第15話 風の来た道、虫の足跡

「い、いやぁ~、ふたりとも食べられずに済んだみたいだね。よかったよかった……」


「食われるかとは思ったけどな。逆に一杯食わされてきたよ、めっちゃ美味いケーキと紅茶」


 バツが悪そうに笑うベル先輩に、エディはスティックケーキをかじりながら返した。


 図書館を訪れた翌日、場所は再びカフェテリア。ふたりそろって、お茶しているところだ。


 ルビィは授業を受けており、不在である。


 ベル先輩は乾いた笑みを浮かべて、ナッツを摘まんだ。


「まあ、無事で何よりだよ。それで、本は見つかった」


「ん、一応」


 エディは鞄の中から、借りてきた本をふたつ取り出す。


 ひとつは指南書。もうひとつは“我らの森人”。


 ベル先輩は眉をぴくりと動かし、“我らの森人”の方を手に取った。


「……これは?」


「司書の人に押し付けられたっつーか。それ関連でベル先輩に聞きたいことあんだよね」


「ほほう、私の力が必要? いいよ、聞きたいことって?」


 わくわくしながら質問を待つベル先輩をじっと見つめ、エディは“我らの森人”の内容を反芻した。


 中身は、この国の南東から南にかけて伸びた山脈の探検記。そこに息づく森と、森で暮らす生き物のことが、事細かに記されていた。


 群生する植物についてまとめた“こずえしょう”、地形について書かれた“流れの章”、そして動物について記された“声の章”からなる三章構成であり、特に重要だったのは“声の章”。


 妖精、二足蟲、精霊。大昔の探検家が出会った、不思議な生き物との交流が、流麗なスケッチと共に載っていたのだ。


 昨夜、全編を読破したエディは、すっかり仲良くなった先輩を真っ直ぐに見つめた。


「ベル先輩ってさ、なんでここ来たの? 風の精エルフ……だよな?」


「おー、踏み込んでくるねえ。そうだよ、私は滞留した風に魔力が宿って生まれた精霊種。まあ、妖精たちの受け売りだけどね」


“人とほぼ変わらぬ姿をしていながら、その実態は水や風である者たち”


“妖精によって育まれ、治水や木々の管理を行う彼らは、私が使う言語に驚いた”


“しかし、真に驚いたのは私の方だ”


“彼らには、私が唇と舌を使って紡ぐものが、その意味するところや内容を把握出来ずとも、コミュニケーションを取るためのものであると一度で理解したのだ”


“水音や風が起こす葉擦れの音で言語の代わりとしていた彼らは、すぐに私から言語を引き出そうとしてきた”


 ベル先輩はベリージュースを吸い藁ストローでかき混ぜながら、懐かしそうに思い出す。


「時間の感覚がちょっとチグハグだから、どれぐらい前だったかは思い出せないんだけどね。ずっと前に、妖精の子のひとりが、悪戯で本を持って来たことがあってさ」


「小説?」


「ううん、楽譜集。最初はみんな、音符の形の真似して遊んでたんだけど、何書いてあるかわかんなかったから、すぐに飽きて捨てちゃったんだよね。それを私が拾ってさ、人間ならわかるかなって思って、山を下りたのが始まり」


「で、そのまま居着いちゃったと」


「そんな簡単な話じゃないよー。大変だったんだから」


 ベル先輩はケラケラと笑っていたが、続く話は明るいものではなかった。


 妖精たちやエルフたちは、好奇心が旺盛だ。しかしそのために痛い目を見ることも少なくない。


 楽譜を読める人物を探して街を彷徨ったベル先輩は、森の中にはない貨幣経済に触れるうちに騙され、追われ、時にはそうと知らぬまま奴隷のような労働の契約を結ばされたりしたようだ。


 なまじ強力な精霊なのであまり気にせず、怒った時には周りの建物ごと吹っ飛ばし、それが元で災害と呼ばれて迫害を受けたりと、とにかく波乱万丈だったらしい。


 しかし、それでも楽譜だけは手放さなかった。


「でね、色々逃げたりしてるうちに、高貴なる者の丘ノブリーズ・ヒルに迷い込んでさ。そこで、これが楽譜だって知ったの。聞こえてきたピアノの音に飛びついたら、そこの家の人が弾き語りしてくれて……衝撃だったなぁ……」


「へぇ……。じゃあ最初は、音楽を学ぶつもりだったのか?」


「そうそう! でも……なんか、才能なくってね」


 えへへ、と寂しそうに笑う先輩の表情は、晴天の途切れた空のように見えた。


 貨幣制度を理解し、算術を身に着けた後は、楽器代を稼ぐために労働に精を出した。


 元々が風をルーツとするベル先輩には食事も家も睡眠も必要ない。結果、すぐに楽器を購入する資金は溜まったものの、そのどれもがことごとくベル先輩に合わなかった。


「全部試したのか? ピアノ以外に、笛とか太鼓とかさ」


「それはもちろん。楽譜に書いてあったパートのものは一通り触ってみたよ。けど、こう、なんて言ったらいいかな……。“違う”んだよね」


「“違う”って、何が?」


「何がって言われると困るんだよねぇ~……」


 ベル先輩は腕を組み、背もたれに体を押し付けて天井を見上げる。


 うーん、と悩む彼女を眺めながら、エディは想像してみた。


 畏まった服を来て、大きなピアノに上がって演奏するベル先輩。


 あるいは、楽団のひとりとして管楽器を鳴らす姿。


 ―――……確かに、なんか違和感あるな……。


 ―――なんつーか、先輩の主張の強さに楽器がついていけない感じっつーか。


 ―――トランペットの風圧で楽譜も楽団もぶっ飛ばしちまいそうっていうか。


 ―――演奏で人殺せそう。物理的に。


 トランペットから発射した暴風で観客を蒲公英たんぽぽのように吹き飛ばすベル先輩を想像して、ちょっと笑いそうになるのを堪えていると、当の本人が軽く椅子を傾け、勢いよく浮かせた足を床に打ち付けた。


「ん―――わかんないっ! とにかくなんか違ったの! 楽譜の読み方も教えてもらって、歌も歌えるようになって、演奏も覚えたけど……違ったの!」


「で、そっから小説家に転向?」


「えっと、まぁ。……エディちゃんさ、私の本、読んだ?」


「バイトで連れまわされてる時に一応、一冊だけな」


 彼女を紹介した時、ヨサ先生は“得意分野は青春小説”と言った。


 あまりピンと来なかったので、参考にと思って読んだところ、どうやらグラインランス芸術学院をモデルにしたらしい、学生の少年少女の恋物語だった。


 見ているこっちが恥ずかしくなるような、さりげない言葉や仕草の応酬。


 あまりにも照れくさくなって、途中で読むのをやめてしまったので、ちょっと居心地悪く思っていると、ベル先輩はうっとりした表情で呟く。


「私さ、吹奏楽部に所属してたんだけど、そこで恋愛する人を見てびっくりしちゃってねー。“ぴしゃーん! ごろごろごろー!”って感じの衝撃だったの! 精霊種わたしたちには結婚とか、恋愛とか……そういうの、無いからさぁ……」


「カルチャーショックってやつか」


「そう、それ! 最初は楽器が駄目なら音楽作ってやるーって思って詞を書いてたら、先生に文学の方に行けって言われたんだー。最初は詩人だったんだよ、私」


ポエムか、なーるほど……?」


 今度はエディが考え込む番になった。


 “我らの森人”は、かなり昔に書かれた本だ。


 それこそ、この国が周りからチクチクと攻められていたような時代。大きな戦乱を経験する、遥か前。


 その当時は、精霊たちに言語は無かった。しかし山に踏み入った探検家により言葉がもたらされ、彼女たちは人の営みを知り、妖精たちが時折街へ行って盗みを働くうちに、彼女たちにも言語が伝わり発展していった。


 その波及は、妖精と精霊のみならず、二足蟲にも及ぶ。


「ベル先輩、森に友達とかいなかった? 二足蟲の」


「二足蟲の? ううん、いなかったよ。妖精ならまだしも、私たちとは生まれた場所が同じってだけだし。向こうは言語コミュニケーションしないからねえ」


「あー、今でもそうなのか……」


“精霊たちと妖精たちの学習速度は早かった”


“私に対して様々な悪戯や接触を行い、状況と発した言語を照らし合わせることによって、意味を紐解く”


“間違いを指摘すると素直に受け入れ、教えを乞うてくる。そして仲間にも共有する”


“中には、栗鼠リスや鳥に教えようとした者もいた”


“だが、妖精と精霊以外に教えようという試みは上手く行かなかったらしく、たびたび癇癪かんしゃくを起こしているのを見かけた”


“特に、二本足で立ち、手を使い、道具や栽培を行う二足蟲に言葉が根付かなかったことには、不満を述べていた”


「……ね、ね、エディちゃん。なんで急に二足蟲?」


「んー、昨日、新しい課題もらってさ。ベル先輩ならなんか知らないかなって思ったんだけど」


「知ってる人、なかなかいないんじゃない?」


 エディは無言になった。


 “我らの森人”には、二足蟲と交流を試みようとした記述がある。


 しかし彼らは妖精以外との接触を好まず、すぐに逃亡してしまうとあった。一方で、姿かたちが違う者同士で―――それが例え鳥や猪相手でも―――交流する姿が見られたという。


 かの本が著された時代では違っても、今ならベル先輩みたいに言語で話し合うことが出来るのではないか。フランやディグリがそうであるように。


 ―――フランだって、今や二足蟲やハーフは珍しくないって言ってた。


 ―――けど、街でも見たことないんだよな……学院には他に居んのかな。


 ―――くっそ、情報足りねー。これでイメージしろって言われても……難しいぞ。


 乱れた茶髪をガシガシと掻く。


 フランが流暢に話せる以上、精霊や妖精のように、どこかで言語を学んだのは間違いない。それこそ、文学に触れることが出来るほどに。


 彼は一体、どこで言語を覚え、文学に触れ、図書館を這うようになったのだろう。何を思って、エディと同じコーナーで本を探していたのだろう。


 そもそも、どこで生まれて、どうやって育った?


 疑問がキノコのように湧いてくるが、答えは一向に開かない。


 ―――いっそディグリさんに聞きに行こうか、いやでもそれだと課題的に反則かな。


 腕を組んで質問責めをやめたエディに、ベル先輩は興味津々に問いかけてくる。


「なになに? 山の話書きたいの?」


「いや、山の話っつーか。……まあ、似たようなもん、かな……?」


「じゃあ、いいひと……多分だけど、紹介できるよ!」


「マジで? 誰?」


 エディは目を丸くした。


 まさかディグリさんとかいうオチじゃないよな、と思っていると、ベル先輩は自信満々に頷いて言った。


「ヨサ先生!」


「は?」

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