第14話 “我らの森人”

 最終的に、適当な指南書を一冊借りて図書館を出た。


 フランは言いたいことを言うだけ言って、すぐに書架の森へと戻っている。高い本棚に飛びつき、なかなかの速度で這いあがっていく姿は、見ていて正直鳥肌が立った。


 そして現在。エディは図書館を出た先で、ディグリの見送りを受けていた。


 青白く痩せこけた頬の女は、やや項垂れて重い空気を身にまとっている。


「ごめんなさいね、せっかく来てもらったのに……嫌な思いさせてしまったわね……」


「い、いや、なんでディグリさんが謝るんスか。悪いのはあのフランってヤツなんだし、元気出してくださいよ。お茶とケーキ、美味かったです」


 ―――お願い、マジ元気出して。


 ―――悪い人じゃないのはわかったけど、落ち込んでると雰囲気めっちゃ怖い!


 夜の森を前にしたような、暗呑あんどんとした気配に内心怯えていると、ディグリは肩にかけたトートバッグに手をやった。


 中を探り、手渡してきたのは一冊の本。タイトルは、“我らの森人りんじん”。


「……これは?」


「エディさんは今、ヨサ先生に提出する小説を書いているのよね? 来年の学年末の課題にするつもりなら、まだ時間はあるのだし、先に私の宿題をやってみない?」


「ディグリさんの宿題ですか?」


 エディが受け取った本を、ルビィが横から覗き込む。


 表紙は緑色で、特殊なコーティングを施した葉を編んで作られたようだ。表紙を軽く撫でると、葉脈が今も確かに息づいているかのような、そんな気がした。


 エディは怪訝そうな上目遣いでディグリを見上げる。人間換算だとそれほど高くないと思われるが、下半身の巨大な蜘蛛のおかげで、エディより腕半分ほど高い位置に頭があった。


「宿題って、何すりゃいいんだ? つか、まさかとは思うけど、あのビックリドッキリゴキブリ男と仲良くしろ……とか言わないよな……?」


 恐怖のファーストコンタクトを思い出しながら問いかけると、ディグリのまなじりが垂れさがった。眉毛の代わりに並ぶ複眼も同様に、悲しそうな形を作る。


「……フランもね、悪い人ではないのだけど。色々あるのよ」


「色々、ねぇ。ていうか、今思えばあいつ、あんだけあたしに偉そうなこと言って、自分も指南書の棚漁ってたじゃねえかよ。なんであんな偉そうなこと言われなきゃならねえんだ? もしかして指南書書いてる人か?」


 エディの憎まれ口に、ディグリは取り合わなかった。


 代わりに、手渡してきた本の表紙に人差し指で触れ、厳かに告げる。


「私からの課題は、簡単よ。これを読んで、“もし、自分が二足蟲として生を受けたら、どんな生き方をしているか”を書いてきて頂戴。箇条書きで構わないけれど、最低でも原稿用紙五枚分、埋めて来て」


「もしかして、あいつの気持ちになれって言ってる? 別にいいけどさぁ……」


「やってみればわかるわ。それにこれは、あなたが今まさに悩んでいる、世界観を作る訓練でもあるのよ」


「まあ、それはなんとなく理解できるけど」


“あのね、エディちゃん。私が言いたいのは、物語を書きたい人が、なんですぐ目の前にある物語を読み解こうとしないのか、ってこと”


“本当にゼロのゼロから物語を作れる人なんて、この世にはいないんだよ”


 いつかベル先輩から言われた言葉を思い出す。


 すぐ目の前にある物語。フランとディグリ、自分とは種族の違うふたりのこと。そして、物語を作る第一歩。


 物思いに耽るエディに、ルビィが弾む声で言ってくる。


「やってみましょうよ、エディさん。私もお手伝いしますから。いいですよね、ディグリさん」


「構わないわ。他者との交流もまた、重要なインスピレーションだもの」


「……まあ、やるけどさ」


 エディは受け取った本を小脇に抱えて頷いた。


 ディグリがそれで笑顔になることはなかったが、少なくとも悲しそうな表情は和らいだ。


 不気味な風貌の図書館司書は頷き返すと、またトートバッグを漁って小さな包みをふたつ差し出してきた。


「クッキー、あげるわ。口に合うといいのだけど」


「あ、どうも……」


「いつもありがとうございます、ディグリさん。創作のお供に助かってます」


「頑張って頂戴。貸出の手続きは済んでいるし、今回は特別に、期限も延長してあげる。ただし、貸出期間の延長は一回だけだから……それ以上借りたい時は、一度返してもらう必要があるわ」


「期間、いつまでッスか?」


「一か月。とりあえず、そこを締め切りとさせてもらうわね。途中でも良いから、本を返すついでに見せに来て」


「……うっす」


 エディが会釈すると、ディグリは八本の足を器用に動かして方向転換し、図書館の中へと戻って行った。


 大きな扉が軋みながら閉じる。エディは受け取った本とクッキーの袋を見下ろして、唇を曲げた。


「なんか、妙なことになった気がする」


「ふふ。でも、これは絶好のチャンスだと思いますよ」


「何のだよ」


 苦笑交じりに問いかけるが、ルビィは微笑むだけだった。

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