第百九十幕 聯緬(れんめん)

なんで、何でだ…。


両手で頭を押さえて苦悩する、黒貌。


これは、かつてのエノと出会う前の話。




黒貌が通りがかった、そのカフェでは幼馴染と妻が自分をはめる話をしていた。

幼馴染が言いよって、妻がそれを浮気と咎めるそんな話を。


知らなければ、幸せだったことなんて世の中沢山あるのだ。


かつての職場でも、俺は目の敵にされてきた。

その前の職場では、尽くして来た会社の社長が変わった途端首になった。


それも、会社に損害を与えたとかならともかく。前社長と親しかったという理由だけで、他に理由など無いと言われた時は流石に怒った。


人と親しくしただけで、首になるなどふざけている。それも、全社長はお前の父親じゃないのか。と後を継いだ社長に言いたいのをこらえ、退職金等ほぼ無いに等しかったのも覚えている。


ただ拳をにぎりしめて、そうですかと言ってそこを去った。


その前は、過労で倒れて緊急入院し電話で入院した旨を伝えたら。


「喋れるなら明日からこれるだろう」


そんな事を、電話越しに言われた時にそこもやめた。

人の心の無い所ほど、続けようとは思わないだろうに。


かつての、バイト先も。俺を追い出した社長も、一年以上たってから戻って来てくれと言ったが提示した金額は前の半分以下だ。


「要するにお前らは安くて使い勝手がよい、労働力が欲しいだけだろうが二度とかけてくんな」


そういって、電話を切った事は覚えている。


安アパートの天井を見つめ、就職活動をし。

ロクな会社じゃなかったと、自分の見る目が無かったのだと辞めてきた。


ロクな会社なんて、この世にあるのかなと思えば。

テレビで、箱舟グループの様子が映し出された時には更に吐きそうになった。


「なんでこの世に、こんな幸せそうに働いてる連中がいる」


それを知るだけで、更にこの世を恨むに十分だった。

この時の黒貌は知らない、箱舟グループを支配しているのは本物の神様だなんて。


人の企業で出来ない事が、神様の力と怪物の頭脳を持つスライムによって叶えられているなんて。


ただ、不幸になり続けている人間にとっては。

人の笑顔や、子供の泣き声だけで頭をかち割って黙らせたくなる程度には怒りが溜まる。


アパートやマンションなどの集合住宅の壁は薄い事が多い、だから子供の泣き声等の高い音は良く響くのだ。


また、隣の子供が泣いている…。


夫婦喧嘩で追い出されて、この寒い空の下玄関で座っているのだろうか。


玄関の外に様子を見に行けば、やはり皿やモノが飛び交っていて。

玄関で、一人の女の子が座っていた。


「そこじゃ寒いでしょう、といっても俺も貧乏ですから出がらしのお茶ぐらいしかだせませんが」


そういって、隣の夫婦に声をかけ。


「うちに居ますから、終わったら来てくださいね」


どうせ、聞こえて居ないと玄関に張り紙をして。


「ねぇ、おじちゃんはどうして一人なの?」


黒貌は、苦笑いしながら。


「貧乏ですからね、俺は幸せにする自信もなければ。幸せになる事も難しい、お金だけの問題ならともかく俺は心も貧しいですから」


小さな女の子は、黒貌にいれてもらったお茶を飲みながら静かに座っていた。


「ろくな目にあって来なかった人は皆、心も貧しいんですよ。豊かになりたいと思い、豊かな姿を夢見る事はあっても。直ぐに現実に帰ってきて苦悩する、それを繰り返すんですよ。だから、俺は死ぬまで一人でいい」


それに付き合わせるなんて、心が癒える頃にはおじいちゃんかおばあちゃん。

ヘタしたら、墓の中ですからね。


また、無言で座って残りのおちゃを飲む。


「俺には耐えられませんよ、相手が人なら必ずどっちかが先に逝く。失い続けた人生を歩いた、俺が先ならいいが。本当に大切な存在が、先に逝ったなら。俺には耐えられる訳がない、だから一人が良いんです」


灯油のきれた小さなストーブ、その上に新しい水をいれたヤカンを置いて。

灯油を、半分いれて消えないギリギリのダイヤルに合わせた。


「これで、少しはましになるでしょう。といってもこれもどんどん高くなる、一体いつまで使えるやら」


残りの灯油を見つめながら、黒貌がこぼす。


灯油とガソリンは一対のものであり、実はどちらかを作る過程で必ずどちらかも生まれるものだ。


海水から真水を作ろうとすれば、塩が出る様なもの。

それでも、貧乏人が買うには少々値段が張る。


水道だって、支える人数が多ければ安いが人口の少ない場所では水道の補修費というのは実は相当高い。


百円の修理をするのに、百人で分担すれば一人一円だが。

百円の修理をするのに、負担が一人なら百円丸々かかるのだから。


乃ち、人口減少というのは水道と同じ仕組みで支えらえてるような全てに波及し。

貿易に頼る場合は、為替につねに左右される。


どちらもいっぺんに値上がり要素を満たせば、容赦なく値上がりして生活そのものが成り立たなくなる。


何故なら、資本主義社会において内部留保という概念があり保身に走る人の心がある限り。己だけはとかすめ取りに動く人の心がある限り、給金がそれに連動して上がるなどありえないからだ。


物価上昇指数と、給与指数は一致しない。

需要がなければ、経済は破綻するが需要を作るにはお金は満ちていなければならないのだ。


どっかの、箱舟の様に社員割で買える全ての物資の物価を下げたり。

神とその下僕がかき集めた軍資金で社員全ての口座を百パーセントで保証し、先に周りの経済が破たんして地獄に落ちても社員だけ救い上げる仕組みを持っている様なレベルでなければ。


貿易する相手の国が急降下したあと一、二年経ってから自分達の国が急降下するような事も経済には珍しくない。


必ず、利益をだしてそれを原資に運用している以上原資以上の事はできない。

末端を切り飛ばして、己の生存をはかるトカゲの尻尾切り。

損切りをしなければ、普通は自分達が死ぬ。


……が、一番手っ取り早く速攻出来る事は労働者にきりに他ならない。

その時、きられる方の気持ちや状況都合など考慮されない。


容赦なくきらなければ、自分も死ぬからだ。


自分も死ぬと判っていて、崖から落ちそうな人に手を差し伸べる事がどれだけ自殺行為か判っているから助けない。


どこぞの箱舟は原資も潤沢にあるが、それ以上にエネルギー無制限でほぼすべての品目を自分達で出荷できるというのが大きすぎるのだ。


自分達で価格を決められるのなら、身内価格だけ抑え込んでしまえば生活させることはできてしまう。


さらに、神が力を貸すので天災や災害。不可抗力等全く考慮しなくていい、粛々と要素という要素が排除されているのだ。


雨が必要なら、雨を必要なだけ降らせればいいじゃないか。日照時間が必要なら、土地の栄養が必要ならと好き放題やっている。


その、本店の力を背景に外の企業を運営しているのでそりゃぁ外の企業の中でもぶっちぎりに良くなる。但し、神に全部監視されているので何かすれば直ぐ跳ね返ってくる体制が出来ているのだが。


崖から落ちそうな人がいても、そもそも落ちない世界線に組み替える事も重力で全ての人間を浮かして再び持ってくることも難しくない存在がやっている事。


だが、そんな事は外の人間には判らない。

本店以外の、箱舟の企業群もそんな事は聞いてない。


ただ、本店から切削油からガソリンまで格安で頼んだら送られてくる。

その事実があるだけだ、無論備品も頼んだら送られてくる。

何で頼んでねぇんだよと首を絞められる事はあっても、頼んだなら必ずやってくれる信頼はある。


そんな事をしていれば、普通権力者や役人が黙って無いが箱舟本店は大国である魔国の魔王閣下の直下組織。


実際は、魔王とギイを含む六大商会が対等の関係であり。対等の関係を結んでいるにもかかわらずアルカード商会も箱舟連合の一角を担う形になっている。


要するに、箱舟グループに何かを言う為には魔王閣下に直訴しなければならず。

世界の三分の二という国土を誇る、魔国の王様に直接モノ申さなければならないというのはなかなかにハードルが高い。


そして、実態は神の力を知る。ギイ、三魔王、ダストの茶番なのだが、それを知る者は更にほぼ居ない。(六大商会の長ですら、この事実は知らされていない)


そして、その神様は絶賛ニート中だ。

きっと今頃は、レトロゲーム機でカップラーメン片手にブロック崩しでもしているに違いない。


この時の黒貌が、もしその神様を知っていたら持ち上げてシェイクしながら凄まじい悪鬼羅刹の顔をしながら「働け!!」と叫んだと思う。


ほっぺたをつねってぶら下げながら、お祭りの水ヨーヨーの様にびょんびょん出来るに違いない。


ヤカンから出る湯気をみつめながら、女の子と二人並んで小さなストーブにあたる。

立てつけが悪いのか、ちょっとした風で窓がガシガシ音がなり大丈夫か不安になった。


この音だけで、眼が覚めてしまう位には不安というものは人を蝕む。

しかし、小さな女の子には不安はなかった。


隣に住む、優しいおじちゃんがいつもくれる殆どお湯の薄いお茶。

おじちゃんが、お父さんだったらよかったのにと思っていた。


同じ間取りの、部屋のはずなのに。

凄く落ち着ける、自分のいえよりもずっと安心できる。



ここは、そんな場所だ。



お互いこうして、ほぼ何も言わずでも何か話す時はぽつぽつと。


あぁ…、家に帰りたくないな。


そんな事をおもいながら、ささやかな時間だけが過ぎていく。


貧しさ故に少年の恰好をして、結局隣夫婦が離婚して引っ越すことになる当日まで黒貌は彼女の事を少年と思っていたのだが。

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