ。それで、課題の件でいいのかしら? 期日は今日だけれど」


「あ、はい。書いて来たんで……」


「見せてもらうわ。お茶を淹れるから、ついてきて」


 ディグリは器用にその場で方向転換し、多脚を素早くざわつかせながら先導する。


 そのあとに続きながら、エディは顔が青ざめていくのを止められずにいた。


 ―――いい人だと思うけどさ。美味いお茶もケーキも出してくれる人だけどさぁ。


 ―――歩く姿、正直めっちゃキッショい……。


 ―――そもそも“二足”じゃねえし。


 口が裂けても言えない言葉を、苦くて大きな飴玉を丸呑みにするように胸に押し込む。


 ディグリは二足蟲のハーフらしいが、別の血が混ざるとこうなるのだろうか。


 それもまた、彼女の課題に取り組む上で、エディを悩ませたもののひとつでもあった。


 そうして、ふたりはディグリが使っているという休憩スペースに辿り着く。


 図書館だというのに本は少ない。子供くらいの大きさの本棚がちょこんと扉の脇に鎮座していて、並んでいるのはお菓子のレシピ本や、紅茶の淹れ方の本だけだ。


 ディグリが紅茶の本を一冊抜いて作業をする間、エディは鞄から原稿用紙の束を三枚引っ張り出す。


 自分が書き上げてきた箇条書きのメモ程度のそれを見直していると、ディグリが紅茶のポットに湯を注ぎながら話しかけてきた。


「どれぐらい書けたのかしら?」


「まあまあ、ってとこッス。なんつーか、情報があんまりなくって」


「ここに来て調べものしてくれてもよかったのよ」


「あー、えっと……そう、なんスね。本一冊もらったから、それだけでやれってことなのかと」


「流石に、それでは難しかったでしょう」


「あっはは……」


 エディは強張った愛想笑いをした。


 嘘は言っていないが、ディグリに言ったことが全てではない。正直なところ、臆病風に吹かれてなかなか行く気になれなかったという理由が最も大きい。フランとあんなことがあって気まずかったというのもある。


「ところで、ディグリさん。フランの奴は? 今日もここに?」


「ええ。最近はどうにも、行き詰ってしまっているようだけれど」


 テーブルについたエディに、ディグリがティーカップを持ってくる。


 透き通った紫色の紅茶から漂う甘酸っぱい匂いを嗅ぎながら、エディは水面をじっと見つめた。


 ディグリが白い雑草のような指を差し出してくる。


「課題、見せてもらってもいいかしら」


「その前に、ひとつ、聞いてもいいか?」


「なにかしら?」


 エディは顔を上げ、ディグリの顔を真っ正面から見据えた。


 やっぱり、少し怖い。震えかける喉にぐっと力を入れ、思い切って尋ねることにした。


「フランの野郎だけどさ、あいつもしかして、同族の奴らに、人の言葉を教えようとしてんのか?」


 しんと休憩スペースが静まり返った。


 ディグリは石になってしまったかのように動かなくなる。ぎょろりとした目は常に見開かれており、瞳も針穴みたいに小さいので、そこから感情を読み取ることはできない。


 元より不気味な見た目のディグリだが、こうなるとさらに怖い。やはり言ってはいけないことだったろうか。エディが恐れながらも動けずにいると、ディグリはやがて大きく見開いていた目蓋をほんの少しだけ下ろす。


「どうして、そう思うのかしら」


「あ……あたしさ、ディグリさんが貸してくれた本だけじゃ、どうしてもわかんないことあったから、色々聞きまわったんだ。そしたら、二足蟲は、あんたたちみたいに言葉を使う種族じゃない、って。そういうことするのは、ごく一部の変わり者だって聞いたからさ」


「……そうね」


 ディグリの目蓋が閉じ切る。複眼も目蓋を閉じると、随分と印象が変化した。


 疲れているが、優しい女性の顔つきだ。


 それが、小さく微笑んだ。


「ええ、そうよ。私も彼も、他の二足蟲の人たちから見れば、変人の類。中でも、彼は特に変わっているわ。なんたって、二足蟲たちの一族を、あなたたちと同じ社会に引き入れようとしているのだから」

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