第二百二十三幕 拘り

ここは、居酒屋エノちゃん。


店主黒貌は、肉の塊とにらめっこしていた。といっても、ショーケース越しではあるが。



「これが、九十日熟成の肉ですか。良い感じになってますね」



そう、エタナちゃんの希望でステーキを焼く事になった黒貌。

まず、ステーキは岩で焼くやりかたや鉄板でやるやり方等がある。



しかし、Tボーンの様な油の少ない骨付きの熟成肉をステーキにする場合。

この肉をカットする前に一度網の上において、横でたき火をし煙でわずかずついぶす様にしてから取り出し包丁でカットする。



炭ではなく、薪でこれをやるなら樫(かし)等が望ましい。

その上で、野菜のピューレ等をそえて出すのだ。


カットしたものを再びたき火の横に離して置く、そして煙でじっくりと燻し仕上げる。


これは、随分と古い伝統的な手法だが脂が少ない肉と樫の薪の組み合わせであればこういった方法の方が肉はウマく焼ける。


調味料や肉は確かに大切だ、定番の様に調味料を駆使する様が見受けられる。


…が、ウマいものは素材や調味料だけでは完成せず。調理法や調理器具なんかも料理に合わせていってこそ一流に美味いものができ料理人とて納得できるものが出来る。



断言しても良い、拘りが無いのならそれはチェーン店や冷凍食品となんら変わりない。


そんなものを個人店で出す店はさっさと淘汰された方がいい、その方が客の為でもあり店の為でもある。



「時間はかかるでしょうし、殆どの料理人は嫌がるでしょうね。回転率が余りにも悪すぎる上、肉は毎回一発勝負だ。安定感がまるでない、だからこそ安易なものに頼りたがる」



だが、黒貌は惜しまない。自分が食べるのなら、恐らく彼は作らないだろう。


「それでも、俺が好いた貴女が食べたいというのなら。俺は、用意して見せますとも」そういって、トングで網の上にじっくりおいていく。


樫の薪一本一本から厳選し、お互いの樹を叩き合わせては音色で確認し。

肉も、熟成された肉を血抜きの段階から厳選して持ってきた。


金網の上で炊かれたたき火の下に溜まった赤い炭を丁寧に、肉の置かれた金属の台の下にくべていく。


こうした料理で塩コショウをうつのは、基本だがその塩を振って少しでも置くと水分が逃げて焼き色がまずくなる。


だから、塩を振ったらもうすぐに肉を熱した所にもっていかないとダメなんだ。



フライパンでもそうだが、基本は弱火から中火。

火を直接とか、岩とかじゃ火力が高くなり過ぎるきらいがある。


だから、薪で調整する時はたき火から零れ落ちたばかりの炭を使えばうまくいく。



塩コショウをしたら底を焼き面、つまり下に。

反対側はまだ塩コショウせず、ひっくり返す直前で塩コショウを振る。


塩はやるなら多め、何故なら油と共に零れ落ちるから。

そして、最初の片面を焼いた時の脂は良くない油だ。


だから、フライパンならペーパーでふき取る。

今回は台を使っていて、いぶす段階で油は下に落ちているので問題はない。


薪や藁を使うなら香りがつくので、バターやニンニクなどの足すものは必要ない。


「どんなお肉でも、あるもので美味しく仕上げる。これこそが、技術ってもんですよね」



そう言いながら、焼き目を丁寧につけて。弱火で火を通していく、じっくりと…。


ごまかさないからこそ、正直なウマさというものがある。

たき火でやる場合は、距離を離して肉を休ませる。が、用意出来ない時はバットに移して蓋をして休ませる。



弱火でも出せない、そんな微熱で上下から肉を包み込む。



そして、最後に焼き目をつけるのと温める意味でもうひと手間。


たき火が横にある場合火との距離と炭の入れ具合で後は囲い等を使えば同じことが出来るが、無い場合はそうした手間もいる。



「今日も、今日の俺に出来る最高の仕事ができた」


そういって、エタナちゃんの前に料理を置いた。


「Tボーンステーキ、樫の薪仕上げです」



それを、紙エプロンをしたエタナちゃんがフォークでぶっさして口に入れた。


黒貌が既に、一口大に切って出していたため静かに咀嚼して。


エタナの口と眼からビームが出て、黒貌が慌ててハンカチを両手でもって横に払う。

そうすると、丁度入ってきた勇者のズボンのベルトに当たって切れズボンが落ちた。


「うわっ、あぶねぇ。ってか俺のズボン、おいこら」



余りの感動に声も出ない、エタナが無言でステーキをぶっさして文句を言いに来た勇者の口に突っ込む。


咀嚼し、あふれ出るウマさ。


まるでさっきの場面の繰り返しの様に、勇者の口と眼からビームがでた。



「「うますぎぃぃぃ」」


エタナと勇者の声が重なり、黒貌はこっそりガッツポーズ。


「このウマさは、犯罪だぞ」


その台詞に、入り口にいた大路がマッハで飛び込んでくる。


「犯罪とは聞き捨てなりませんなぁ!」


そして、素早く勇者が羽交い絞めにしてエタナがステーキを大路の口に突っ込んだ。



さっき、勇者とエタナが出したビームの三倍ぐらいの黒いビームが眼と口から飛び出して入り口を通り過ぎていく。



「塩コショウと肉と薪だけでこの様な、確かに犯罪的に美味いですな…」



食べさせたのがエタナだったため、特に怒る事も無く飲み込んだ後にそんな事を宣う大路。



流石に大路が吐いたビームは、ヤバい威力があったためエノが素早くつかんで宇宙に向かって曲げた。



その日、遠くから天へ向かう一条の黒い柱が見えたという。



女神エノの権能の一つ、(吊るされた男)メムは全てを掴む力。

現象だろうが、証拠だろうが、時間だろうが掴む。


例え、大路のふいに放った力の奔流さえ己の存在値を下回ればどんなものでも掴める。


確かに制限として、手の数までしか掴めないというのはある。


しかし、エノの本体の手は六対十二枚の翼状の手も。六万五千五百五十六機の城一機当たり二十四本の手も含む。


さらに、このデメリットは(権能:死神)併用の場合無かったことになる。


そして、掴んでしまえば曲げる事や捉える事は難しくない。

掴んで僅かに手首を捻るだけで、ブレスや光線なども銅の針金のように曲がる。


女神エノの権能はどれもスペシャルではあるが、相変わらず自分で嫌っている割にはこういう咄嗟には遠慮なく使うのである。


咄嗟に権能を使ったために、エタナが汗びっしょりでぜーぜー言っていた。


勇者も、大路も急に空に曲がって行ったそれを見て「「?!」」となったがエタナちゃんの様子を見て大路は微妙に苦笑した。



「相変わらずなお方だ、全く助かりましたぞい」


そんな、声が小さくぼそっと聞こえた。


「黒貌、おかわり」


でもそこはエタナちゃん、ぜーぜーいいながらおかわりは要求する。

黒貌は苦笑しながらも、お金を受け取るといそいそと肉をまたゆっくりと焼き始める。


「店長さん、俺にもそれくれ」勇者も、隣に座って無造作にお金を置いた。



「エタナちゃんの後になって、時間がかかりますが宜しいですか?」


黒貌が訪ねれば、苦笑しながら勇者が頷いた。


「あぁ…、頼むよ」大路は残念そうに、勇者の隣に座って。



「ワシには酒とつまみをなんか頼む、全く何が素人料理じゃ…」


そういって、黒貌の目の前に笑顔で無造作にお金を置いた。


「まいどあり、大路さん」そういって、笑顔を向けお互いに頷く。



「もう一回やって、ご迷惑をおかけする訳にもいかんしの」

そういって、似合わない程優しい笑顔を浮かべていた。

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