第11話 紙の樹

 エディの人生における最大の失敗をひとつあげるとしたら、それはホラー系の絵物語コミックを拾ったことだ。


 空腹を紛らわすついでに見つけた一冊は、幼いエディに背筋の凍る体験をぶちかましてきた。


 森の中の祖母を尋ねた少女が豪奢な館に迷い込み、巨大な大人や犠牲者たちに散々追い回され、体を徐々に削り取られながら破滅へと向かっていく―――細かく書き込まれた白黒の絵のせいで、夜に出歩くのが非常に困難になったものだ。


 それが現実になるかもしれない。ルビィの背中にぴったりとくっつき、二の腕をひやりと撫でる冷たい風に凍えながら、エディは顔を青ざめさせる。


 学院が保有する図書館の中は、正直とてもそうとは思えない作りをしていた。


 巨人が行き来できそうな大きな回廊のそこかしこに、不気味な彫刻やグロテスクな家具、本能的な恐怖を呼ぶ絵画が飾られていて、灯りは蛍の放つ青白い輝きが踊るのみ。


 進めど進めど本棚のひとつも見当たらないし、出るのは多分幽鬼の類だ。


「な、なぁルビィさん……? ここ、本当に図書館……?」


「はい。ここは美術関連の本が並ぶエリアですね。小説はもう少し奥になります」


「……え? 本? 一冊も無くない?」


「最初は私もそう思いましたけど、実はもう書架の中を歩いているんですよ」


 肩越しに笑顔を向けてくるルビィに、空恐ろしさを感じてしまう。


 エディは頬を引きつらせながら、意図を測りかねて訝った。


 ―――書架なんてどこにも見当たらねーけど、何言ってんだこの子?


 ―――あ、もしかして本の幽霊とかそういうアレか?


 ―――これがホントの死蔵ってやつ?


「っと、ここですね」


 急にルビィが足を止めたせいで、エディはつんのめってぶつかってしまう。


 慌ててもごもごと謝罪するが、ルビィは気に留めた風もなく、一見何も無いように見える壁を軽く押した。


 白い指に触れられた壁の一部が四角く沈み込む。すると、隣にかかった口と歯茎の絵が、拷問の末に死にかけた女の呻き声に似た音を発しながら、上下に開いた。


 なるほど、絵画に見せかけた隠し扉というわけだ。


 ―――図書館にいらねぇだろ、そんな絡繰ギミック! 薄気味悪ぃわ!


 心の中で誰にともなく怒鳴り散らすエディを連れて、ルビィは足取り軽く現れた通路に入っていく。


 数匹ついてきた蛍が周囲を飛び交い、あたりを照らしてくれているが、回廊はそれ自体が肉々しいトリックアートになっていて、不気味なことこの上ない。


「……いっつもこんなとこに通ってんの? 執筆のために?」


「はい! なんだかインスピレーションが湧いて来ませんか? 原初の本能が刺激される感じがします」


「そ、そうかも……?」


 溌溂と返されてしまえば、“そんなわけねえだろ”と否定するわけにも行かず、お茶を濁すに留まった。


 まさかこのまま行方不明になったりしないだろうな、このまま走って逃げ帰ろうかな、と思い始めたところで、回廊は行き止まりに辿り着く。


 拍子抜けするほど、至って普通の木の扉が待ち構えていた。いくつも埋め込まれたプレートには、古典小説・現代小説・海外文学・詩・言語学などの表記。


 急な普通の図書館面としょかんづらに、変な顔をしてしまう。ルビィが振り返らなくてよかった。


 ルビィが扉を押し開けると、薄気味悪い雰囲気から一転して、穏やかで落ち着いた橙色の光に包みこまれる。


「お、わぁ……!」


 ルビィと一緒に敷居をまたいだエディは、思わず彼女の背中から離れて頭上を仰いだ。


 見渡す限りの本、本、本。塔の内側のような縦に長い円筒形の空間が、全てまるごと本棚に変わっていた。


 一体何千冊、何万冊あるだろう。近くの本棚に駆け寄って見ると、色あせた背表紙がいくつも収まっている。随分古い本が所蔵されているらしい。


 食い入るように背表紙に注目していると、横からズズ、ギギ、という音が聞こえた。見れば、さっきまではなかった樹木のベンチと大きめの机が出来ている。


 学院の基礎となった巨大樹に刻まれた、なんらかの魔法の作用によるものだ。恐る恐る腰かけると、ベンチとテーブルはルビィが座るのを待ってから、ふたりを上を押し上げ始めた。


 エディは幼子のようにそわそわと下や左右を見渡しながら、歓喜に打ち震える。


「す、すげぇ……! すっごい、図書館っぽい!」


「図書館ですよ。しかも来訪者に合わせて形や作りを変えるみたいです。今日ここがこういう作りになっているのは、きっとエディさんに読んでほしい本がいっぱいあるからでしょうね。……聞いてますか?」


「き、聞いてる、聞いてるけど……! わああ……!」


 エディは上下に広がる無数の本に目を輝かせる。


 上昇する樹の卓は、本棚に沿って螺旋を描く。まるで、エディに蔵書を紹介するかのようだ。


 タイトルだけで気になる本はいくつもあり、何度も手を伸ばしそうになってしまう。浮浪児時代、本屋に陳列されているのを、あるいは公園のベンチで知らない誰かが読んでいるのを見るだけだった本のタイトルたちが、ぎっしりと。


 どきどきして、わくわくする。さっきまで抱いていた恐怖が嘘のように消え、心がどうしようもなく弾む。


 ルビィはそんなエディを優しい母親みたいに見守っていたが、やがて本題に入るべく咳払いをする。


「さてと、エディさん。これから私は、いくつか小説の書き方の本をお見せして、そこから長編小説を書く方法をお伝えします。私がいつもやってるやり方ですが……いいですか?」


 笑顔を消して身を乗り出してくるルビィに、エディは思わず背筋を伸ばした。


 ヨサ先生よりよっぽど教師っぽいな、なんてことを考えながら。


「あくまでも、私個人が一番やりやすい方法であって、それがそのままエディさんに当てはまるかどうかはわかりません。当てはまるかもしれないし、当てはまらないかもしれない。しかし、それでも一度、徹底的に真似するよう務めてください」


「あ、うん……。け、けど、真似でいいんスか?」


「はい。まずは真似から。そしてそこから、あなたのあなたによるあなただけのやり方と小説を作り上げてください。それに……私の勘ですけど、エディさんが前に提出したという小説、あれにも少なからず何かの模倣が入っていたのではないですか?」


 エディは首を縮め、上目遣いでルビィを見つめる。


 言われてみるまでもない。ヨサ先生に提出した原稿用紙一枚の小説は、エディが一冊だけ持って来た本を元にして書いたものだ。


 無言を肯定と捉えたルビィは、ふっと表情を和らげた。


「まずは、それでいいんです。“真の芸術は、模倣をいくつも積み上げて、模索を何度も繰り返し、最後に模範となったもののことである”……昔の人の受け売りですけど、要はそういうことなんです」


 やがて、長く続いた螺旋の上昇が終わりを告げる。


 高い塔のような本棚の頂上らしき足場に降り立つと、今度は奥に広がる書斎が見えた。


「では、行きましょうか。まずは世界観の作り方から」


「……んっ!」


 エディは力強く頷いて、ルビィと一緒に奥へ広がる書架に進んだ。

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