葵の花
「うぅっ、緊張する…」
体操着の上からお腹を抱える私に、正紀が「なんかデジャブなんですけど…」と冷ややかにツッコむ。
私たちは片膝をつく形でしゃがみ、自分たちの番が来るまで待機していた。今まさに赤ブロックの応援が終わろうとしている。いよいよ、本番だ。青ブロックの応援が始まる。
「いくぞ」
正紀が小声で言った。青ブロックの生徒が一斉に立ち上がる。赤ブロックの退場とともに、入れ替わりになる形で、私たちはフィールドの真ん中に入った。砂埃が激しく舞う。
すぐに各々の定位置に着く。じっと動かずに開始の合図を待つ。日差しが強く照りつける中、さっきまでの喧騒が嘘のように、グラウンドが一瞬しんとなった。
パンっと応援開始のピストルが鳴らされた。
「きをつけー、れい!」
「「「お願いします!」」」
ドドンと鳴る太鼓。咲良先輩の号令に合わせて、みんなが大声をあげる。
「青ブロック女団長、本郷咲良!!」
「青ブロック男団長、佐野葵!!」
団長二人のかけ声をうけて、右足を肩幅に開く。全員の足が揃い、ザッと砂を力強く踏む音がする。ドドドドドドと太鼓が鳴る。身体を斜めに、二人の団長を中央として、ドミノ倒しのように左右が割れる。前後のウェーブや手拍子など、全身を使って演技をする。動きが揃うようになるまで、これまで何度も練習を重ねてきた。
「咲き誇れ!青の花!」
葵先輩が叫んだ。私たちは駆け足で移動して、三重の円をつくりあげていく。
ドンドンドンカッドンドンドンカッ。
太鼓のリズムに合わせて、少しずつ手の角度を変える。蕾から満開の花へ。
伝われ、私たちの想い。
観客席の方から、わっと拍手が沸き起こった。気がついたら、汗びっしょりで演技を終えていた。爽やかな疲れと高揚感。鳴り止まない喝采が、青ブロックの応援がうまくいったことを物語っていた。
得点板を見ると、4ブロックの点数は拮抗していた。青ブロックは現在3位。最終的には、競技の得点に応援の得点がプラスされて、順位が決まる。今日一日だけでも見どころはたくさんあったのだが、フィナーレを飾るのはブロックリレーだ。各学年から2人、男女6人の選手がブロックの代表に選ばれ、リレーで順位を競う。配点が高く、大逆転につながる花形の競技。
私は応援席の先頭にいた。あいにく、足がそんなに速くないので、リレーの選手には他の女子が選ばれていた。さすがは陸上部の正紀は、クラスの代表として選手に選ばれている。応援団からは他にも、耕平くんと咲良先輩、葵先輩も選手の一員として、ブロックリレーに出場する。私はリレーを走らないかわりに、ブロックの皆を鼓舞しながら応援に徹することにする。
赤、青、緑、黄色の4色の鉢巻がひらめく。静まり返ったグラウンドには、ピンと張った糸のように緊迫した空気が流れている。
「位置について、よーい……」
ピストルが放たれた。乾いた銃声が鳴り響くやいなや、疾走する選手たち。青ブロックの一番手を走るのは耕平くんだ。ブロックリレーは、作戦として各ブロックごとの走順を自由に決めることができるのだが、トップランナーは選りすぐりの人が集まっている。耕平くんも一年生で小柄ながら、他の選手と引けを取らないくらいの俊足で駆けている。
青ブロックは現在2位。緑ブロックが1位で、差はほとんどないまま、次の人にバトンが渡された。運動場を包みこむ声援。放送部の実況が会場を盛り上げる。
1年、2年の女子が続けて走り、途中で黄ブロックに追い抜かされてしまった。そのまま3位に順位が落ちたところで、正紀にバトンが渡される。
そこからの快進撃は目を見張るものがあった。バトンが渡された途端、正紀は風を切る勢いで走る。あれよあれよという間に、1人、2人と抜いていく。
すごい!正紀、頑張れ!
青ブロックの客席で歓声が広がった。私もクラスの仲間と興奮し、喜びを分かち合いながら応援する。
首位のまま咲良先輩にバトンが繋がった。咲良先輩も速いが、緑ブロックの選手がこれまた足の速い選手で少しずつ距離が縮まっていく。それに追随する黄ブロック、赤ブロックの距離もそこまで遠くはなかった。勝負はまだわからない。
テイクオーバーゾーン手前、青ブロックと緑ブロックは団子状態になった。咲良先輩からアンカーの葵先輩にバトンが渡る。それとほぼ同時に、緑ブロックのアンカーの選手がバトンを受け取ろうと、後ろを振り向きながら走り出した。意図せず、緑ブロックの選手がバトンを受け取ったばかりの葵先輩にぶつかった。
「あっ!」
もつれあう2人が勢いよく地面に倒れ込んだ。客席から悲鳴が上がる。強く地べたに叩きつけられた両選手は、なかなか起き上がれない様子で横たわっていた。先生の1人が駆け寄る。その間に、黄ブロック、赤ブロックの選手が横を通り過ぎていく。
緑ブロックの選手がゆっくりと起き上がって走り出す一方で、葵先輩は足首を手でおさえていた。先生と何やら話をしている。私は祈るような気持ちでその場を見守った。他のブロックの選手との距離はもう追いつけないほどになっていた。
葵先輩がようやく立ち上がった。擦りむけた膝は砂で汚れ、血が滲んでいた。すでに青ブロックの4位は確定していた。しかし、葵先輩は足を引きずりながらも、諦めずに地面を踏みしめていた。
「頑張れー!」
私は無我夢中で叫んでいた。目頭が熱くなる。葵先輩が時間をかけながらも一歩一歩、確実に終着点へと近づいていく。ここにいる誰もが葵先輩を応援していた。
競技終了のピストルが鳴る。皆の思いを乗せたバトンがゴールにたどり着いた瞬間だった。
すべての競技が終了し、あとは結果発表を待つだけとなった。閉会式前のわずかな休憩時間。私は感動を胸に、居ても立っても居られない気持ちで葵先輩を探していた。
先輩はすぐに見つかった。一人、手洗い場で傷口を洗っていた。
「怪我大丈夫ですか?」
私は顔を上げた先輩に、持っていた絆創膏を渡した。
「すご、ありがと。女子力高いね」
「とんでもないです」
ふふっと笑い合い、二人の視線が交差する。会場が喧騒に包まれる中で、ここの場所だけは妙に静かだった。世界が切り離されているかのように、周りの音が遠くに聞こえた。
「かっこ悪いとこ見られちゃったね」
先輩はばつが悪そうに頭をかいた。
「そんなことないです。本当にかっこよかったです」
私は真剣に言った。打算的な思いも、恥ずかしいとかそういう感情も全くなくて、心の底から出た言葉だった。
葵先輩の目が一瞬大きくなった。先輩はそのまま黙って水を止めた。蛇口からポタポタと滴が落ちていく。先輩はしゃがんだままの姿勢で私に向き直ると、ふと口を開いた。
「春本さん、もしよかったら、俺と付き合ってくれない?」
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