第二百十四幕 刻む道
私は恭子、新飼恭子(しんかいきょうこ)。
ここは、箱舟本店の時計屋。
店の名前は、スフィア。
恭子は、特徴的な黒髪を後ろで縛った。
トレードマークである、左耳に挟む様にクリップで止めた長い金のチェーンの先には銀の懐中時計が下がっていた。
チェーンは髪に巻き付いて、それが漆黒の髪に良く生えていた。
恭一オジサンの紹介で、このスフィアで働いている。
「私みたいに事務とか苦手な人は、はろわのバックアップ申請すれば作業に没頭できるのは助かるわ」
懐中時計は、だいぶ廃れてしまった。
それでも、ペン同様こだわりのある人が使っているし。
これ自体は、一種のお洒落。
その、懐中時計は恐ろしい程細かい精密な部品。緻密な設計によって、時を刻む。
部品がもうないモノならば、自分でその部品を予想して創り出さなければならない。
設計が残ってない事もあるし、門外不出の技術が使われている事もある。
それに、基本こういうのは想像して部品を削り出すしかない。
極限まで集中力がいるから、他の事をやりながらなんて不可能に近い。
電池交換や時計を飾ったり、売ったり、メンテナンスはある程度できるかもしれないが。
「出来ないからって、白い眼で見る連中に言ってやりたいわよ。じゃ、アンタがこれをなおしてみなさいよ」ってね。
まぁ、恭一オジサンみたいな人やここのドワーフの西田さんみたいな人なら煙草くわえながら「任せろよ」とか「美しくなおしてやるから早く貸せ」なんて言葉がかえってくるんでしょうけどね。
よれたツナギに、よれた表情で。
「教育もしてやらねぇで、何言ってんだアホかよお前ら」
そんな事言って、不愛想に課題を投げてくる。
「必要な事すら最低限にしか話さない、でも聞いた事はきちんと答えてくれる」
恭一オジサンなら、最初から最後まで笑わない。
というより、泣かないし怒らない。
機械の様に、煙草をくわえて死んだ眼でよれたツナギを着て。
「私は、あの領域には到底たどりついてなんかない。怒りもすれば笑いもする、失敗だって割としょっちゅう…」
人を雇うなら、ハズレだって当然居る。
自分でやめていくように、そう仕向けるなんてしょっちゅうだ。
「自分達のマイナスになるから、その一言に尽きる」
優しかった先輩が離れていく?、当たり前よ。使える新人は欲しいけど自分で教育するのは論外だなんて奴は外の会社にはダース単位のピンポン玉よりいるわよ。
オジサンは、鼻で笑うでしょうね。
「くだらねぇ」って、道具は愛してやってなんぼだって。
真に相手を道具として、使っていくってなら猶更だって。
ローカルな機械は、直ぐにダメになっちまうだろ?
もっとも、ローカルでデリケートな道具は人なんだよ。
生きてる事を感じさせて、説得じゃなく納得で人を動かさなきゃ。
愛してなんかもらえやしねぇ、信頼なんてしてもらえねぇ。
「プライベート尋ねる面接の話をした時も、鼻で笑われたなぁ…」
友達探してんのかよ、アホかよって。
大体国によっては、面接でプライベートの話をする事は違法なんだぜ?。
「家帰って仕事する馬鹿はいねぇよ、休みに電話かけてくるようなアホが居るトコなんか論外だ。すぐやめちまえ、そんなクソみたいなトコに尽くすギリはねぇ」
自分を犠牲にする事を強いる事を求めるんだったら、それに見合ったもんよこすぐらいじゃなきゃ到底釣り合わねぇんだよ。
「自ら奴隷になる必要が何処にある?、植民地か?奴隷か?屑神様みたいに何でもくれるってなら話は変わるけど人にそれは無理だろが」
自分の意志で自分を高める為に、自分の時間使って学ぶのはありかもしれねぇが。
その学んだことを、使ってやるのは違うだろが。
喜んで、使わせるぐらいじゃなきゃ。
見合うものよこすってのは、どういうもんかみせてやる。
そういって、私を箱舟本店に連れて来た。
「これぐらい出来ないのなら、それを口にする資格はねぇ」
そういって、年齢にも性別にも容姿にも一切の関係なく。
適正と、条件で職場が振り分けられるここに来た。
「オジサン、私は時計作るしか能がないわよ?」
って言ったら、死んだ魚の様な眼で。
「じゃぁ、そう言えば良いんだよ。外のはろわとは違うし、転職エージェントとも違うから」
外のはろわなんてブラックだらけのクソしか選択肢がねぇし、転職エージェントは転職させた歩合で金額貰うからこっちの事なんて考えねぇ。
「箱舟のはろわが、普通じゃねえんだよ。行政機関も派遣業も決済機関も全部かねてるから、そこ言って相談しろ」
ここで、働く唯一の条件は「面接を通る」事だ。
私は、何の問題もなく他愛のない話をして終わったけど。
あれで、落とされる人なんているのって言ったら。
「沢山いるぜ、沢山な…」
クソみたいな友達が居たら、クソみたいな親がいたら、兄弟が居たら、ここでは面接で弾かれる。
本人に問題があったとしても、無かったとしてもだ。
「世界でナンバーワンの待遇を約束し、どんな願いでも働きゃ聞いてくれるぜここはな」
どうやってんのか知らねぇが、面接でそういうのは弾かれる。
箱舟ってなぁ能力では弾かれねぇんだよ、心や魂がクソなら何様でも弾かれる。
恐ろしい程の精度で、背筋が凍る程の冷徹さで一切の容赦なく切られる。
「まさか、本当に何の雑用も仕事なく。永遠に、時計の修理をやらされるとは思わなかったけどね」
しかも、何が凄いって時計の部品資料の精度の高さよ。
「答えを知ってるとしか思えない…」
損耗率から、どの部品からダメになるか。
どんな材料なら、どれ位持つか。
何処からダメになるかも、部品単位で資料があるなんて…。
そう言った、部品の資料が仮想媒体と紙媒体で両方揃う。
「ありえない…、自分達の製品でもこんな正確な資料みたことない」
それを惜しげもなく、資料室に押し込んで。
オジサンは言ってたわ、「嫌だったり新しい挑戦したかったらまた箱舟のはろわいけよ」って。
無茶いってんじゃないわよ、加工機だって測定器だって豚屋(とんや)だっけ?あそこに頼んだら消しゴム一個でも直ぐくるじゃない。
測定器だって、歪んでたり傷が入ってなんてまずない。
欲しいを届けるのが通販で、欲しい結果を売るのが営業だって。
五分以内に、来なかった試しがない。ただし一括前払いが絶対条件で、どれだけ頼んでも品物の値段しかかからないって。
私にとっては、これと向き合うだけで十分挑戦よ。
「これが、箱舟本店…」
人の欲望には際限なんかないし、もっともっとと騒ぐ奴は大勢いる。
「けどな、ここでは働いた分しか与えられない。結果を出した奴、努力をしたやつしか報われない」
みんな、必死なんだよ。欲しいものがあるから、欲しい結果があるから。
「冷たい眼では見られないが、変な笑い浮かべてあぁお前もかみたいな奴は沢山いるだろうが。客にも店員にも、ここは、そういうとこなんだよ」
あの、外でもここでも死んだ魚の眼をしたオジサンが…。
あの、言葉を発した時だけ人の顔をしてた。
「いいか、恭子。変えなくたっていいし、挑戦しなくてもいい。ただ、文句は言うな。平等なんか何処にもねぇよ、箱舟のこれみたらわかるだろうが。てめぇ自身でも、お客でも、大切な誰かでもかまやしねぇよ」
幸せにしてやれ、じゃなきゃそこには不幸しか残らねぇよ。
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