第13話 本の蟲

「はぁー……死んだかと思った」


「私こそ、びっくりしましたよ」


 エディはぐったりと木のテーブルに体を投げ出し、ルビィは紅茶をひと口啜って気を落ち着かせる。


 そこへ、先ほどエディの前に落下してきた蜘蛛女が小ぶりなケーキの乗った皿を差し出した。


「驚かせたのは悪かったわね……。けれど、ここは図書館だから……静かにしなくてはいけないのよ」


 盆に乗ったケーキの皿は全部で四つ。エディと、ルビィと、蜘蛛女―――図書館司書、ディグリ・リーブスの分。


 そしてエディとルビィの真正面に座るゴキブリのような二足蟲にそくちゅう、フラン・ツァカロフの分だ。


 フランは紅茶に角砂糖を入れながら、不機嫌に言った。


「第一にだな、人の顔を見てあの反応は失礼だと思わないのか? いきなり大声を出しやがってからに」


「本触ろうとして上向いた時にあんたが居たら、あたしじゃなくてもびっくりするわ!」


「何を!? ……全く、どいつもこいつもノミの心臓だ。そんなメンタリティで芸術家なんぞ名乗れるものか!」


「あ、あははははは……まあまあ、エディさんもフラン先輩も、悪気があったわけではないですし」


 ルビィが苦笑いをしながらふたりをたしなめる。


 テーブルから身を乗り出しかけたエディは、フランとともにしぶしぶ引き下がると、フォークの先でチーズケーキを削りながらふたりを見つめた。


 自己紹介はルビィを介して済ませてある。フランはエディよりも五年先輩で、小説家であり哲学者、詩人にして法律を学んだ経歴もあるという。


 ディグリはそれなりに長く司書を務めていて、入学したばかりのルビィに図書館の利用方法を詳しくレクチャーしてくれたのらしい。ふたりともほぼずっと図書館で読書や執筆に取り組んでいるとのこと。なるほど、文字通り本の虫というわけだ。


 熱い紅茶に息を吹きかけつつ若干失礼なことを思っていると、フランはケーキを食べながら厭世的えんせいてきに溜め息をついた。


「あー納得いかん。どいつもこいつも、小生やディグリを見るなり、まるで幽霊でも見たかのような反応をする! 二足蟲やそのハーフなぞ、今時珍しくもあるまいに」


遭遇エンカウントの仕方が良くないんじゃねえかな……」


「え、エディさん!」


 お化け屋敷さながらの初対面を思い出して、うんざりしながらぼやく。


 ルビィがホラー小説得意なのは、もしかするとこのふたりと出くわすという恐怖体験を経たからだろうか。


 意外にも絶品なケーキをもぐもぐ頬張りながらディグリの方を見ると、彼女はエディが見繕っていた本の表紙を眺めていた。


「どれもこれも小説の指南書ね……あなた、これから何か書き始めるのかしら」


「ほぉほぉ。転向組か、それとも開拓組か? ルビィと同じ学年なら、まだ半年と少ししか経ってないはずだが。チャレンジャー気質か? それとも入学早々、同級生に格の違いを見せつけられて挫折でもしたか?」


「あ、いや、あたしは……」


 フランとディグリから視線を注がれ、なんと答えたものか考え込む。


 グラインランス芸術学院は、元々なんらかの分野である程度の才能を持つ者が集まる場所だ。


 芸術どころか、初等教育機関エレメンタリー・スクールにすら通えなかった浮浪児が、たまたま校長に拾われた……なんて言って、信じてもらえるはずもない。


 なので、エディは誤魔化すことにした。


「そ、それよりえっと、ディグリ……さん? 図書館司書なら、なんかおすすめの指南書とか知らないかな。あたし、一本書き上げたばっかりでさ、次の題材に困ってるんだけど」


「題材……。ジャンルは決まっているのかしら。登場人物のイメージはある? どんな結末にしたいかとか、大まかな希望は?」


「いや、どれも……全然……」


 誤魔化そうとしているのに、ボロを出しまくっているような気がする。


 ぎこちない動きで視線を逸らすエディを、フランは神妙に目を細めながら見つめつつ茶を飲んだ。


 一方でディグリは頬に手のひらを当て、眉の代わりに並んだ複眼をぎょろぎょろと動かす。


「そう、出し切ってしまった後なのね……。珍しいわ、少なくともウチで見る子たちは、ひとつの物語にあらゆるアイデアを詰め込んでずっと書き続けるか、書きたいものをいくつも持っているのだけれど……」


 エディは不満とも言えない、もやもやとした気持ちになった。


 実を言うと、ぼんやりとした物語の輪郭だけならいくつかある。ベル先輩のアドバイスが作ってくれた、小さなとっかかりが。


 恐らく、書こうと思えば書けるだろう。けれど、書いたところで、また原稿用紙一枚ずつがせいぜいだ。


 ヨサ先生から言い渡された課題は原稿用紙百枚。しかも恐らく、“最低でも”の文言が隠されている。それだけの量を書くには、ある程度作戦が要る。原稿用紙一枚をやっと埋められるかどうかのアイデアだけでは、勝負にもならないだろう。


 そんなエディの考えを、フランはバッサリと切って捨てた。


「拙いな、後輩」


 カップがソーサ―に触れる音が静かに響く。


 反射的に少しムッとしたエディの視線が、フランの眼差しとぶつかりあった。


「幼子でさえ、積み木を与えられれば、すぐに何かしらの方法で遊び始めるだろうに。お前はどうしたらいいのかもわからず突っ立っているだけとは。幼児以下の発想力。実に貧相」


「な……! い、いきなりなんだよ先輩!」


「黙って聞くがいい」


 真正面から押さえつけるような圧が放たれた。


 強くはなく、害意もこもってはいないが、確かな力が籠もっている。低く、威厳を感じさせる声音。


「いいか、後輩。指南書なぞ後回しで良いのだ。芸術は完成予想図ありき。こんな絵が書きたい、こんなものが作りたい、こんな曲を演奏したい……そんな理想を抱いて挑戦し、行き詰った時にこそ指南書は本領を発揮する。今のお前が触れたところで、指南書を読んで満足するのが関の山だ。時間の無駄なのだ」


「む、無駄って……。満足なんかしねえよ、あたしは……!」


「いいや。お前は指南書を読み、理解した気になって、また行き詰まり、ここへ来る。そうして新たな指南書を漁って帰ることを繰り返す。水たまりに針のない釣り糸を垂らしたところ無意味。魚が暮らす深さもなく、広さもなく、また釣り上げるためのすべすらない。指南書そんなものを脇に積み上げている限り、お前の創作は“創作ごっこ”の域を出ない」


「……っ! 言わせておけば、このっ……!」


 テーブルを叩き、いきり立つエディの鼻先に、鋭くフォークが突きつけられた。


 反論を押し込める銀色の光。フランは両目を明滅させながら、ギチチ、と不気味な音を口から漏らした。


「もう一度言ってやる、エディ。お前のそれは創作ごっこだ。指南書それはお前には必要ない。全て置いて、早く立ち去れ」

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