第二百三十幕 龍燐(りゅうりん)
私は、かなえ。
三鍋 叶(みなべ かなえ)、螺鈿(らでん)の職人だ。
※漆と貝で模様を作る伝統工芸で超高級、理由は鬼畜の様な手間がかかる上で天然素材だから。
今日も、ここ怠惰の箱舟の自分の職場であるコーディで作業をし始めた。
このコーディにくるまで、自分は一心不乱にこの道を歩んできた。
貝も一つとして同じものはなく、産地の海によっても色合いは変わる。
磨きも、砥石ではなく木炭や指。
そうでなければ、薄く繊細なそれは直ぐに削り消えてしまう。
貼り付けるのが難しく、模様にするにも難しいそれ。
実は、漆芸のそれは高い値段にも値段がいる為にそれを作る人間にもブランド化に近い事が求められて〇〇の芸術系の学校を卒業して工房に出入りしていないとなる事も難しい。
作りても中々増えず、ホコリでダメになる為に過去には海の上で揺れる船の上でこのバカげた程の集中力を要する作業をしていたという。
このコーディではまず、例の結界が施されている為に埃が飛んでたりはしない。
更に、時間が足りない職人の為に外の一時間が内部では十時間になるように設定されている。
但し、休憩を外の時間で一時間ごとに一定以上取らないと出入り禁止になるというルールがある為毎度工房の外ではその休憩時間を利用して作品を乾かすための装置に入れた後休憩するのが暗黙の了解となっていた。
この手の工芸品というか、芸術品は非常にものにするまでに時間がかかり人生一回じゃたらないのだ。
だから、コーディに出入りする作家は休憩時間に眼を閉じ休んでる様で次の作業を必死にイメージすると言ったものも少なく無い。
休憩室には、全員の万感の想いを込めて控えめな表記で至る所に「Next One」と書かれている。
伝統工芸の工房に、英語とはと最初はみな驚く。
しかし、その意味を説明すると皆笑顔で納得していた。
「次の、一つ」そういう意味だ、工芸では一つとして同じものは存在できない。
天然の素材を使い、全てが手作業。
だからこそ、生涯最高の作品はと聞かれたなら。
皆、Next Oneと答える。
「全ての作品と作業工程で、今のこれを越える作品を残したい」
その共通の想いを胸に、箱舟内部の工房で時間の進みを十倍遅くする工房を使って作業をしている訳だ。
作家によって夜景を描き、また龍の鱗を脈動する様に描くものだっている。
これで、万年筆を作った際には専用の樹のケースにいれられて。
蝶をあしらったものもあれば、ペンの頭に屑の一字を描いてくれという注文だってあった。
最初私は、その注文で全く理解できなかったが注文した老人はそれはもう紳士的かつ真剣な顔でこう言ったのだ。
「この屑という字はな、ワシが敬意を表し。心から、敬うお方のトレードマーク。じゃからこそ、ワシは毎朝欠かさずこの文字の書かれた額に頭を下げてから仕事をしておる。ワシにとって、この文字こそ千年輝きを失わぬ螺鈿。それに、魂をささげるものに描いてもらいたいものなのじゃ」
この注文を出した老人は、その時だけ私の眼をみて。
芸術家の、私達螺鈿職人と同じかそれ以上の熱意で。
真剣に、この万年筆を注文したのだと理解した。
「手間にも、素材にも一切の妥協はせんでくれ。無論、必要な金も素材も全部ワシが用意しよう。お主に要求する事はただ一つ、ワシのこの想いに相応しいだけの作品を頼む」
そして、ペンの頭に屑の一字を描いて。漆黒の上に、輝く貝で描いたそれ。
龍の鱗の様に、一枚一枚が違いまるで持つだけで動いて光が流れる様な。
注文を受け取る時に、ペンケースに入ったそれを一目見て頷いた。
「お主に頼んで良かった、この六角の六面全てからお主の想いが透けて見える様じゃ。素晴らしいのぅ、これで仕事をするのが楽しみじゃ」
(あの老人は、今でもたまに作品を頼んでいく常連)
「ただ、屑の文字をいれてくれというその拘りだけはどうにも理解できかねるわよね…」
恭しく、そして真摯な眼差し。
魂のこもった、熱意と想いの気迫。
それでも、確かにあの老人はケチ等は一切つけない。
客の中で最も、金払いも良く。用意する素材も一級品で、確かに以前彼の執務室にお邪魔した際には彼の椅子の真後ろ。
馬鹿でかい額に著名な習字の作家に書いてもらった屑の一字が壁の三分の一を埋め。
その部屋にあるものは、自分のも含め全て全てが実用的であり素晴らしい作品ばかりで一瞬展示室を疑った。
(その、どれもに屑の字が入っているのも見た)
あれから、彼の注文に対してだけは疑問を抱くことなく。
屑の文字を、私は刻み続けている。
私にとって、作品が唯一無二のものであるように。
彼にとって、あの屑という字は本当に特別なのだろう。
あの部屋をみれば、どれ一つとして粗雑に扱われて等いないのは判る。
丁寧に磨き上げられ、全てを大切にしているのが伝わってくる。
「もっとも、最初は奇怪で意味が分からぬ注文ではあったのだけれどね」
私は、芸術家じゃない。職人だ、芸術を創り出し描くかもしれないがそれでも私は職人なんだ。
芸術家は素晴らしいとおもうものを作り、職人は要望に応える。
だから、私は上客であるあの老人の要望通り最高の熱意と想いを込めて。
「あなたに頼んで良かった、そう言われる様に心がけてこそ職人」
私はそう思うし、そうやってこの伝統工芸の世界でやってきたんだ。
その要望が、例え自分の理解できないものであっても理解できるように努力はしていく。
(相手の視点にたってやっと相手が大切なものが見えてくる事もある)
ここに来る前は…、ずっと時間と戦っていた。
老いて悪くなる眼、震える手先。
ただ一人の工房で、何十年と向き合い続けて来た。
レーザーで切り分けたものや手で削り出したもの、そうやって一つ一つの素材と息を殺して向き合って来たんだ。
あの老人の様に、ようやってくれたと笑顔を向けられる事なんて数える程。
変に高級品だと、転売目的や成金の見栄の為に消費されるものも数多ある。
「私はおばあちゃんになってしまったし、結局世に出さなければ生活は出来ない」
幾ら高級品を売っても、材料費が高ければ手元に残る利益なんてちょっとしかない。
「それでも、あの老人の様にちゃんと感謝してくれる誰かがいるのなら。私は、まだ生きてNext Oneと言い続けられる」
腰が曲がり、重たくなった体を起こし。
また、あの工房の扉をくぐる。
漆は鉄を混ぜて黒くなる、最初は樹液で茶色っぽい色をしている。
漆黒で美しく、光沢がありそれでいて金箔や螺鈿を引き立たせる。
若さに、経験を混ぜて黒くなり。
誰かの人生を輝かせ、引き立てる。
自らを磨きぬき、ただ裏方に徹する。
人は漆の様に黒くはならない、くもり濁りツルツルには決して。
それでも、その模様は一人一人違う。
その人生の在り方こそが、Next One。
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これで、怠惰の箱舟の本編はおしまいになります。
後数話ございますが、皆さまここまでお付き合い下さり本当にありがとうございました。心より、お礼を申し上げますm(__)m。
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