第百九十三幕 青空雨空(あおぞらあめそら)
ここは、箱舟本店その街角。
「なんでや~~~」
それは、影になった所から聞こえた。
そう、ここはパン屋ヘヴン。
その、店内から今日も頭を抱える店員の声がした。
このパン屋で一番売れているモノ、それはパン……ではなくパンの耳だ。
何を言ってるんだと思うし、店員も最初にその事実を見た時は眼を向いた。
だって、パンの耳は廃棄処分か良くて余り物を見せの余ったスペースに申し訳程度において少しでも足しになったらいいかなって位のものだ。
「今月もパンの耳が売り上げナンバーワン」
がっくりと項垂れてその場にうずくまる店員、それはそうだパン屋の本業はパンなのだから。
例えばホテルパンが流行って柔らかく日持ちしない変わり旨いパンが高値で売れるとか、従来の製法の日持ちはするが黒パンと比べて柔らかいのは間違いないがホテルパン程ではないというパンが大量生産で安くせざる得ないとかそう言うのはパン屋の事情としてはよくわかる。
「どうやったって、流行り廃りや制作をどう工夫したってかかる材料費はパンによって違うのだから当然だ。そこは、判るんだよ。だが、おかしいだろパンの耳が十か月連続ナンバーワンって。これじゃ食パンやサンドイッチ用のおろしてるパンの方がおまけになっちまう」
それは流石にパン屋としては、いかがなものかと思う。
それはまるで、好きなゲームを配信していたらチャンネル登録がガッツリ減ってしまう配信者の気持ちのそれだった。
パンの耳は、廃棄利用に近いのでほぼ捨て値のハズだ。
つまり、それだけ食パンが出てる筈なんだ。
確かに食パンは出ている。
今も後ろで、店長兼パン職人の裕治郎が黙々と窯の前で仁王立ちしながら微調整をいれているのが判る。
ヘブンの窯は、電気制御じゃない昔ながらの窯だ。
当然、窯の機嫌などの影響を受ける。
だから、この手の窯を使うパン屋は朝早くに火を入れて状態を見るのが当然だった。
太い二の腕で、ねじり鉢巻きをし。ヘブンの文字が入った無骨な分厚いエプロンを、下げている白い髪がちじれている。
汐(うしお)がただ只管に窯を見つめてパンを焼いている横で、せっせと焼きあがったパンを白い販売用のトレイに置いていく。
そこで、お客が来た事を知らせるベルが鳴ったので汐がいらっしゃいませと声をかけた。
黒いスーツのその男は、よく来る常連でそしてパンの耳を今日も大量に買っていった。
曰く、自分が好きな女(ひと)がここのパンの耳を油で揚げて砂糖をまぶしたものを大層大好きで申し訳ないと思いながらもその女性の為にパンの耳を買っていく。
「他のお菓子も作っては見たのだけど、どうも安っぽいモノとかの方が好きみたいで。でも、いつも美味しそうに食べてくれるのが嬉しくて」
どこか幸せそうに、そして何とも言えないような顔をしながらその男はパンの耳をいつも大量に買っていく。
「あの男が来るようになってからだよな、パンの耳の数がバンバンでるようになったの。そんなに、あの男の大切な女性はパンの耳を揚げただけのお菓子を食べるのだろうか」
そんな、邪推を浮かべるもまぁいいかと再びパンを並べる作業に戻る。
ここに来てから、毎日パンを良くする事しか考えなくて良くなった。
並べてさえいれば、パンはそれなりに出ていく。
「その女(ひと)は相当変わりもんだなぁ、まぁ人の好みにケチをつけるなんておかしいのだけど」
コンビニにもパン屋にもパンと呼べるものは星の数程ある、消えていったパンも現存するパンもだ。
それでも、週三でパンの耳を買っていくのだから。
ここでは、転売は軍犬隊が出てくる。
それが無いと言う事は、少なくとも自分達で消費している事に他ならない。
あの量を、食べるって太らなきゃいいけどな。
自分も気をつけてはいるが、箱舟は飲食店街にいけば食べ放題もあるし。そうでなくても、物価は鬼の様に安い。
だからこそ、運動していないと直ぐにぶくぶくと太る。
「己を律し続ける事が出来るものや、極端に体を使う労働をしているもの等はこの限りでは無いが」
特に、お水系の仕事をしているものは大変だ。彼ら彼女らは、綺麗である事が仕事の中に入っている。
必然、化粧品から何からは申請すれば経費で落とす事が出来るだけ外より何倍も良いが逆にそばかすやしみや肥満は下手をしたら首になるのだ。
それを消す薬品が漢研究所から激安で出されているし、それで肌を傷める事などない。
あの研究所はネーミングセンスや瓶のデザインは最低だが、品質は最高で価格も比較的安価だ。
デメリットがその最低のデザインの瓶が鏡の前に並ぶ事位で、それさえ我慢できればという位。
外ではその化粧品やら服やらは自腹が基本、箱舟のフロアとは決定的に違う。
だからこそ、箱舟でお水の職業を選んでるものは首になる事を恐れる。
客は取れなくてもいい、ただし綺麗であり続ける事だけを求められる。
身も心も綺麗でなければと、まるで聖職者の理想像みたいな生活を。
外見の美しいの基準が店によって異なり、年増だろうがぽっちゃりだろうがそれは変わらない。好みなんて千差万別あって当然、その千差の種類だけ店が存在する。
要するにお客がそれを選択するのだし、客側にも夢を売る場所に出入りするマナーとして夢を描く邪魔をしないというものが存在する。
これを破ると出禁どころか、袋叩きに合うのだが。
「まぁ、聖職者と違うのはイヤならはろわ行って秒で転職できる事なんだけど」
(夢を売る商売ならば、夢を描き続けなければならない)
パン屋ならパンを良くする事を、ただ只管求められる。
ここじゃ、売り上げが振るわなくても正しく研鑽さえしてればポイントが入ってくる。
「ポイントで材料も生活も担保されている、但し研鑽が惰性に変わった瞬間にポイントも止まってしまう」
だから、私達みたいにパン屋であり続けたい者達はパンを良くする事を続けることに必死だ。
しかも、パン屋は同じパン屋区画にまるで押し寿司の様に並べられてる。
豚屋通販に頼めば、手数料も何もなしでページでパンを売りに出して貰える。
時間停止ボックスにいれられて、一度倉庫に行き。
売り上げが発生したら、パンを買い取った料金が振り込まれる。
だから、ぶっちゃけ店舗を空けるかどうかは店主にゆだねられていると言ってもいい。
「おう、ピザパンが焼きあがったぜ」
無言で今までいた、店主が台の上にピザパンを並べていく。
「パンは焼きたてが美味い、そして時間経過でダメになる。冷めても旨いとしても、焼き立てには絶対に及ばない」
だから、台に並べない分は素早く時間停止のボックスに丁寧にいれて蓋をする。
時間経過を気にせず、通販に出せるというのがこれほど便利だとはね。
自分はここに来る前に、田舎に住んでいたからよくわかる。店が遠く、病院も遠いから車が必需品に近い。
にもかかわらず、二重課税三重課税に近い負担がかかるのだ。
結果誰も田舎に住みたがらず、どれだけ厚遇しても人口は流出していく。
何処にもいかない人だったとしても、何も買わずに生活する事は経済圏では不可能に近いからだ。
所が、この箱舟はどうだ。
豚屋通販、時間経過停止ボックス、そして簡易転移。
それに、通貨のデジタル化。
セキュリティやら、配達員のモラル等の問題は全くない。
配達員の闇の一族は、模範の様に正しく働く。
通貨はそもそも、ダストと神が別々に発行しているが元々使える幅が全然違う。
土地も家も、好きな所に住んで簡易転移があるからこそ通勤時間も遊びに行く時間も五分以内だ。
そのくせ、フロア別にジャンルが判れているのでパチンコしたい人はパチンコフロアに行けとなり。カジノに行きたい人は別フロア、ボウリングはボウリングだけのフロアになっている関係で趣味が多ければやたら覚える場所があるぐらいか。
規制は限界まで緩いが、映画フロアだけでもアニメ専門だか時代劇専門だかと区画がべらぼうにひろげられてるから行く場所覚えて無きゃ案内人の世話になるしかねぇっていう。
もっとも、私は料理教室フロアと映画館フロアにしか行かないが。
なんせ、パチンコのフロアだって全席禁煙と、全席喫煙という区切りの仕方をしているのだ。
手で一玉ずつ弾く様なのから、羽モノからクルーンからデジタルまで区画で分かれてんだぞ行くだけで一苦労だわ。
当然、禁煙席では口にくわえただけで軍にしょっぴかれる。
釣堀のゴミだってそうだ、不可抗力なものはしょうがないが自分達が出したごみはゴミ箱にいれなければしょっ引かれる。
もっとも、ゴミ箱自体は休憩室の横にデカいのがあるから投げ込めばいいだけだ。
どこぞの祭り会場の様に、ごみ箱が溢れたりはしない。
ただ、ごみ箱の外にゴミが有ったり。買った場所以外のゴミ箱で共用でない場所にゴミを入れようとしただけでヤバい警備に三百六十度取り囲まれて、酷い目にあうだけだ。
それすら守れない愚か者には、物理的に酷い目にあう。
まぁ、箱舟に長くいるとそういうのでしょっ引かれるのは大抵来たばっかの奴だからあーあいつ新人かみたいな顔でみられて終わるだけだが。
それにしても、新人が沢山来るって事はそれだけこの箱舟の人口はヤバい事になってるはずなんだが。
今日も明日も変わらぬ街並みをみて、あきれてものが言えない。
私も、明日の休暇が楽しみで仕方ない。
映画も、サブスクで仮想でみるのと映画館が同時にあって選択はお客でどうぞだもんな。
「だから、私は時代遅れの小さめの映画館でローカルなB級自作映画なんか見て喜ぶんだけど。外だとそんなものは全世界探しても残ってたらラッキー位、ここみたいにフィルムが完品でなんてほぼ無い」
全く、一日で終わらないどころか一生かかっても見終わる気がしないのがキツイよなぁ。
思わず変な笑いが漏れる程、箱舟の選択肢は多い。
「いらっしゃい。パン屋、ヘブンへようこそ」
今日も、まばらに来る客を相手にしながら。
今月こそは、パンで売って見せると決意を新たに。
「パン耳に売り上げ負けてちゃ、流石に悲しいぜ」
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