第12話 何れを水先とするべきか
“まともな指南書なら、書いてあることは大体同じなので、一冊適当に選ぶだけでいいですよ”
と、ルビィは言っていたのだが。
エディは右に積み上げた本をぱらぱらめくっては左に置く、ということを繰り返しながら、選択肢に悩んでいた。
目次を見て、二~三章をピックアップして中ほどまで読み進める。図書館の一部である樹木が枝を伸ばし、“これはどう?”と言わんばかりに差し出してきた本は、ルビィの言うようにどれも中身が似通っている。
重要なのはテーマを決めてプロットを組むこと。プロットとは物語全体の地図であり、主人公が起承転結の経路を経てテーマの答えへと導くもの。
その他登場人物の作り方や、挫折や困難の重要性、表現技法についても丁寧に語られていた。
恐らく、詰み上がった本をルビィに見せれば、どれでも好きなのを選べと言うかもしれない。それぐらい共通項が多い。
今まで空腹と孤独を紛らわすためにぼうっと本を読んでいたから、意識などしていなかった。けれど思い返せば、本に書かれていたような起承転結や物語全体を通したテーマなどがあった気がする。
―――なんとなく、芸術家って、自分の思い付いたように自由にやってるもんだと思ってた。
―――頭の中にパッとアイデアが浮かんだら、手が勝手に動いて作ってくれる、みたいな。
―――でも、違うのかな。少なくとも、小説にはセオリーがある。
―――ルビィさんは多分、基本に忠実なもの書いてるような気がするけど……。
―――あたしのあれは、どうだったかな。
ヨサ先生に駄作と断じられた、原稿用紙一枚の作品。
無我夢中で書いていたし、セオリーなんて知らなかった。ただの思いつきと、衝動のままに書き上げたあの作品は、自分で言うのもなんだが、最低限の起承転結はそろっていたような気がする。
一応、貧困を誤魔化すためとはいえ、エディも本の虫だった身だ。その辺りの感覚はなんとなくつかめている。
でも、テーマとなると話は別だった。
物語を通じて読者に伝えたいこと。そんなものがあっただろうか。自分と、学院まで持って来たボロボロの絵本の主人公を重ねて書いたあの文章に。
―――テーマ、テーマねえ……。
―――わざわざ他人に伝えたいことなんて、あたしにあるとは思えないけど。
―――あー、てか以前の問題かな。
―――そもそも、どんな話を書くかも決まってないんだった。
テーマとは別に、どの本にも必須事項として書かれていたこと。世界観、登場人物。誰がどこで何をして、どんな結末を迎えるのか。
いや、そもそもどっちを先に考えるべきなのだろう? テーマが世界観を作るのか? それとも世界観がテーマを作るのか?
それ以前に、自分はどんな世界を描きたいのか。
考えることが山のように積もっていく。なんだか既に、エディの目の高さを越えているような気がした。
―――ルビィさん、いつもどうしてんだろ。
―――ホラーとかミステリとかにテーマってあんのかな。オバケ書いたり、探偵が事件解決したりすればいいだけじゃねえの? 違うの?
―――ってかそう、それを聞こうとしてるんだった!
思い立って腰を上げ、ルビィの姿を探す。
しかし、いつの間にか彼女の姿は見えなくなっていた。ここは図書館のあくまでスペースのひとつに過ぎないようだが、それで背の高い本棚がドミノのように連なっている。どこかに紛れてしまったのだろう。
今いるのは上がってくるのに使った樹木の机とベンチの場所だ。ある程度全体を見渡せる位置だが、ルビィの赤い髪は見えなかった。
ここで待っていればそのうち戻って来る。そう考えたが、エディは彼女を探しに行くことを選んだ。
探すついでに、世界観とかのヒントになるような本を探そう。そう考えて。
―――しっかし世界観つってもなー。
鋼鉄で作り上げた文明。全てが滅んだ灰の荒野。あるいは学校ひとつ、職場ひとつ。どんな話にするかで、必要な広さも決まってくる。
それぞれの世界にしか無い要素。その土地ならではの生活様式。そこで暮らす登場人物たち。
―――これ考えるのも一苦労だぞ……。しかもそこにテーマまで加えて話作るって?
―――頭痛くなってきちまう。
「うーん……」
悩ましく唸りながら、書架の森を散歩する。
時折、樹木の枝がちょんちょんと指し示す背表紙に手を伸ばし、軽く開いてみるが、なんというか、ピンと来ない。
鋼の世界の作り方。学園物語。戦記を描く。そのジャンルをバカにするわけではないが、イマイチだ。
エディは唇をひん曲げながら、少し高い位置に手を伸ばす。樹木の枝が指し示した場所だが、背伸びしてもタイトルが見えないぐらい高い。
さっきみたいに取ってきてくれないかな、と思いつつ背表紙に指を引っかけようとしたところ、何か硬くて尖ったものが手に触れた。
「ん?」
本ではない。木でもない。もっとちくちくしているし、何よりも触れたのは手の甲辺りだ。
見ると、それは黒い甲殻の爪だった。エディよりも一回り大きな手が、本棚の上の方から伸びている。それとたまたま触れ合ったのだ。
―――ん? 本棚の上から? ……おかしくない?
何か嫌な予感を感じつつも、視線が本棚に対して水平になっていく。
そうしてエディは目の当たりにした。本棚に逆さまでへばりつく、巨大な黒い甲虫を。
黒光りする甲殻を身にまとったそいつは、黒い真珠のような瞳でエディを見ている。顔の形は人に近いだろうか。しかし横に長くて、獰猛な印象を受ける。
何よりその姿は、路地裏で浮浪児生活をしていた時に幾度も見ては本能的に排除しようとした存在とよく似ていた。
カサカサと動き回り、気付けば増殖し、隙あらばエディの汚れた私物や、最悪耳の穴に卵を産みつけようとしてくる嫌悪感を誘う虫。……即ち、ゴキブリに。
「ヒッ…………っっっぎゃああああああああああああああああああああ―――ッ!?」
エディはその場で飛び上がると、一目散に逃げ出した。
パン屋から出来立てのパンを盗み出し、店主に追い回された時よりも必死だった。
若干涙目になりながら突っ走っていると、すぐにあの樹の机が見えた。
ちょっとほっとして、後ろを振りむこうとしたその矢先。真上から降ってきた、大きな黒いものがエディの進行方向を塞ぐ。
慌てて止まったエディが見たのは、馬車の屋根を埋め尽くしそうなほど大きな蜘蛛の下半身と人間の上半身を持つ女。
長い前髪が顔の左半分を隠しているが、あらわになった右半分には、針の穴のように小さな瞳孔を持つ大きな目。そして眉毛の代わりについた三つの複眼。
頬は痩せこけて顔色は青く、まさしく亡霊そのものの形相だった。
「図書館では……お静かにぃぃぃぃぃぃぃぃ……っ!」
蜘蛛女が凄みながら急接近してくる。
エディは喉から変な音が出たな、と思いながら、泡を吹いて卒倒。
そのまま気を失った。
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