第9話 もっと先を見据えて

 三日後。カフェのテーブルに、エディはぐったりと突っ伏していた。


 席を共にするのは、バイトを通してすっかり仲良くなったベル先輩とルビィ。ふたりとも、ヨサ先生に作品を提出しに行った時のことを聞いて、苦笑いを浮かべている。


 ベルはハーブティーをかき混ぜながら、乾いた笑い声をもらした。


「あっはは……そっかぁ、駄目だったかー……」


「受け取ってもらえたってことは、駄目ってわけではないんでしょうけどね。ヨサ先生は手厳しいです」


 明らかに気を遣われていることを察して、エディはいたたまれない気持ちになる。


 尋ねてきたのはベル先輩で、ルビィはたまたま居合わせた。別に隠す意味もないので正直に話したのだが―――結果、ふたりに妙な表情させてしまうのは、本意ではない。


 エディは勢いよく身を起こすと、がりがりと頭を掻きむしる。


「……ま、別に気にしちゃいねー。一朝一夕で書けるようなもんじゃないってのは、身に染みてわかったし。一年の猶予はもらえたんだ、今度は駄作の一言で済まないようなの出してやる。ナメられっぱなしは、悔しいからな」


「その意気だよエディちゃん! で、次は何書くか決まった? これから?」


「これからッス。ただ……」


 エディは傍らに置いた鞄に手を突っ込むと、一冊の本を取り出した。


 先日、ヨサ先生から手渡された、彼女の作品だ。タイトルと著者表記を見たルビィとベルは、目を輝かせた。


「おお。それ、ヨサ先生のデビュー作ですよね? どうしたんですか?」


「先生からもらった。ご褒美だって言って……最低でもこれぐらいは書けって言われた」


「それはまた……。もう読みましたか?」


「……ん」


 不承不承、エディは頷く。


 “欠片探しのグレイブホロウ”―――蘇った主人公が、残った記憶を頼りに、たった一夜にして死都と化した故郷を彷徨う物語。


 朽ち果てていく自身の肉体に鞭を打って、骸骨だけになった犬や、魔導音響レコードに閉じ込められた亡霊などの出会いを重ねながら死と破滅の真相を手繰る展開は、まるで悲しいオルゴールの音が響く夜にも似た哀愁を感じさせるものだった。


 死んでも死にきれなかった者たちが各々の答えを見つけ出し、魂だけで動く死骸を満たされていく様は胸にゆっくり、深く突き刺さっていくようだ。


 読了後、エディの抱いていた悔しさや怒りはどこへやら。気付けば更けていく夜の気配と読後感に浸っていた。


 悔しい。認めるのはかなり業腹だ。けれど、認めざるを得ない。


 ヨサ先生の書いた話は、面白い。恐ろしく高い壁なのだ、と。


 ―――出来るか、あたしに。


 目の前に置かれた本を見下ろす。


 あの悪趣味なネクロマンサーの描いた、あるいは彼女だからこそ描き出せた、儚い余生と死の物語。それを超える一作を、一年で。


 じっと考え込んでいると、ルビィの指が革で装丁された表紙をなぞった。


「私もこれ、読みました。すごく悲しくて、狂おしい話ですよね」


「はぁ。普段のあの人からじゃ、さっぱりイメージ湧かないけど。……死体を題材にしてんのは、らしいっちゃらしいかな」


 認めがたいが、格が違いをしっかりと見せつけられた形だ。


 唇をひん曲げていると、後輩ふたりを交互に眺めていたベル先輩が声を上げる。


「でさ、エディちゃんはどうするの? 何書くか決まってないなら、まず題材からだよね。なんか集めるアテある? ないならまた私とバイト巡りとかしてみる?」


「そーッスね、それもアリかな……。題材か」


 エディは腕を組んで考え込む。


 ヨサ先生に提出した原稿用紙一枚のあれは、童話とエディ自身を重ねた結果見出したものだ。


 紛れもなく、あれがエディに書ける精一杯。あれ以上を、他の題材で書くだけの自信は全くないのが現状である。


 理由は単純。エディは、路地裏生活以外のことをほとんど知らず、そこで空腹から逃げるようにして読んだ数冊分しか物語の経験がない。


 学院に来て、人生は変わり目を迎えた。ベル先輩のバイトに付き合って、色んな経験もした。


 それでも、直感的にわかるのだ。知識が足りない。物語を生み出す空想の種が、種を育てるだけの土壌が。


 空っぽの箱を漁るみたいに、虚しい空白の中を感情だけが泳いでいる状態だった。


 ―――必要なのは知識、か。ヨサ先生の言った通りじゃねえか。


 ―――クッソ、あたし、ヨサ先生のことナメ腐ってた。


 ―――提出したやつだって、路地裏生活のことしか知らなかったから、あれしか書けなかっただけだ。


 ―――あたしの中には、そもそも選ぶための“題材”がない!


 昨日、遮二無二何か書こうとしてペンを取り、何もできなかった時のことを思い出す。


 今のエディは出がらしだ。悲しいことに、原稿用紙一枚分を絞り出すだけで終わってしまうようなものでしかなかった。


 何かため込む必要がある。執筆のために必要な、何かを。


 そこまで考えて、ふと思い立つ。


 そういえば、目の前には自分よりも遥かに凄い同級生と、経験豊富そうな先輩がいるではないか。


 急に顔を上げたエディに、ルビィとベル先輩が目を丸くする。物は試しだ、なりふり構っていられるような立場じゃない。エディはテーブルに身を乗り出すと、思い切って問いをぶつけた。


「なあ! 普段ふたりがどうやって本書いてるのか、あたしに教えてくれ!」

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