レンタル彼氏の拓弥 その2


 一時間後。

 時刻は午後二時が過ぎ、今日は日曜日ということもあってか、新宿駅の構内は多くの人で賑わっていた。

 夏という蒸し暑いこの季節。

 拓弥にとっては天敵であり、すでに拓弥の体力を大きく削り取っていた。

 その原因は単に暑いだけだからじゃない。

 そもそもの原因が自分にあったからだ。

 

『静! お前なんで長袖なんて着てんだよ!』

『ええっ……僕が寒がりなのは拓弥も知ってるじゃん……何で着替えないの……』

『着替えてる時間がなかったんだよ! タノンデは都内の外れた場所にあるんだから新宿までも時間かかるんだわ! ……ったく、俺と同じ体で過ごしてるんだから、お前も暑がりになれよ……』

『無茶苦茶だ……』

 脳の中の静は嘆いた。


 めちゃくちゃ暑がりな拓弥に対して、めちゃくちゃ寒がりな静。

 この二人は同じ体で過ごしているのに、何を対象にしてもこのようにして正反対になってしまう。

 他のことでもそう。

 スポーツが大好きで得意な拓弥に対して、大嫌いで苦手な静。

 勉強が大嫌いで苦手な拓弥に対して、大好きで得意な静。

 二人は得意不得意がまるで真逆で、自分が得意な授業がある時は入れ替わるようにしていたりもする。

 これも便利な点の一つであるが、今回は別だ。


『今日はこれで我慢するわ……ったく』

『ご、ごめんっ……』

 こう見えても二人の上下関係は対等。

 二人は互いを尊敬し、同じ体に住む双子だと思い込むようにしていて、これこそがこの二人が一つの体でやっていける秘訣だった。

 

「待ち合わせの時間は、二時だよな……」

 携帯で今の時間を確認して、円から伝えられていた集合時間を確認しても、そろそろ依頼人が来る時間である。

 拓弥にとっては依頼人のわずかな遅刻は慣れたこと。女の子の少しの遅刻くらいは男が許すという信条だ。

 

「花柄のピンクのロングワンピース着ているのか……」


 拓弥が辺りを見渡しても、依頼人っぽい女の子は何人もいるので無意味だ。

 しかも、拓弥を見る女の子は何人もいる。


 拓弥が辺りを見渡せば何人もの女の子と目が合うため、拓弥は依頼人から話しかけてもらえないと、どの女の子が依頼人なのかを判別することができないのである。

 

「……あ、あのっ!」

「……っ!」


 拓弥がキョロキョロしていると後ろから肩をぽんぽんっと優しく叩かれ、ビクッと拓弥は体を震わせた。振り向くと、依頼人の格好に一致している花柄のワンピースを身に纏っている女の子が立っていた。


「あっ……驚かせちゃいました?」


 現れた彼女はそう言うと、てへっと意地っぽく笑った。


 ふわりとしている体付き。

 身長は小さくて、頭には白いカチューシャをしている。

 前髪は眉毛の上で、毛先は肩上できちんと整えられていて、綺麗な黒髪である。

 靴も少しかかとが高いヒールを履いていて、普段履かないヒールを今日のデートのために背伸びをして買った感じが、ヒールの不慣れ感からわずかだが滲み出ている。


 ——そこを拓弥は逃さない。

 

「いえいえ、全然そんなことないですよ? 本日はよろしくお願いします。タノンデの拓弥です」

「あっ……えっと、美琴詩です」

「名前だけでいいんですよ?」

「あっ、そっか……」


 詩はあははっ、と上から髪を両手で抑えて僅かに引きずった笑みを溢す。

 慣れない様子で返答し、いきなりボディタッチをしてきた最初とは違って何故かそわそわとし始める詩に拓弥は察した。

 この人は、あまり男には慣れていないんだろうなと。

 当人は上手く紛らわせているように見えるが、実際のところは詩の笑顔は作り笑顔だと、この時点で拓弥は見抜いている。

 

「えっとですね。詩さん? まずは敬語、やめましょうか」

「……えっ? あっ……分かった……」

「よし、ありがとう。詩さん、早速質問を一つしても良いかな?」

「あっ、どうぞっ……」

「質問というか、何というか。突然で申し訳ないんだけど、依頼人には全員に聞いてることなんだけどさ。オラオラ系と今の俺。詩さんはどっちが好き?」

「……?」


 ぽかんとなった詩。それもそのはず。

 拓弥の質問は誰がされても、あまりに意味がわからなさすぎるものだ。

 しかも、相手はレンタル彼氏という立場で会って一番最初の質問。

 詩からしたら頭に?が浮かんでも仕方のないことだ。


「つまりはさ……あーもうだりぃ。さっきの話し方と、今のこっちの話し方。詩はどっちが良いって聞いてるわけよ」

「……っ! こ、こっちですっ!」

 食い気味にこっちこっちと言わんばかりに縦に首を振る詩。

「だよな、この話し方嫌だよな……えっ、今なんて……?」

「こっちですっ! オラオラ系の方が良いですっ!」

「……へぇ、意外だな」

 拓弥は普段の依頼では、いつも真の姿を出すことはない。

 多くの依頼人は怖がって、拓弥の作った彼氏の方を選ぶ。

 だから、こんな目の前の少し弱そうな女の子が素の方の自分を選ぶとは思わなかったために、少しだけ驚きを隠せなかった。


「……初めて男の人に名前を呼び捨てされちゃった」

「なんか言ったか?」

「……何も言ってない!!」


 詩は初心うぶである。

 拓弥のようなイケメンに名前で呼ばれただけできゅんきゅんしちゃう純情な女の子だ。

 拓弥は詩にとって新たな道を切り開いたニュースター。

 オラオラ系は好みではなかった詩に、初めて良いと思わせた男である。


「じゃー今日はこれで行くからな、今日はよろしく詩」

「よ、よろしくねっ! た、拓弥さんっ……」

「拓弥でも良いぜ?」

「……っ! それは無理ですっ」

「ははっ」

 そう言うと拓弥はいじっぽく笑った。

 拓弥の全てに意識を持っていかれる詩。

 この時点で、詩はトラウマについては忘れている。


「じゃっ、この辺にヤバうまのパンケーキがあるんよ。詩はパンケーキは好きか?」

「えっと、大好きっ!」

「お、本当か!? じゃ行こうぜ!」

「うんっ!」


 約五分話したのちに、二人は新宿駅を出た。

 今を持って、拓弥のレンタル彼氏としての三時間が幕を開ける。


 ——詩は相談目的でレンタル彼氏を依頼した。

 しかし、すでにその目的を忘れ、拓弥の魅力に惹かれ始めていることは言うまでもない。

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