第2話 エディの命運をかけた過半期
「つまり、お前は半年経ってもまだなんの見通しもアイデアもなく筆を執ることすら出来ない穀潰しというわけだ」
「おう、それが軍隊式のご挨拶って奴か? ヨサ先生」
かび臭い本棚に囲まれた狭い部屋で、エディはこめかみに青筋を立てながら言い放った。
小さな机を挟んで目の前には、黒いローブを羽織った偉そうな女性がふんぞり返っている。
前髪を上げた、冷徹さと暴力さを押し込めたようなヘアスタイルで、引き締まった手足はすらりと長い。男女問わず目と心を奪われるほどクールな容貌をした彼女の名は、ヨサ・ダウン。グラインランス芸術学院軍略科の教師にして、この国の“英雄”でもある。
ヨサ先生は傲慢過ぎる態度で鼻を鳴らすと、エディに嘲笑を向けた。
「軍隊仕込みなのは認めよう。だが、お前のように寮の汚部屋に引きこもり、干し肉と水だけで食いつなぎながら無い頭を出がらしの雑巾みたいに絞る阿呆と軍属を同列に語ってくれるな」
「美人のくせに腐った卵みたいな匂い漂わせてる人に言われたくねー! んなことはいいんだよ、アドバイスくれ!」
しっちゃかめっちゃかに掘り返した墓場の如き腐臭に鼻を摘まみつつ、エディは怒鳴る。
ひとまず、入学は夢ではなかった。しっかりと生徒名簿に名が記載されていることを確認したエディだったが、早々に次の問題に激突することとなった。
即ち、学年末の課題に何を出すか、である。
エディにとっては切実で、提出は来年だからと楽観視できるようなものではない。何せ、エディはついこの間まで行く宛てもない浮浪児であり、創作なんて生まれてこの方やったことがない。
楽器、絵筆、彫刻刀、粘土―――色々手に取っては見たが、どれもこれも上手くいかなかった。
先輩たちや同級生は、最初はみんなそんなもの、と励ましてくれた。だが、同級生でさえ、まるで沸騰した水のように創意を噴出させ、恐ろしい速度で作品を完成させていく。
指導を乞うた。挑戦もした。しかし、どれもこれも上手く行かず、そうこうしているうちに気付けば半年が経過していた、というわけだ。
そんなわけで、藁にも縋る思いで担任のヨサ先生を訪ねたのだが。
「アドバイスと言われてもなあ。私は見物専門なんだ」
この有様だ。
―――うすうすわかってたよ、畜生!
―――初日からしてアレだったもんなあ!
入学式を終えたエディを待っていたのが、この教師である。
学科は多岐に渡り、掛け持ちOK。学年もクラスもあってないようなもの、とはルビィの言。しかしながら、一応迷える生徒のため、担任教師という制度はあるそうだ。
どんな先生なのか、と期待していたエディだったが、期待はあっさり瓦解した。
“今日から貴様らの担任を押し付けられた、ヨサ・ダウンだ! 言っておくが、私に創作の助言などは求めてくれるな”
“私はあくまで見物専門だ! 出来たら見てやるから持ってこい!”
“戦争もない、面白い作品もない、そんな世界にいたら私の頭が早晩痴呆になるだろうが!”
“だからとっとと作ってとっとと見せろ! 面白かったら退学は見逃してやろう。以上!”
慣れない敬語を使う気も、一か月で失せてしまった。
しかしそんなボンクラ教師でも、今は頼みの綱……だったのだが。
頭を抱えて俯いていると、ヨサ先生はウジ虫でも見るような目で詰ってきた。
「大体なぁ、ここはある程度、学ぶことを決めている奴や、自分の進むべき道をある程度決めている者が来る場所だぞ? やりたいこともわからないで何故入学した?」
「他に選択肢なんてなかったんだよ……! こちとら親の顔も知らない
「ほーう。で、大方あの
「そうだよ! まさしくその通りでございます! 芸術なんか無縁だったんだ! ……でも、衣食住は保証してくれるって話だったし……」
「それも一年で打ち切られそう、と。なるほど、くだらん絵物語作家と大体同じ境遇なわけだな。喜べ、才能あるぞ」
「嬉しくねえよ!」
エディは思わず机をぶったたく。笑いごとではなく、既に泣きたい気分だった。
捨てられた絵本や、ゴミ箱にあった小説を読んで、読み書きと言葉を学びはした。石と砂でパンの絵を描き、妄想で腹を満たそうとしたこともあった。
だが、所詮はストリートチルドレンの虚しい慰めに過ぎず、いざ何か作れ、と言われても手が動かない。
他の生徒の姿を見ていると、なにも作れなくなってしまうのだ。
その上、このボンクラ教師である。
スカートを握りしめ、歯を食いしばる。せっかく奇跡が転がってきたというのに、それもあと半年で消えようとしている。
ゴミを漁って食べなくてもいい。腐臭のする木箱の中で雨風を凌がなくてもいい。固い石畳の上で眠り、蹴りと罵声に起こされなくてもいい。
それだけで、もう充分幸せと言っていいのに。
―――あんな生活、もう嫌だ! 戻りたくない!
―――でも、でも……どうしたら……!
肩を震わせ、唇を噛む。
どん底が背後まで迫っているのに、何をしたらいいのかもわからない。
このまま、惨めな路地裏に放り出されてしまうのだろうか。
不安で胸がいっぱいになり、押しつぶされそうだ。
そんなエディをうざったそうに眺めたヨサ先生は、深い深い溜め息と共に呟いた。
「めそめそするな、鬱陶しい。お前の涙で名作でも作れるのなら、話は別だがな」
そう言って席を立ち、カーテンを閉め切った窓際まで歩いていく。
窓を開け、差し込む陽射しに目を細めながら、ヨサ先生は虚空に呼びかけた。
「ベル! バイトの時間だ、来い!」
「はぁ―――――――――いっ!」
びゅうっ、と強風が部屋の中に吹き荒れた。
風は驚いて顔を上げたエディの髪を滅茶苦茶に掻き乱し、部屋に満ちる腐臭を払拭。そこら中に放置されていた紙切れを巻き上げると、天井近くで球状に滞留し、ぎゅっと小さくなって破裂した。
凄まじい音と風圧でひっくり返ったエディの前に、ゆっくりと降り立つ少女の影。
慌てて跳ね起きたエディの前は声を失った。
エメラルドの光沢を持つ長い金髪と、長く尖った耳が特徴的な美少女が、机の上に仁王立ちしてエディを見下ろしていたからだ。
「やっ! 君は新入生かな? 私はティンキー・ウィンディ・ベル・ダーリン・リリィ! 長いから、ベルって呼んで?」
「そいつはお前の二年先輩だ。種族は希少なエルフ。普段は授業にも出ずアルバイトや部活動にうつつを抜かしているが、作家としての腕は悪くない」
「え? ……え?」
状況を飲み込めず、尻餅を突いたまま目を白黒させるエディ。
ヨサ先生は窓とカーテンを閉め、部屋を暗がりに戻すと、エディを振り返った。
「いいか、穀潰しのエディ・ラナウェイ。ひとまず、お前の学期末創作は短編小説だ。原稿用紙一枚で構わん。字の読み書きは出来るんだろう?」
「で、出来るよ。出来るけど、なんでいきなり小説?」
「お前レベルの公用語さえ使えれば、問題なく書けるからだ」
ヨサ先生はさも当然とばかりに言ってのける。
そして人差し指を突きつけ、上から目線で講釈を垂れた。
「お前、この半年で芸術と名のつくものにはある程度触れたんだろう? だったらうすうすでも気付いたろう。音楽、絵画、彫刻、舞踊……どれもこれも、一朝一夕で身に着けるのは難しい。少なくとも、お前には無理だった。それはそうだ。どの分野も才能以上に、時間をかけて熟成させた理論を学んで成り立っている。しかしながら小説……こと、原稿用紙一枚の短編については、違う」
「違うって……何が」
「難易度に決まっているだろうが。全く、ゾンビ一歩手前の思考能力め」
余計な一言を添えて、ヨサ先生は訥々と語り始める。
曰く、小説を書く前準備は、普通に生きていれば出来るもの。何せ、読者に伝わる言葉で書けば良いのだから。
無論、甘く見ていいものではない。原稿用紙一枚にまとめるのにも、技術と創意工夫がある。しかし長編より難易度は各段に下がる。
長くなればなるほど、必要になる情報は多く、緻密な整理が必要になる。世界観や人物相関、過去未来現在など、考えることも増えていく。それはエディにとって、赤子が断崖絶壁をよじ登るほど困難なことだ。少なくとも、半年ではよほどの才能がないとどうにもなるまい。
「だから、まずは基礎の基礎。原稿用紙一枚分だけ書いてみろ。出来については期待しない。まず完成して私に見せろ。それで進級させてやる」
「……入学半年にして、初めてあんたを教師らしいって思ったよ……。で、この先輩は?」
「そいつと三か月過ごせ」
「は?」
―――何がどうしてそうなった?
口から飛び出した素朴な疑問の声を、ヨサ先生はすぐに汲み取ってくれる。
「“作家は経験したことしか書けない”なんて言った奴がいる。半分正解、半分ハズレだ。別に経験しなくとも、我々は自分が鳥になった夢を描ける。己ではない己を描ける。ここではない世界を作れる。正確には、経験が必要なのではない―――必要なのは“知識”だ。……お前、自分になんの知識があると思う?
返す言葉が見つからず、エディはただ俯いた。
そしてそれが、とてつもなく悔しいことのように感じた。
「ベルは多くのことを経験しているし、これからもする。そいつの得意分野は青春小説だ。スポーツやバイトの知識と経験をふんだんに用いた文章は、読者に知らない世界を見せてくれる。お前はそいつに交尾を求める蠅のようにくっついて回り、知識と経験を手に入れろ。お前の手に届く範囲の、お前が手にできなかった経験を、だ」
「あたしの……手にできなかった、経験……」
出来るだろうか。
何かとんでもなく困難な課題を言い渡された気がして尻込みするエディの手を、ベルは力強く握りしめ、引っ張り立たせた。
「だーいじょーうぶっ! 私が一から十までサポートするよ! 一緒に頑張っていこーね! えーと……名前、なんていうの?」
「……え、エディ・ラナウェイ……」
「おっけ、エディ! じゃあ行こう!」
「わ、うわっ!?」
ベルは華奢な体躯からは想像もつかない速さでエディを引っ張り、ヨサ先生の部屋を飛び出そうとする。
エディはドア枠をまたいだところで慌てて踵を突っ立ててブレーキを踏み、部屋の中を覗き直した。
「ヨサ先生! あ、ありがとうございます! ちょっと見直した!」
「ああ。なら次は、私を見返してもらおうか」
ヨサ先生は雑に手を振り、嵐にさらわれたように消えていくエディに無表情な一瞥をくれた。
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