第百八十五幕 犬笛

幼女が裸足で歩いていた、海の上を氷の上を空の彼方を。

彼女は何処にでも居て、彼女は何処にでも現れる。


本当は全てが見えて居て、それでも自ら眼を閉じ続けて来た。



「世を滅ぼす邪神共がこの程度とは笑わせる、滅ぼせると言うのなら私を滅ぼして見せよ。この愚図がっ」


それは、かつて邪神の長老達とエノの隠遁。


「貴女は何者だ?」


凄惨な笑みを浮かべ、貫頭衣のポケットに手を突っ込んだまま幼女はただ邪神達を睨みつけた。



「私が何者か?そうだな、その辺に転がっている石ころのフリした神さ」


私は、石であり続けたかった。私は、ただ踏まれているだけの存在。

私がただ雨にうたれ、風に削られるだけの石であり続けたかった。


胸に残る僅かなぬくもりが、私を神ではなく女(ひと)として生かし続けているに過ぎない。


「ただの神が、そこまで強大な訳はない。ただの神が、そこまで凶悪な顔が出来る訳がない」


「貴女は、何者だ?」


「何度でも言う、私は石ころのフリして裸足で歩くただの神」


(貴女の様な方が、何故人を守る?)


「知れたこと、私はそこの居酒屋に住んでいる。貴様らが戦争をおっぱじめたせいで煩くて叶わんからだ、だったら戦争している全ての勢力をまとめてなぎ倒せば静かにもなろう」


天使も悪魔も神も人も、等しくなぎ倒せば少しは静かになろう?。


「貴女にはそれが出来ると?、本気でそうおっしゃるか」


そこで一段、エノは出力を上げて神威を吹き上げる。


「出来ないと思っているのなら、それは誤りだ。追い詰めれば、人は助かろうともがく。逃げ道を用意して誘導するのも、囲んで叩き潰すのもどちらもタダの必勝法の一つに過ぎん」


囲んだ全てを同時に叩き潰し、すりつぶし。

おのが無力を見せつけながら、滅ぼせば問題ない。

私の必勝法は、石になりきるその姿を紐解くだけでいい。


「生きていれば次がある、ならば絶対に復活出来ないレベルでまとめて殺せば問題ない」


邪神を人に改竄し、人として無限の苦しみを味わわせて殺す。

よく見れば、左手が血に染まっていた。


そして、振り返れば長老衆以外の邪神は全て首から下が消えていた。


「なっ!」


全く分からなかった、全く気づけなかった。

いつ動いて、仲間の命が消えたのかも。

そして、いつポケットから左手を出したのかも。


「動作や気配などというものはどれだけ気を張っていても、注意する意識に穴があるのだからそれに滑りこめばこの通りだ」


全員の意識の穴につけこんで、何も感じさせずに邪神を人に改竄しただと?!


「私に、それができないと思っているのならそれは誤りだ」


私を叩き起こしおって、私が守りたいものなど人でも世でもない。


「私の平穏、私の幸せそれだけ守れたら他に何もいらん」


(私には、他に何もいらないんだ)


ガバリと目覚める、貌鷲がかつての事を思い出しベットから飛び起きて自分の首から下を確認した。寝汗でびっしょりではあるが、体はついていた。


「ふぅ、夢だったか」


あの時、我々の前に現れた女神エノは幼女の姿をしていた。

だが、大路はあれがエノの本来の姿ではないと言う。


先日のファイトマネーとは別に、褒美として引換券をもらったのだったか。


「私が闇の空間に引きずりこまれて、踏み付けられた時もスニーカーこそ履いていたがあれは子供の足だった」


大路が嘘を言っているとは思えない、あの邪神の長老がただ無条件で頭をたれつづけ人助けをし。誰かに気を使えなどというのは、気が狂っているとしか思えない。


「答えを知らねば、何故邪神も天使も精霊も龍達すら人の企業として動かし続けられるのか。ただ煩いというだけで、戦争をしている我々全てを相手どるという」


力はイヤという程知っている、だがそれでも私はどの様な詭弁を並べても。


「納得できないのだ、闇の邪神たる我々が誰かの喜びの為に力を振るう事が」


引換券を握りしめて、そしてそれを口にした。


「女神エノの本来の姿にお目にかかりたい、それはこの引換券で叶うか」


瞬間、引換券は空中に溶け光の粒子が舞い上がる。


「ここは、私が引きずり込まれた闇の空間……」


そこで、樹の椅子で頬杖をついて座っていたのはエタナちゃんだった。


「ようこそ、貌鷲。やはり、貴様はそれを望んだか」


いつもの無表情ではなく、いつもの幼女ではなく。

ドスの利いた、何処までも底冷えのする闇の王に相応しい声と顔。


「さて、私の真の姿が見たい。それが、引き換えたい望みで良かったかな」


貌鷲はただ黙って、頭を下げた。


「まぁ、その眼で現実を見なければ信じぬのは人も邪神も変わらぬか」


どこか、苦笑して笑った気がした。


「まずは結界をはってやろう、でなければ姿を現しただけで殆どの存在は吹っ飛ばしてしまうしな」


貌鷲は眼を見開く、姿を現しただけでふっとばすだと?この私をか。


「大路さえ、私の結界無しで私の本体に会う事など叶わぬよ。粉微塵になるのがオチだ、初回サービスという訳で引換券一枚で今回は叶える事にした」


そこで、エタナは右手の人差し指で真上を指した。


「御覧、あれが大路がいう私の本体だ」


満天の星空がごとき死と怨嗟と苦しみに溢れた花園と城、拷問器具と時計が飛び交い黒い花粉が蛍の様に舞っていた。貌鷲は、両膝をついてただ感動し涙が溢れ止まらない。世にこれ程の神が居たのか、これほどの死と怨嗟の力が溢れているものなのか。


星型エンジンの形をした終末の笛から増幅され吐き出される力、数珠のごとき手につけられたエンジン群からもたらされる膨大な闇の神威。


「醜いだろう、貌鷲」


樹の椅子に座るエノが、貌鷲に問いかけた。


嗚咽を漏らしながらただ両手を広げ、その様はまるで初めて崖から夕陽をみて感涙し両手を空へ広げている様に似ていた。


「いえ、醜い等と。これほどだったとは、貴女はこれほどの神だったとは……」


ただただ、感動が先にきて言葉にならず。

これは確かに、姿を現しただけで殆どの存在を吹き飛ばす程の膨大過ぎる神威。


「これが、闇の最高神と大路が言ってはばからない貴女の力」


これはたった十三分の一だ、貌鷲。

それも、そのたった一つをお前に見える所まで弱めている。


「大路はもう少し、解放状態でも見られるがまぁ誤差さ。どうだね、疑問は解けたかね?何故、あの大路があれほど従順に従うかお前は知りたかったのだろう?」


私は知っている、人を救う事にも幸せにする事にも疑問を持ち続けるお前達邪神が私の事をどう思っているかなど。


「さぁ、貌鷲存分に見ていくと良い。これは、おまけだ。花見には旨い料理と飲み物が付きものだろう?」


テーブルと椅子がぽつりとおかれ、上空の華の一本から黄金の弦が伸び。


「闇の魔力の紅茶とクッキー、それ以外のものが欲しければポイントを払えば対応しよう」


蠢くそれを、蜘蛛の糸の様に降りてくる黄金の弦もただ唖然と貌鷲は見ていた。


「何故貴女は動かないのですか?貴女が動けば戦いに等ならない筈だ」


貌鷲は尋ねるが、エノはただ邪悪に笑うだけだ。


「言った筈だ、私はエターナルニート。私は私が働かずに済む世界を欲している。そのために、抗いがたい程の報酬と待遇を用意しているに過ぎない」


不幸に抗う存在は多いが、希望に抗えるものなどそうはいない。

貌鷲は、その言葉をただ咀嚼して口をつぐんだ。


ただ、ただ……。


まるで、夢を見ている様に天を見上げ。

様々なしゃれこうべの華から、様々な色の血が滝の様に流れ川の様になって城の排水溝に消えていくのが判る。


「成程、だから大路はあのように言ったのか。自身を納得させるための言い訳として、貴女の労働者であると言った訳か」


貌鷲は納得はした、そして理解もできた。

ただ、大路はエノは嘘つきだと言ってはいたが。


それでも、感涙が止まらず。ただ憧憬し、余りの存在に自身が闇属性のものであったなら無条件で頭をたれるに足る存在だこれは。


これが、これが我々の従っていたものの正体か。


「十分に納得出来ました、そして我がどれ程身の程知らずだったのかも」


エノは肩を竦めると、そっと微笑んだ。


「私は幸せな労働者を求めている、幸せであればあるほどに抗いがたいだろう?。私は逃げる事も避ける事も拒否する事も認めてはいるが、私の労働者である限りにおいては幸せであって貰わねば困る。それは、お前自身も、お前の隣人もだ」


成程、大路の野郎……。


「だから、協調性を持てなかったお前を踏み付けた。ただ、それだけだ」


ゆっくりとして行くがいい、私はお前が望む報酬を与えただけ。


「闇の長老の何人かは、私の正体を見ている。だが、私の正体や力を知らぬものに従えと言ったところで心からは納得できんだろうな。お前の様に、はねっかえりも当然のように居る」


(向かってくるのなら構わない、挑戦してくれても構わない)


「大路の言った事で、唯一納得できた事があります。貴女の姿と力を知っていて、貴女に逆らえるものなどそうはいない。だから、貴女はその力すら偽っているのだと」


微笑みながら、ゆっくりと樹の椅子から立ち上がるとさてな…と言った。


「確かに、貴女は大嘘つきだ。だが、今後は我もそれを知る一柱となった。そして、貴女の為にと言う事であればある程度の事は飲み込むことが出来る」



報酬、報酬か……。



「貴女が戦争を叩き潰して解決する事を願い出る時、幾らぐらいかかりましょうか」


それは、帰って自分で腕輪にでも問うが良い。

値段は、相応こそが正義というルールで成り立っている。

ただ…、私がやればそれは戦争などではない。

ただの、蹂躙と塵滅だ。


「それにしても、あの長老共が事あるごとにとりみだし。正月に欠かさず祈り天使と手を取り合うなど。それを、現実にさせるだけの存在」


私の前では、全ての存在は等しく弱者だ。

この姿で、最初から眼の前に出たなら。

その力だけで現実を知る前に粉微塵に吹き飛んでしまうだろうな、だから私は現実を知らせるものは少ない方がいいと思っている。


貌鷲、もしお前やお前の同僚が私に一致団結して向かってくるのなら私は歓迎しよう。


過ちを許し、ただ如何なる協力をも打ち砕く。

それができて、初めて強者といえるのだから。


「お前達闇の邪神は強者にしか従えないのだろう?なら、納得が出来るまで叩き潰せばいい。挑戦も何度でも許す、そうだろう?」



ただ、勝ち続ける。

私にそれが出来ないと思っているのなら、それは誤りだ。

樹の椅子に座り直したエタナの正面に透明なモニターの様なモノが幾つも浮かんでいた、確認できるだけで六十以上ある。


そのモニターを頬杖をついて、見ながら何かしら操作をしていた。


「ふむ、箱舟グループの外ではもう雪になる地域もあるのか。何か温かいモノでも支給してやる様に、ダストに命じるか……」


温度計や湿度計がモニターの左下に表示されているのが、透明である為貌鷲にも判った。


「さてと、原子力をガタガタ言う割には被爆したキノコを仕入れてしまう事には無頓着等困った連中だな。ガタガタ言うのなら、当然その検査やシャットアウトは急務だろうに」



エタナは左手の指をキーボードを叩くようなしぐさで動かす、それだけで業務用スーパーで売られている全ての製品から被爆部分が取り除かれ安心安全な製品になってしまった。


その様子を、貌鷲はただ眼を見開いてみていた。

苦笑しながら、天使共も邪神共も詰めが甘い。

だが、それでも懸命に頑張る姿が私にはとても眩しい。


「箱舟グループ以外の場所では仕入れたもの達の責任だが、箱舟グループ内では私が保証するのだからな。こっそり、これぐらいは片手間でやるとも」


そういうと、エノは樹の椅子の上で腕を組んで目を閉じた。

犬笛の音は人には聞こえない、彼女の力もまた普通では見えない。


貌鷲はその姿を、時間が許す限り見続けた。


「貴女にとっては、全てが些事で片手間か。成程、我らの神に相応しい」

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