第8話 完成・その2

「うん、駄作だな」


 エディは手近にあった髑髏の置物をつかみ、ヨサ先生にぶん投げた。


 黄金色の頭蓋骨はあっさりとキャッチされてしまう。完全に余所見をしながら受け止めたヨサ先生は、手首のスナップをかけて髑髏を放り上げ、元の位置に寸分たがわず戻して見せた。


 ヨサ先生はエディの原稿用紙から目線を外し、半眼で睨みつけてくる。


「教師に物を投げる生徒があるか。死ぬか?」


「生徒が必死こいて作ってきたもんを駄作の一言で切って捨てる教師に言われたかねえ……!」


 恨みがましく言いながらも、実のところエディはそれなりにショックを受けていた。


 自分の作品が拙いものであることは、ちゃんと理解している。何せ、ペンを執ったのも、書き上げたのもこれが初めて。つい二週間前までは、何をどう書いていいのかさえもわからなかった。今も、わかっているとは言い難い。


 だが、それでもやり切ったという自負はある。世の中を一変させる名作だ、なんて言う気はさらさらなくとも、労いのひとつはあっていいと思っていた自分がいる。


 それが、心底つまらなそうな顔で“駄作”の一言。正直、少し泣きそうだった。


 人革を張ったデスクに頬杖を突きながら、ヨサ先生は提出した原稿用紙をぴらぴらと振る。


「駄作は駄作だ。本来この学院には、これの百倍良いものを作れて初めてスタートラインなのだからな。それを……全く、あの校長は」


 エディの奥歯がギリッ、と軋んだ。


 血が滲むほどに下唇を噛みしめる。


 ―――悔しい。


 ヨサ先生の態度もそうだが、何よりもベル先輩やルビィの笑顔を踏みにじられたような気がして。


 パンを盗みそこなった時、店主に振るわれた暴力や暴言よりも、遥かに強い痛みが胸を抉った。


 そんなエディの内心を知ってか知らずか、ヨサ先生は原稿用紙を天井に透かす。


 汚れの目立つ汚い紙切れに、ギリギリ読める程度の字で記された、短く出来の悪い文章。改めてそれをまじまじと見つめたのち、丁寧に折りたたんで指二本で真横に差し出す。


 伸びてきた骸骨の手がエディの原稿用紙を受け取り、かたかたと音を鳴らしながら引いていく。


 鋳溶かした鉄と骨で組み上げた本棚の、上下の段を区切る仕切りから等間隔に生えた骨の手は、並ぶファイルの背中を指でなぞった。


「だが、まあ、いいだろう。原稿用紙一枚でいいと言ったのは私だ。提出しただけ、良しとしよう。……合格だ、エディ・ラナウェイ。これで君は来年も、ここにいられる。喜びたまえ」


 半笑いで肩をすくめる。門下生ですら滅多に見せない表情は、最大限の慰労の証。


 しかしエディは赤くなり始めた目でヨサ先生を睨みつけたままだった。


 その眼差しは、ヨサ自身もよく知るものだ。悔しくて、言い返したくて、それでも語る力を持たない者の目。頻繁に吠える、弱い犬の目。


 半ば身を乗り出したヨサ先生に、本棚の骨腕が一冊の本を差し出した。


 文庫本より少し大きい程度で、厚みはそれほどない。丁寧になめした牛革の表紙がつけられたそれを受け取り、エディへと手渡した。


「悔しそうだな、エディ・ラナウェイ」


 エディが言葉に詰まり、ぐっ、と喉の奥からうめき声を漏らした。心を見透かされたのが驚きとでも言うように。


 ―――わかりやすい子だ。素直すぎる。


 ―――だが、上達するのは、決まって素直で愚直な者だ。


 ―――先人が積み上げてきたノウハウを飲み込み、実践し、分析して自分流にする。それが出来て、半人前だよ。


 ヨサ先生は本を上下に振った。


「ひとまず、これは君へのプレゼントだ。合格祝いと思ってくれたまえ。駄作とは言ったがね、たとえ駄作でも完成させた、それを見せに来た、そしてその顔が出来た。それすら成し得ない者が、一体どれほどいるか、君にわかるか?」


「……知らねぇよ。何人いるんだ」


「さあ? 私にもわからない。なぜなら彼らが数えられることはない。目に見える証が残らないのだから、当然だろう? この国の路地裏になんのゴミがいくつ打ち捨てられているのか、わざわざ数える者はいない」


「ンだよ、あたしへの当てつけか?」


「いいや、祝福さ」


 ヨサ先生は立ち上がると、エディに近づき、彼女の手を取る。


 頑なに動こうとしない腕を力尽くで自分の前に持ち上げ、反抗的に握られた拳を親指一本でこじ開け、本を握らせる。


 抵抗していたエディは思いっきり腕を引き抜くと、握らされた本の表紙を見下ろした。


 タイトルは、“欠片探しのグレイブホロウ”。著者、ヨサ・ダウン。


「おめでとう。君はこれで名実共に、路地裏のゴミ脱却だ。最も、堕落すればすぐ戻る羽目になるがね」


「そうかよ、ご忠告どうも。で、なんであんたの本なんだ」


「格の違いを見せておこうと思ってな。あと一年以内にそれと同じぐらいのものを書け。ついでに言うと、それは私の処女作だ」


 エディは不満と怪訝の入り混じった顔でヨサ先生を見上げていたが、やがて本を小脇に挟んだ。


 唇をへの字に曲げ、似合っていない眼鏡の奥で眉間にしわを寄せながら、押し殺した声音で尋ねる。


「それが、来年の課題ってことか?」


「ああ、今度は原稿用紙百枚で出しに来い。それでもし私を唸らせることが出来たら……そうだな、あの本棚を進呈しようか? 自動で欲しい本を取ってくれるし、整理整頓もしてくれる。結構便利だぞ」


「いらねえよ。血生臭いからな」


「ほう、私が骨の洗浄をやりそこなうとでも? 血も肉も綺麗に落として、清潔だ」


「あっそ。血生臭いからいらねえ」


「チッ、可愛くない生徒だよ、お前は」


 エディは憎まれ口を叩くヨサ先生に背中を向けて、何も言わずに部屋を出て行く。


 靴音は三度鳴ったのち、いきなり速度を上げて急速に離れて行った。

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