第21話 モチベーション

「猫、虫、猫、虫……」


 エディはぶつぶつと呟きながら、ペン先で原稿用紙をコツコツと叩いた。


 猫と老紳士に出会ってから数日が経ち、ディグリから与えられた課題に、なんとなく糸口が見えてきた気がする。


 人と猫は言葉なしに通じ合える。なら、二足蟲もそうだろう、という安易な予想。


 学院の研究部に行き、昆虫の標本やスケッチを見ながら、どうせ蟲になるなら何がいいかと考えて。


 ディグリやフランの図書館での振る舞いを思い出しつつ、なんとなくこういう生活様式なのかな、と予測を立てる。


 どれもこれも曖昧としていて、箇条書きとはいえ、一行を埋めるにはまるで足りない。出がらしのような、あり合わせの知識をつらつら綴るのが限度だ。ベル先輩から、アイデアリストかと訊かれるほど。


 ―――まあ、それはいいよ。


 ―――実際に見てみないとわかんないし、見に行くだけの時間もねぇし。


 ―――それに多分、問題はそこじゃないんだよな。


 エディは頭の後ろで手を組んで、椅子ごと体を傾けた。


 二足蟲は森の中に住んでいる。フランとの出会い、どこからか現れたディグリを見るに、木に登って生活しているのではないか。


 もし自分が二足蟲に生まれるとしたら、甲虫ホーンビートルがいい。研究部員の熱弁を聞く限り、とても強いらしいから。


 きっと自分は二足蟲の社会の中で、何か力仕事や頼れる用心棒の類でもして生きているんじゃないか。


 ベッドに寝ころびながら思い浮かべた、とりとめのない空想に過ぎない。だが、時間を忘れて耽溺する程度には楽しかった。


 そうして思い付いたイメージのままにディグリの課題に取り組んで、ふと思い至る。


 ディグリは、何故わざわざこんな課題を出したのだろうか、と。


 題材に悩むエディにヒントをくれたのかと考えた。都合がいい、と内心自分で自分を小馬鹿にして、発想を蹴り転がす。


 しかし、ではどうしてかと考え直しても、答えが出ないのだった。


 ―――気にすんのが変なのかな。単に気まぐれってこともあるかもしれないし。


 ―――いやでもあの人、先生なのか? 先生じゃないのに課題出すって、変じゃね?


 ―――その日の気分で他人に課題出す奴って……いる?


「うーん……?」


 エディは小難しく首をひねる。ディグリがこんな課題を自分に出した理由など、見当もつかない。


 なので、昼食時にルビィを捕まえて、尋ねることにした。


 ルビィは晴れた日の草原のような、鮮やかな青と緑色のパスタを頬張りながら、エディをじっと見つめる。


「ふむふむ。ディグリさんの課題の意味、ですか」


「ん。あの人って、ヨサ先生とは違うんだろ。ええと、先生ってわけじゃなくってさ……」


「そうですね、図書館司書は教職ではないので」


「だろ? なのになんであたしに課題なんか出すんだ? そういう趣味とか……じゃないよな」


「……うーん」


 ルビィはフォークを置くと、黙考し始める。


 エディは少し落ち着かない気持ちになった。何か、変なことを聞いてしまったような気がして。


 そもそもの話、ルビィに話を振ったことが間違いなのではと思ってしまう。


 彼女は図書館によく行くようだし、ディグリとも知り合いだと考えたから尋ねたのだが、考え込まれてしまうと、どうにも居たたまれなくなる。


 不安と、後ろめたさと、恥ずかしさが湧いて来て、エディが話題を引っ込めようと唇を動かすのと、ルビィが顔をあげるのはほぼ同時だった。


 ルビィが人差し指を立てて、先んじる。


「私の予想になってしまいますけど、いいですか?」


「え、ああ……もちろん」


「ありがとうございます。最初に、私はディグリさんに何か課題を出されたことはありません。フランさんからも、そういう話は聞いたことがありません」


「ないの?」


 エディは目を丸くする。


 聞くところによれば、ディグリとフランは結構長い付き合いのようだ。


 それにフランは、自分と同じく小説家志望のようでもある。だったら、エディにしたように、課題を出していてもおかしくないような気はするんだが。


「えっ、じゃあ、なんであたしには課題出して来たんだ?」


「私も自信を持って言い切れるわけではありませんけど……そうですね、なんと言ったらいいか。フランさんとエディさんの、両方のために出したんじゃないでしょうか」


「はあ?」


 意味が分からなくて、ポカンと口を開いてしまう。


 しかしルビィの眼差しは真っ直ぐで、真面目そのものだった。


「ええ、きっとそうですよ。ディグリさんは優しい人ですし、エディさんとフランさんに仲良くなってほしいんだと思います」


「それと課題が、どう関係あるんだよ?」


「それを私の口から言ってしまうのは、ちょっと。野暮、というものなので……」


「勘弁してくれよ、あたしは頭悪いんだからさ……」


 ルビィの言葉を理解しかねて、エディは頭を抱えた。


 何が何だか、さっぱりだ。ルビィはただ微笑むばかりで、それ以上何も言ってくれない。


 ただ、別れ際にひとつだけヒントを残してくれた。


「エディさん。じゃあ、大ヒントでこれだけ。フランさんは、自分の書いた小説を、なんのために読んで欲しいんでしょう?」


「なんのために……? 読んでもらうのが目的じゃねえの?」


「もちろん、ただ書きたいから書いている人だっていますけど、読んでもらいたいと思うのにも、目的がありますよ。自己顕示欲、実力の向上、そして作品にメッセージを込めること。人によって色々あるんです」


 そういわれても、いまいちピンと来ない。


 難しすぎて、頭に小さな鉄の輪を無理やり嵌められているような感じがした。


 ルビィは唇をひん曲げたエディに、悪戯っぽく微笑む。


「そのあたりがきっと、ディグリさんが課題を出した理由だと思います。是非考えてみてください。エディさんにとっても、決して無駄にはなりませんから」


 ―――無駄にならないって言われてもさぁ。


 ―――あたしは、何かご立派な理念があって小説書いてるわけじゃないし。


 必死で生きていたら、学院長と偶然出会った。


 衣食住を保証するから入学しろと言われたから、迷わず頷いた。


 退学になりたくないから、必死で一本書き上げた。


 エディが執筆する理由なんて、つまるところ、この生活を手放したくないからだ。読者なんて、そっちのけだ。


 ―――でも……それならあたしは、なんでディグリさんの課題なんてやってるんだ?


 ―――今年度はもう、書かなくてもいい。縄張り踏み荒らされた野良猫みたいに、追い出されたりしない。


 ―――なのになんで、こんなマジになってんだろ……。


 ぼやけた思考の中で自問自答していると、寮の自室に戻ってきていた。


 エディは悶々としたまま扉に手をかけ、押し開く。


 机の上に置かれた三冊の本と原稿用紙が、エディを待っていた。

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