第3話 空っぽの鍋

 入学当初の紹介で、ヨサ先生に対する信頼度はかなり下がっていた。


 だが今日、エディのためにベル先輩を紹介し、サポートをしてくれようと図らってくれている。


 その結果、やっぱりあの先生はダメじゃないかと思った。


「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


「口閉じてないと舌噛むよーっ! あと四秒で着くけど!」


 エディは高空で、暴風に巻き付かれ滅茶苦茶にかき回されていた。ベルの声はするものの、姿は見えない。


 それもそのはず、エディを荒っぽいことこの上ない運び方をするこの暴風こそベルそのものだ。


 自身の体を風に変えて解き、空気と同化して操る魔法。これによって移動時間を大幅に短縮したエディは、今日だけで三度のバイトをこなしていた。


 猫を探して街を駆け、引っ越しの手伝いをし、農業の手伝いをする。そしてこれが四度目。急降下したふたりがやってきたのは、小ぶりな書店である。


 滝に放り込まれたような落下感覚に囚われるが、それは一瞬にしてふわりと消える。優しく足から地面に下ろされたエディは、堪らず膝を突き、無茶苦茶にされた三半規管がもたらす気持ち悪さに呻いた。


「うげぇぇぇぇ……」


「ほーら、座ってる暇なんてないよー。今日はここで最後だから頑張って頑張って!」


 魔法を解除して元の姿に戻ったベルは、エディの首根っこをつかんで引っ立てる。この明るく溌溂とした、だいぶ強引な先輩に手を引かれながら、からんからんと鈴の鳴る扉を潜った。


 エディは風に振り回されている錯覚が抜けず、ふらつき、五臓六腑が回転しているような気持ち悪さの中で、今日のことを振り返る。


 要約すると、散々こき使われて働かされただけだった。しかも、ほとんどベルがやってしまい、エディの出る幕などほぼないという有様である。


 おかげでエディは唖然としたまま棒立ちし、訳も分からずベルの指示を受けて動いていただけ。書店の主にベルが話を通し、手渡されたエプロンを身に着ける間、エディは重い溜め息を隠せなかった。


 その背中を、ベルがばしばしと叩く。


「猫背直す! 笑顔笑顔! お客さん相手の商売するんだから、そんなんじゃ駄目だよ!」


先輩ひぇんはいいひゃい、いひゃいぇす」


 つねり上げてくる手からなんとか逃れ、ひりひり痛む頬をさする。


 既に着替えもとっくに終わらせていたベルは、早速仕事に手を付けているようで、片手に本の棟を掲げていた。


「今日はここが最後だし、さっきまでみたいにせかせか動くわけじゃないから安心していいよ! エディちゃん、お金数えられるよね? 清算お願いできる?」


「うーす……」


 後ろ頭を掻きながら、エディはすごすごと清算カウンターに腰かけ、げんなりと肩を落とした。


 結局、エディは何が出来たわけでもなく、ほぼ棒立ちで、ベルの手荒な移動で気分を悪くしただけだ。これで取材と言われても、何が何だかわからない。今日の経験で、何を書けというのか。


 ―――“凄い風に吹かれました”で終わりだぞ? 絵本でももっとマシなストーリーがある。


 ―――やっぱヨサ先生に頼ったのは失敗だったのかなぁ……。けどあの校長に話しても意味なかったしな……。


「……なあ、先輩」


「んー?」


 ベルは縦に積み上げた本の表紙を見て、素早く動き回りながら所定の位置に突っ込む作業の真っ最中だった。


 目にも止まらぬ速さで移動しているというのに、どうやっているのか、片手で支えた本の山は崩れもしない。エディはその様を頬杖を突いて見つめ、素朴な疑問を口にする。


「あたし、邪魔じゃなかったですか?」


「ぜんぜん? なんで?」


「いや、だって……あたし、なんも出来なかったし……。ゴミ箱から突き出した魚の骨の方がまだ仕事できそうってか……」


「アハハ、なにそれ! 魚の骨はバイトできないでしょ?」


 参考書の類を硝子のマガジンスタンドにスコンと差し入れ、ベルは太陽のような笑顔を見せる。


「ていうか、やっとなんか喋ってくれたー。エディちゃん、ずーっとだんまりで、後は悲鳴上げたりオエーってするばっかりだったじゃん」


「悲鳴も血反吐吐きそうになったのも先輩のせいですけどね……。仕事中に喋るって言ってもなぁ」


 カウンターの上で腕を組み、顎を乗せた。


 幸い、店内に人影はない。真後ろにかかった振り子時計に曰く、まだ午後の授業が続いている時間帯だ。


 書店もあまり大きなものではないし、平日なので、来る人は少ないのかもしれない。


 おかげで、思う存分吐き出せそうだ。


「……なに喋れば良かったんですか? バイトの内容も全部教えてもらったし、その通りにするだけでしょ?」


「そーだよ? 私、バイトのプロだからね。私の言う通りにやってくれれば、大体上手く行くよ」


「じゃあ、別に聞くことなくないですか? 先輩、めっちゃ丁寧で、質問なんてなかったし」


「“仕事に関しては”、でしょ?」


 ベルはカウンターに近寄ってくると、身をかがめてエディと視線を合わせた。気付けば、手にしていた本はなくなっている。仕事の早い先輩だ。


「例えばさ、さっきの猫ちゃん探しの時……なんで猫ちゃんが逃げたか、わかる?」


「いーや、さっぱり」


「お引越しする人たちがさ、どこに行くのかとか、なんで引っ越すのかとかは?」


「ぜんぜん」


「耕した畑になんの種を撒いて、どうやって育てて、いつ収穫するのかーとか、気にならない」


「気にしてどーすんですか、そんなこと」


「はいおバカ」


「あだっ!?」


 頭頂部にスコンと手刀を落とされ、エディは思わず身を起こす。


 頭をさすりながら恨みがましくベルを見つめると、彼女は背筋を伸ばし、両の腰に手を当てた。


 その表情から笑顔は拭い去られていて、至極真剣な表情が代わりに浮かんでいる。


 エディは息を飲んだ。


「いーい、エディちゃん? そもそもの話だけどね、物語っていうのは、この世界の全ての物にあるの。本の中だけじゃないの。私もそう、エディちゃんもそう。家出した猫ちゃんにもお引っ越しするクローゼットにもこれから生えてくる作物にだってあるんだよ」


「それが……なんだってんですか。あたしに家出した猫の成長日記でもつけろって?」


「ダブルおバカ」


「いだっ、だっ!」


 今度は手刀とデコピンのコンボだった。


 エディはそろそろ文句が言いたくなって、席を立つ。しかし口から出かけた罵声は、ベルの立てた人差し指一本に封殺される。


「あのね、エディちゃん。私が言いたいのは、物語を書きたい人が、なんですぐ目の前にある物語を読み解こうとしないのか、ってこと。本当にゼロのゼロから物語を作れる人なんて、この世にはいないんだよ」


「んなわけないでしょ!」


 エディはベルの手を振り払った。


「作家ってのは、頭ン中でゼロから物語作って、ペンで刻んでいくもんでしょ!?」


「ううん。そんなことした人、いやしないよ。天地開闢の時からね。保証したっていい」


「はあ……?」


 絶対に言い過ぎだし大げさだ。そう思って、思い切り怪訝そうな顔をして見せる。


 だがエルフの先輩は、大真面目に言った。


「作家はね、色んな物語を、色んなところからかき集めて物語を作っていくものなんだ。自分の生まれ育ちから、他人の生まれ育ち。見てきた景色、経験してきたこと、誰かが聞かせてくれたお話。そういうものからね。そういうのがあって、初めて“想像”が出来るんだ。この世で最初に物語を書いた人も、色んな物語を集めて、自分の中でかき混ぜて、熟成させたはずなんだよ」


「んな馬鹿な……魔女のスープじゃあるまいし」


「あ、それ。いい表現かも。そうそう、物語っていうのは、たくさんのものを煮込んだ魔女のスープなのよ」


「食うのもためらいそうな、ゲテモノってことですか?」


「ゲテモノかどうかは、盛り付けと味付け次第でしょ? ねえ、見習い魔女のエディちゃん?」


 エディは返答に困って、唇をひん曲げた。


 つまり、こういうことだろうか。バイトに行った先々でやるべきは、真面目に働くことではなかった、と。


 働くことよりも、逃げた猫や、引っ越しの荷車から物語を見出せ、と。


 ベルは優しく笑って、エディの両肩をばしばしと叩いた。


「エディちゃん、書くことないって言ってたけどさ。それは単に、お鍋が空っぽだからだよ。水も具材も入ってない。それじゃあ煮込むも何もないでしょ? だからたくさん入れなきゃいけないの。たくさん入れていっぱい煮込んで、原稿用紙にペンとインクで盛り付けをするの。わかった?」


「……はあ」


 曖昧に生返事をしたところで、店の外で作業をしていた店主がベルを呼ぶ。そちらにすっ飛んでいく先輩の姿を見ながら、エディは席に腰を下ろした。


 猫探し。引っ越し。農作。そこから見出すべきだったもの。ベルに尋ねるべきだったこと。


 エディは学のない頭をひねって、考えようとする。


 しかし、いくら考えても、中身のない財布を逆さに振るみたいに、具体的なことはなにも浮かんで来なかった。

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