side卯月琴

***



 辛くはないけれど、からい毎日だった。



「……行ってきます」


 今日も同じ朝がやってきた。同じ目覚ましの音で起きて、同じ布団を出て、同じ服に着替えて、同じ化粧をした。朝ごはんは毎日違うけど、それ以外は、ほぼ同じ。革がゆるんで足に馴染んだこと以外は、何ら変わらない同じ顔のローファーを履いて、同じ電車に乗る。

 同じ学校に行くのが、少し辛い。

 辛いとはどういうことか、と問われると分からない。本当に、この感覚は辛さなのだ。ぴりぴり。舌先で痺れるような。ぶわっと鼻の頭から汗が出るような。だんだんお腹が痛くなってくるような。

 おかしいよね。自分でもそう思う。


「卯月さん。今の教室に、一度だけ足を運んでみるのはどうかしら。一度行って無理だったら、またここに戻ってきていいから……」


 養護教諭の先生は、そう言ってくれる。

 しかしその「一度」が、一歩が、私には大きすぎた。

 高校一年生の頃、いじめ未満の嫌がらせを受けていた私。「未満」だったから、解決のしようも何も、なくて。心に強い痺れを伴ったまま、私は進級した。

 高校二年生では全く新しいクラス。

 嫌がらせをしていた人も別のクラスになった。

 分かっているのに、中々気持ちは前に進まなくて。

 学校の「辛さ」が味の「辛さ」と違うのは、喉元を過ぎても熱さを忘れないことだ。こんなの、忘れられるはずがない。

 また困らせちゃう。

 理解していても、先生の言葉に首を横に振ってしまう。


「そう……まぁ、焦らなくて大丈夫だからね」


 優しい微笑みが、気遣いに見える。

 だんだんと、迷惑そうな顔をする先生の幻覚を見る。

 お母さんと、同じように。



 ──「今日も保健室に行くの? そろそろいいでしょう、過ぎたことなんだし。私も若いころはね、女子高だったからそりゃあいろいろあったものよ……でもね……」



 もうそんな昔話もうんざりだ。お母さんと私は違う。私は私。

 お母さんがそうだったから私もそうなる「はず」とか、そうでなければ「いけない」とか。分かってるよ。分かってるんだけどね、熱いんだよ。




 いつだって口を噤んだ時みたいな顔をした、飼育小屋のウサギだけが私の癒やしだった。

 クラスの担任の先生には感謝している。

「面倒かもしれないけど」なんてとんでもない。前にネコを飼っていたこともあって、動物は好きだ。エサをやっている時、掃除をする時。これほど癒やされる時間はない。

 こうして私は今日も、大切な時間を過ごしている……私にとってだけ「大切」な時間。他の人から見れば、授業をサボっているだけの、無駄な時間なんだろうな。

 さみしくて、かなしくて。


 そう思ったら、もっと教室には戻れなくなった。

 どうしたら良いのか。バカだから、分からない。




《第1章 終わり》

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